楽観的な人ほど予防行動をしていない

新型コロナウイルス感染症流行下の心理的状況・予防行動と性格の関連について調べた研究の結果が、昨日PLOS ONE誌に公表されました。

-https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371%2Fjournal.pone.0235883&fbclid=IwAR04m79ME4RkuB4ja05wQTGRQp6xfNvXc7Prr3eSL3B9Nbb6SSWg30tkimk

新型コロナウイルス感染症の緊急事態宣言発出直後の2020年4月8日からオンライン調査を開始し、第一回の調査では日本全国から1856名の有効回答を得ました。その後6月中旬まで毎週調査を実施し、10回分の時系列データを得ましたが、今回の論文は第一回の調査結果を分析したものです。この研究では、市民の性格が予防行動や心理的負担(ストレス・不安・抑うつなど)に影響するのではないか、という点に注目しました。人の性格には、神経質・外向性・協調性・良心性・開放性という5つの基本因子(ビッグ5)があることがわかっています。これらはいずれも、人間の協力行動とともに、おそらく多様化を促す選択圧の下で進化した性質です。いずれの性格因子においても、人はきわめて多様です。この多様性(個人差)に注目した本研究の結果、5つの性格因子はすべて予防行動に有意に関係していました。神経質・外向性・協調性・良心性・開放性のそれぞれにおいて傾向が強い人ほど予防行動のレベルが高いという結果が得られました。このような個人差が、感染リスクの違いを生んでいる可能性があります。神経質傾向が弱い人(=楽観的な人)、外向性傾向が弱い人(=他人の評価を気にしない人)、協調性が低い人は、予防行動をしっかりとるように、自覚を強めてほしい。良心性は自制心と関係が強い性格因子です。自制心が弱い人は、自分ではなかなか予防行動をとれない可能性があります。周囲のサポートが必要でしょう。開放性は知識欲と関係しています。感染の動向などをあまり気にしたい人は、予防行動レベルが低いかもしれません。教育の機会を増やし、予防に関する正確な知識を普及することが重要だと考えます。論文投稿後に、これらの結果についてさらに分析を進めています。5つの性格因子は、因子分析という方法で評価されています。この方法は、性格因子間の相関を許しています。行動生態学的には、5つの性格因子間の相関が気になります。相関がマイナスならトレードオフがあると考えられます。この相関について調べてみると、やはりトレードオフが見つかりました。この点は、基礎科学的にも感染対策上も重要と考え、分析作業を進めているところです。結果を早く論文にまとめたいと思いますが、本業の絶滅危惧植物調査も繁忙期に入りつつあり、時間が足りません。

66歳になりました

今日で66歳になりました。

幸い、若い人と一緒に山に登って、沢の岩の上を飛び歩いたり、崖をのぼったり、道なき道をやぶ漕ぎしたりできる体力がまだあります。この体力を維持して、あと10年は現役野外研究者を続けたいと思います。

当面、70歳までの5年間で、これまでやってきた仕事をまとめ、今年度からスタートした新しいプロジェクトの成果を発表します。

昨日、アメリカ植物学会から嬉しい知らせが届きました。大学院生の永濱さんと昨年12月にAmerican Journal of Botanyに発表した論文:

https://bsapubs.onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1002/ajb2.1387?elqCampaignId=27757&elqTrack=true&elq_cid=25669850&elq_mid=43484&utm_campaign=27757&utm_content=Batch1-Email-FY20-Q3-R-DG-TopDownloaded-Authors-W26CS&utm_medium=email&utm_source=eloquaEmail&fbclid=IwAR25XCZCIXSrmUVRahjlHqhjcBBx-xwxGapFQcodCqoSjaq63lJfHiIPZRg

が、2018-2019年にAJBに発表された論文の中で、ダウンロード数上位10%に入ったそうです。

https://twitter.com/payoe___n/status/1255821979111702529/photo/1

九州大学伊都キャンパス生物多様性保全ゾーンで、樹木・草本の開花フェノロジーを調べた研究です。花を数えるという地道なローテクを使って、長年研究されてきたテーマで、国際的に注目を集める研究論文を発表することができました。何よりも、第一著者の永濱さんの努力の賜物です。大学教員のキャリアの最後に彼女の指導ができて幸いでした。

