シロイヌナズナはどうやって自家和合になったか?
Ever since Darwin・・・一度でいいから論文の最初にこう書いてみたいものだ。この書き出しではじまる土松君の論文が、あのNature誌に発表された(現時点では、オンラインで)。
http://www.nature.com/nature/journal/vaop/ncurrent/full/nature08927.html
題して、「『雄側』特異性遺伝子の単一突然変異によるシロイヌナズナ自家和合性の進化」。花が咲く植物の話だから「花粉側の」と訳すほうが日本語らしいのだが、原文は、in the male specificity geneだ。「the」がついているのは、わかる人にはピンとくる、あのSCR遺伝子を指しているからだ。『雄側』とカッコつきで訳すことで、このニュアンスを表現してみた。
SCRことスモール・システイン・リッチ・プロテイン、知る人ぞ知る、植物の自他認識に関わる花粉側のタンパク質である。もうひとりの役者は、SRK(セリン/スレオニン受容体型キナーゼ)で、これが『雌側』特異性遺伝子だ。
SCRだのSRKだの、ああうっとうしいと思った方、もうすこしおつきあいいただきたい。
多くの植物では、花粉が同じ個体の花のめしべについても、種子はできない。これは、「自家不和合性」と呼ばれる、自分と他人を見分ける仕組みを植物が持っているからだ。この仕組みは、皮膚移植時の拒絶反応に似た、きわめて特異性の高い認識機構だ。花はいったいどのような仕組みで、自分(自個体の花粉)と他人(他個体の花粉)を見分けるのだろうか。この仕組みを遺伝子レベルで解明することは、植物学者の大きな夢のひとつだった。この仕組みがほぼ解明されたのは、ほんの10年前のことである。日向さん、磯貝さん、渡辺さんら、日本人研究者の貢献が大きかった。コーネル大学のNasrallah夫妻のグループと競い合って、Nature, PNASなどの国際一流誌に次々に研究成果を発表された。私は「花」に関心を持つ植物学者の一人として、「自家不和合性」にはただならぬ関心があったので、その分子機構が解明されていく様子を、固唾をのんで見守っていた。
「自家不和合性」については、進化の研究者としても、大いに関心があった。というのは、「自家不和合性」の特異性に関わる遺伝子(S遺伝子)には、高い変異性を維持するような特殊な自然淘汰が作用していると予想されていたからだ。S遺伝子、すなわちSCRとSRKの配列が決定されるみると、この予想はやはり正しかった。動物の免疫系の遺伝子と同様に、S遺伝子の配列にはアミノ酸を変える変異が多数あり、そして、その変異のパターンは中立進化から大きくずれていた。
ここまでは、ほぼ10年前に解明された。次の重要課題のひとつは、自家不和合性から自家和合性への進化のメカニズムを解明することだった。私はこの課題もすぐに解決されるだろうと思っていたが、予想に反して、解決にはほぼ10年の時間が必要とされた。そしてついにこの課題を解決したのが、土松君だ。おめでとう。
自家不和合性から自家和合性への進化は、植物の世界で繰り返し起きている。実際、多くの植物は自家和合性で、自家受粉による種子を作る。この事実を明らかにし、「どうして多くの植物は自家受粉をするのだろう」「そもそも、他家受粉の利点は何だろう」という疑問を投げかけたのは、自然選択による進化理論をうちたてたチャールズ・ダーウィンその人だ。だから、土松君の論文は、Ever since Darwin・・・という書き出しで始まるのだ。
さて、土松君らの研究によれば、シロイヌナズナにおける自家不和合性から自家和合性への進化は、『雄側』特異性遺伝子SCRの配列にたった一回生じた逆位(ある長さの配列が左右で逆転すること)によって起きた。この逆位を再びひっくり返して、遺伝子操作によってもとの配列に戻してやると、自家不和合性が回復した。
興味深いことに、『雌側』特異性遺伝子SRKにはこのような機能を欠損させる変異は生じていなかった。つまり、自家和合性のシロイヌナズナは、正常に機能するSRKを維持していた。
この興味深い現象は、実は理論的に予測されるとおりなのだ。『雄側』特異性遺伝子の機能を失った個体から作られる花粉は、どの個体のめしべの上でも発芽できる。つまり、花粉親として成功するうえで、大きな有利さを持つ。たとえていえば、多数の女性を妻に持ち、父親として多くの子供を残せるようになる。まだ多くの他個体が自家不和合性を持っている状態では、この利点はかなり大きい。これに対して、『雌側』特異性遺伝子を失った個体は、自分の花粉で種子を作れるようになるだけで、花粉親としての成功度に変化はない。
論文タイトルのin the male specificity geneという表現の背後には、『雄側』特異性遺伝子こそが自家和合性進化の主役だという、理論的予想がある。Natureに掲載された論文のタイトルとして、一見地味なようだが、実はなかなか味のあるタイトルなのだ。
ダーウィンの『植物の受精』や『植物の異型性』を読むと、ダーウィンが提起した興味深い課題が、まだまだ未解決のまま残されていることがわかる。土松君には、ぜひともこれらの課題にチャレンジして、またNatureに論文を発表してほしいものだ。
次回も、Ever since Darwin・・・で書きだしてはどうだろう。
A long time ago in a galaxy far, far away . . .みたいに、毎回同じ文章で始まるのも、なかなか粋かもしれない。