また、東アジア・東南アジアのマテバシイ属について、MIG-seq解析をした国際共同研究の論文が、数日前にアクセプトされました。

7年間かけて東南アジアで集めた植物のサンプルはまだまだたくさんあります(4万点を超えています)。いま、クスノキ科を優先して解析を進めています。夏までにはクスノキ科の解析を終えて、論文を10編くらい仕上げる予定です。先月、Actinodaphneについて研究している岡部君の学位審査が無事終わりました。Actinodaphneについて論文が一編アクセプトされていますが、さらに3編を近いうちに投稿できる見通しです。Actinodaphneはバリバリノキ属という和名でしたが、多系統であることが確定しました。属を分割します。クロモジ属Lindera、ハマビワ属Litseaも多系統です。属の概念を改訂する必要があります。さらに、クスノキ科でおそらく100種をこえる新種があります。クスノキ科だけで論文をたくさん発表しなければなりません。

クスノキ科を夏までに片付けることができたら、続いて東南アジアのブナ科の分類を改訂します。ブナ科にも、とくにベトナムにたくさん新種があり、系統学的に大きな発見もあります。

そのあと、マメ科やアカネ科を調べる予定です。当分の間、論文を書く材料は尽きません。

このほか、キスゲプロジェクトの論文で、あずかっている原稿をできるだけ早く最終チェックして、投稿したいと思います。預かったままの原稿があと一編あります。また、花のRNA-seqの結果についての論文原稿がほぼできています。修士論文を書いて卒業した元大学院生と連絡をとりながら、早めに仕上げたいと思います。

このほか、投稿直前まできて、私のところで止まっている原稿がいくつかあります。ごめんなさい。できるだけ早く投稿します。

決断科学大学院プログラムのプログラム教員で共同研究として取り組んだFuture Earthプロジェクトの研究成果をまとめた英文書籍についても、原稿がほぼ完成していますが、私の最終チェックが遅れているため、まだ出版社に原稿を渡せていません。明日からの連休中に、この仕事にできるだけ決着をつけるたいと思います。

さらに、伊都キャンパスにおける森林移植の成果を検証した論文を2年前にかなり書いたのですが、その後作業が止まっています。この論文を早く完成させて投稿したい。また、送粉ネットワークに関するデータもあるので、論文を書く必要があります。さらに、伊都キャンパス造成工事前に植物分布を徹底してしらべたデータが未発表のままです。また、生物多様性保全事業全体の評価を論文にまとめたいのですが、これらの仕事の論文化に時間を割けるのは来年になりそうです。

さらに、屋久島におけるヤクシカ研究の論文をいくつも発表する必要があります。共同研究者から一編の原稿が届いたので、できるだけ早く読みます。また、大学院生との共同研究の成果を3編発表する必要があります。

以上を片付けるだけで十分時間がかかるのに、今年度から2つの仕事が新たにスタートしています。

一つ目は、環境研究総合推進費「次世代DNAバーコードによる絶滅危惧植物の種同定技術の開発と分類学的改訂」です。私を代表とする3年間のプロジェクトです。昨年6月に設立した一般社団法人九州オープンユニバーシティとして受ける最初の仕事です。

「日本の野生植物総点検プロジェクト」というタイトルで研究計画の概要を公表しました。

https://open-univ.org/archives/1674

また、第一弾として「タネツケバナ属」についてのスライド資料を公表しました。

https://open-univ.org/archives/1678

このようなスライドを全属について作り、"New Flora of Japan"を編集したいと考えています。研究分担者には強力なメンバーが揃っていますが、他の研究者や地方で植物を調査されている方々にも協力をお願いして、日本の野生植物総点検プロジェクトをオープンサイエンスとして進めたいと思います。連休明けの7日には、Zoomでキックオフ会議をやります。

二つ目は、新型コロナウイルスの感染拡大、緊急事態宣言の下で、市民の行動・不安・知識がどのように変化しているかについての、心理学的・行動生態学的研究です。心理学が専門の決断科学センタースタッフと共同で、4月から開始しました。緊急事態宣言直後から、Yahooクラウドソーシングを利用したウェブアンケートを毎週実施しています。第一回の調査でとても意味のある結果がとれたので、論文を準備中です。研究して論文を書くだけでなく、アウトリーチにも時間を割いています。

https://open-univ.org/archives/1686

に、アンケートで尋ねた「科学リテラシー」に関する20項目についての集計結果を公表しました。「タンパク質はアミノ酸でできている?」という質問に対する正解率は、わずか6%でした。

これらの20の質問項目についての解説スライドを順次公開していきます。第4回まで公開しました。

https://open-univ.org/archives/1640

今後、20回分のスライドを5月中には完成させ、広く普及啓発をはかり、その成果をモニタリングしたいと思います。

一方で、どのような性格や道徳観を持った人が予防行動のレベルが高いか(あるいは低いか)、不満のレベルが高いか(低いか)、不安のレベルが高いか(低いか)、についての調査結果を分析中です。性格因子や道徳基盤に関する従来の心理学的研究を、行動生態学的視点から見直したいというアイデアを、決断科学大学院プログラムの7年間を通じて育ててきました。そのアイデアを実行に移しています。この成果から、人間の行動生態学的研究を大きく展開できそうです。このような研究を進めながら、新型コロナウイルス感染症流行下での予防行動や不安対策について、社会的に問題提起・提案を行っていきます。

「決断科学」(Decision Science)は、結局は人間の行動生態学だ、と考えるに至りました。英文書籍にまとめる成果や、新型コロナウイルス感染症流行下での予防行動や不安についての研究成果をもとに、「決断科学」または「人間行動生態学」に関する教科書を書きたいと考えています。「保全生態学入門」に続く、広く読まれるテキストになるだろうと予想しています。

その「保全生態学入門」の改訂作業に着手しています。今年に入ってから時間がとれず、第2章の改訂までで作業が中断していますが、英文書籍の原稿を早く出版社に渡して、「保全生態学入門」の改訂作業を再開したいと思います。

こうやって書いてみると、やりすぎですね。時間がいくらあっても足りません。

一方で、キスゲを研究する大学院生がいなくなったため、キスゲの鉢の水やりをして、系統を維持しています。これは、一種の瞑想の時間として使っています。心を無にして、鉢ひとつひとつに水やりをする行為に1時間くらい集中するのは、瞑想のトレーニングとしてとても良いと感じています。

九州オープンユニバーシティ代表理事として、毎日スタッフとのZoom会議も開いています。この一般社団法人の事業を育てることも、ぜひやり遂げたいミッションです。

というわけで、66歳になっても私は元気です。

 

退官記念シンポジウム開催に関する判断

3月22日開催予定のシンポジウムに関して、関係者に以下の連絡をしました。3月15日に九大で開催予定の講演会についても、同様に3月1日に判断したいと考えています。
 
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新型コロナウイルス感染の拡大についてご心配のことと思います。
 
感染拡大にともない、開催延期を視野に入れて情報収集につとめ、 2月15日の時点で twitterに注意喚起の発信をしました。一連のツイートは以下のブログにまとめ。追加説明を加えました。尾身茂氏による講演の要点もメモにまとめて発信しました。
 
 
その後5日間の経過を見ると、15日時点で私が予想した広域的感染拡大は回避されています。まだ予断を許しませんが、3月までに流行が沈静化する可能性が出てきました。このため、駒場シンポジウムを延期するかどうかは、3月1日の時点で判断することとさせてください。
 
3月15日以後、中国渡航者・その接触者以外にも PCR検査が 拡大されました。その結果、さらに感染者の確認が増えましたが、感染者の確認地域は北海道・首都圏・愛知・関西圏・沖縄に限定されており、感染者の感染経路もほぼ特定されています。感染者と密に接触した候補者についての検査が行われていますが、感染者の確認は限定された範囲にとどまっています。東京の屋形船のケースでは、タクシー運転手の周囲に着席していた人だけに感染しています。尾身さんも指摘されているように、約1mの範囲での飛沫感染接触感染が感染経路と考えられ、インフルエンザのように空気感染は起きていないと判断されます。
 
現在、感染源については封じ込め対策がとられており、皇居の一般参賀東京マラソンの一般参加なども中止され、市民の警戒レベルもあがっているので、全国的な感染拡大は防げる可能性が高くなってきたと判断しています。
 
現在は予防原則にもとづき徹底した防御策をとるべき段階なので、駒場シンポが2月の開催であれば、迷わず延期します。しかし開催日が3月22日なので、あと10日間の状況の推移をみたうえで、判断したいと考えています。
 
ご心配のことと思いますが、上記の判断についてご理解を賜りますよう、お願いいたします。
 
 
 
 

新型コロナウイルスに市民はどう備えれば良いか?

昨日新幹線車中で連投したツイートをまとめました。

〇感染経路不明の新型コロナ感染者が各地で確認され、感染の広域化はもはや事実。この段階では市民が流行拡大を防ぐために協力することが大事だ。移動中の時間を利用して私が適切と考える市民の防衛策を提案する。まず大事なのは冷静に警戒すること。楽観バイアスと感情的恐れや不安は判断を誤らせる。

コロナウイルスは風邪のウイルスの一種という理解は適切ではない。コロナウイルスという分類は動物で言えばネコ科やイヌ科のような大きな範囲だ。ネコ科にはトラもライオンもいる。ライオンをただのネコ科と侮ってはいけないように、新型コロナウイルスをただの風邪のウイルスと侮ってはいけない。

新型コロナウイルスは人類に初めて感染を拡大した新興病原体であり、有効な治療法は確立されていない。感染すると肺で増えて肺炎を起こす場合が多く、こうなると治療が難しい。したがって、感染拡大を防ぐことがとても重要だ。そのためには、ウイルスが飛沫感染接触感染する機会を減らすことが重要(追記:現状では空気感染は起きていないと考えられている)。

〇感染拡大を防ぐ方策はインフルエンザの場合と同じ。できるだけ人混みを避ける、人混みではマスクをする(特に、花粉症にせよくしゃみや咳が出る人は必ず)。また、手洗い、うがい、歯磨きをする。睡眠をしっかりとり、過労や二日酔いを避ける。体を冷やさない。適度な運動とバランスのとれた食事。

〇要するに当たり前の健康管理をしっかりやって、疾病リスク全体を減らすこと。この時期には、多くの市民が健康管理をしっかりやることが重要だ。不安は疾病リスクを高めるので、こころの安定も重要。健康管理をしっかりやることが不安解消にもつながる。また、起床時間と寝る時間を決めてリズムを守る。

〇生活リズムの乱れは体内リズム(概日リズム)や自律神経のバランスを崩し、不安や疾病リスクを高める場合がある。私は毎朝玄関で太陽光線を受けて概日リズムを調整し、ストレッチして体をほぐす。この生活リズムをしっかり守っている。また不安対策には瞑想も有効。

〇ウイルスはDNAやRNAがタンパク質に包まれただけの存在で、生体膜を持たないので、これらの物質を強力に変性させるエタノールに弱い。したがってエタノール入りの消毒液で手を消毒することはウイルス感染を避け、またあなたの手についたウイルスを他人に移さないために、特に有効。(追記:コロナウイルスの場合、石鹸が外側のエンベロープを壊すので、石鹸でもかなり有効と言われている)。

〇ウイルスはとても小さな存在なので、マスクの網目を軽々と通過できる。しかしマスクの繊維に付着するので、吸入・放出を減らすことはできる。くしゃみや咳が出る人は必ずつけてほしい。一人一人の着用効果は小さくても、みんなが協力することで予防効果を高めることが期待できる。(追記:インフルエンザと違って空気感染しないコロナウイルスの場合、マスクの効果はより高いと考えられる)。

〇マスクはいま品薄で、アマゾンでは50枚入り一箱約1万円の値がついている。この背景には買い占めがあり、政治主導で価格と供給対策をしてほしいが、手に入らない場合には諦めて良い。気に病んで不安を抱える方が悪い。ただし、咳が出ている人はマスクがないなら外出を控える(追記:マスクは簡単に自作できる。「マスク」、「自作」で検索すればいろいろな動画がある。布製より使い捨てのほうがむしろ良いので、以下のキッチンペーパーマスクは有力な選択肢https://sonaeru.jp/goods/handiwork/groceries/g-12/)。

〇終着駅に到着したので、これで終わります。もしツイート内容に不適切な点があればご教示ください。

 
 
 
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新型コロナウイルスに関する信頼できる講演のメモ

新型コロナウイルスに関して、尾身茂・地域医療機能推進機構理事長が日本記者クラブで講演されている。

https://www.youtube.com/watch?v=yaHNRM1pFbs&feature=youtu.be

私がこれまでに接した専門家の提言の中でもっとも信頼できると考える。その理由は、楽観バイアスに陥らず、いたずらに不安をあおることもせず、予防原則に照らして的確な提案をされているからだ。専門家の発言には、楽観バイアスにもとづくと思われる楽観論、危険性を強調する悲観論が入り混じっている。尾身さんの提案は、そのどちらにも陥らず、的確な提案をされていると思う。そこで、尾身さんの講演スライドをもとに、講演の要点を以下のメモをまとめた。時間がある方は、尾身さんの講演を直接視聴していただきたい。

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まず、前回の新型インフルエンザ流行終了時の私ども専門家諮問委員による提言を紹介したい。

1)パンデミックの初期には、疫学情報が不確定あるいは極めて限られているので、ある程度最悪のシナリオを想定して対策をたてること。

2)情報が明確になり次第適宜変更。

3)医療関係者、専門家、官僚等が技術的な議論を合理的に行い、速やかに政治的判断を求めるしくみの構築が必要となろう。また、そのためには人材育成を含め、国の疫学分析能力の強化が求められる。

4)国と地方自治体の役割分担、権限などを明確に敷いておくこと。

5)国民、地方自治体へのわかりやすい情報を国は提供すること。

 

次に、現在の日本の状況を整理する。

1)武漢での第一奨励感染者の検出:昨年12月初旬

2)(武漢では)それ以前に多くの感染者がいて、その後も増加した。

3)その上で武漢閉鎖:1月23日

4)わが国の本格対策開始:1月10日

5)それ以前に、既に武漢から多数の来日者し、感染者が日本に入っていた可能性が高い。(実際に、1月3日発症の症例が日本で検出された)。

6)しかし、これまでの症例定義は、「渡航者(武漢湖北省から)」と「発症した渡航者の接触者」のみを対象にしている。このため、多くの感染者を見落としている可能性が大きい。

7)さらに、無症状病原体保有者、潜伏期間の人が感染に関与していると考えられる。

8)その結果、報告感染者数の背後で、感染が進行している可能性が高い。

9)今回のクルーズ船での感染状況は、人が密集した閉鎖空間なので、感染が広がりやすかった

10)直近の情報では、シンガポール、香港において、渡航歴のない人から次々に感染者が検出されている。

 

以上のことから判断して、軽症者を含む感染が少なくとも散発的に拡大しており、いずれ武漢等と無関係な感染者が検出される可能性がある(矢原記:この判断は講演後3日間の経過の中で実証された)。

 

これからのわが国の対策は、

〇軽症者を含む感染が始まっている

〇少なくとも国内感染早期である

とみなして行うべきである。

 

わが国がとるべき対策として、3つの原則をあげる。

原則1

〇初期の対応は迅速、かつやや強めに行うこと

〇この時期の対応については多少の過剰はやむを得ない

原則2

〇潜伏期間が長く、軽症例が多い疾患なので、水際作戦による封じ込めは極めて困難

〇感染拡大が判明すれば、徐々に地域感染対策へシフトすべきである。

原則3

感染拡大の程度(感染早期、拡大期)に応じた対応に「先手を打つ」

 

国内感染早期の対策

(原則1にのっとり)対応を強めに行うことが重要。この時期の対策の目的は、感染拡大抑制、重症感染者の早期発見、死亡者数の最小化である。

以下の医療体制をとる。

〇感染者は感染者指定病院で診療する。

〇濃厚接触者には積極的調査を実施する。

〇感染拡大期に備え、一般病院も診療できる体制を準備する。

また、肺炎サーベイランスへ移行する必要がある。具体的には、渡航歴・接触歴を定義から外し、肺炎発症例を早期に診断・隔離・治療する。

ウイルス検査に関する国内の対応能力を強化し、主に肺炎などが疑われる症例に行う。

 

症例定義の見直し

武漢湖北省という制限があるため、地域の医療現場では、新型肺炎を疑ってもPCR検査を実施していない。

渡航歴・接触歴を定義から外し、臨床条件をある程度具体的に示し、肺炎発症例を早期に診断・隔離・治療する(つまり肺炎サーベイランスに移行する)ことが必要である。

 

今回の新型肺炎の症状の特徴

国内の複数の感染症例からわかったことは、

〇肺炎症状が出現する前に軽微な発熱、咳など風邪に似た症状が数日~一週間程度続く

〇倦怠感(だるさ)も特徴の一つのようだ

〇検査ではリンパ球の減少、X線では見つかりにくいが、CT検査では軽微な肺炎が検出されることもあり、細菌性肺炎とは鑑別できる。

〇その他、症例数の増加に伴い、新たな特徴が出れば追加する(例:下痢など)

渡航歴に関わらず、以上の臨床情報などを参考に、PCR検査の必要性につき、現場の医師の判断を尊重することが必要である。

 

水際作戦、検疫について

今回の新型コロナウイルス肺炎の特徴として、潜伏期間が長く、軽症者が多く、無症状感染者もいる。したがって、水際における完全な封じ込めは極めて困難である。しかも、地域での感染がすでに進行していると判断される。水際作戦をしばらく継続するにしても、国内の感染対策を(上記の感染早期対策に)シフトする時期にきた。

 

質疑応答:空気感染の可能性

中国での情報に加え、チャーター機で感染が拡大していないことなどから考えて、接触感染のみで、空気感染は現状では起きていないと判断する。クルーズ船では隔離される前はかなり接触感染の機会が多かったので、感染が拡大したのだろう。もし空気感染なら、もっと感染者が多いはず。ただし、今後感染力を高めるように変異する可能性はある。SARSの場合には、その変異が起きた。

テオプラストスの植物誌の先見性

昨日ツイッターに投稿した記事を転載します。

テオプラストス「植物誌」が届いたので夕食後に読み始めたが、驚きの連続。さすがはアリストテレスの弟子だ。「動物誌」を書いた師にリュケイオンの学長を任されたのも納得。イチジクからイチジクコバチが出てくることまで書いてあるよ。ひえ〜。これが紀元前の本かよ。邪馬台国以前の本かよ。

テオプラストス「植物誌」を読むと、当時のギリシャの人たちがオリーブ、オーク、リンゴ、ザクロなど多くの樹木を育種し、取り木や接ぎ木で苗を育てて品種を維持していたことがわかる。萌芽を利用した林業もあった。ギリシャ文明が自然と敵対したという見方は一面的だ。江戸時代の本草学を上回る水準。

テオプラストス「植物誌1」2008年。植物誌2」2015年。小川洋子訳。京都大学出版会。合わせて約一万円を払う価値がある。小川さんの偉業に感謝。植物学者なら一度は読んでおきたい本だと思い、以前から気になってはいたけど、梅原さん安田さんのギリシャ文明観に疑問を抱いたおかげで、読む機会を得た。

それにしてもギリシャ文明って何でこんなに凄いんだ。アリストテレスが「動物誌」でカッコウの托卵を記述しているのを知った時にも驚いたが、テオプラストスはイチジクコバチを記述してた。さらに種子由来の変異、フェノロジーの多様性、有機農法、木材工学などなど。荘子孟子と同世代とは思えない。

考えてみれば、シュメール の泥んこ文明が粘土板に文字記録を残す方法を発明したのがBC 約3000年だから、ギリシャで自然哲学が発展するまで約2500年の文字を使った知識の進化があったんだ。2500年をかけた文化進化の結果だもんね。中国での青銅器金文はBC1000年ころからで、紙の普及はAC100年ころ。

テオプラストスは自生植物と栽培植物を区分していますが、栽培植物の種子をまいて育てると自然の変異が生まれると書いている。自生植物でも栽培すると大きく形を変える。生育する環境(トポス)を理解することが大事という指摘は、相互作用に注目していて、とても生態学的です。

西欧的自然観と日本的自然観

1月7日に環境省「次期生物多様性国家戦略研究会」第一回が開催され、「2050年の自然との共生の実現(案)」に関する議論が行われるそうです。

この研究会に先立ち、GFBさんは「里山ナショナリズムの源流を追う 21世紀環境立国戦略特別部会資料から」を公表し、「日本人は昔から自然と共生してきた」という、これまでの政府の環境政策文書に繰り返し書かれてきた見方に疑問を提起されています。

 

私は、湯本貴和さんを代表とする総合地球環境研究所プロジェクト「日本列島における人間ー自然相互関係の歴史的・文化的検討」(2006-2010年度)に参加し、「日本列島では生物資源の持続的利用も、その破綻もあった」ことを明らかにする研究に貢献しました。湯本プロジェクトの成果として刊行された『シリーズ日本列島の三万五千年史』の第一巻に書いた以下の論考は、次期生物多様性国家戦略研究会の委員の方々にぜひ読んでいただきたいので、5節「西欧的自然観と日本的自然観の違いとその意義」をここに転載します。

矢原徹一(2011)人類五万年の環境利用史と自然共生社会への教訓 湯本貴和・松田裕之・矢原徹一(編)『環境史とは何か(シリーズ日本列島の三万五千年史ー人と自然の環境史1)』pp. 75-104 より抜粋

5 西欧的自然観と日本的自然観の違いとその意義

 産業革命以後の近代世界ではさまざまな環境問題が顕在化した。このような環境問題の背景に西欧的自然観があるとしばしば指摘されている。この見解においては、日本的(あるいはアジア的)自然観をより環境調和的なものとみなすことが多い。確かに日本社会には自然との共生を尊ぶ伝統的自然観があり「自然共生社会」という日本政府の目標設定は伝統的自然観に立脚している。最後にこのような伝統的自然観が自然保護に果たす役割について考えてみたい。

 まず西欧的自然観と日本的自然観がどのように異なり、そしてその違いがいつ頃なぜ生じたかについて考えてみよう。私は哲学や社会科学の専門家ではないので、哲学者や社会科学者によって書かれたいつかの文献を参照しながら考察を進めることにする。以下に紹介する文献は、経済学者の中谷による著作、政策科学者の深谷・桝田による論文、および西欧的自然観とアメリカ先住民の伝統知に関するピエロッティとワイルドキャットの英文総説である。

 西欧的自然観について、経済学者の中谷は以下のように述べている。「自然を管理し、飼い慣らし、征服することが神から人間に与えられた使命であると考えるのがキリスト教であり、こうした思想を『スチュワードシップstewardship』と言うが、こうした自然観があったからこそ近代西欧社会は世界の覇者となりえたと言っても過言ではない。なぜか。それは自然への恐怖心がなかったからこそ、自然を客観的に、科学的に分析することが可能になり、近代科学革命が起こったという事情があるからである」。

 深谷・桝田によれば、このような西欧的自然観が成立したのは中世であり、西欧社会でもギリシャ・ローマ時代の自然観には、創造主と被創造物の区別はなく、神・自然・人間の一体性が見られた。たとえばアリストテレスは自然を「自分自身のうちに運動の原即をもつもの」と述べているが、ここでの自然とは人間と対峙するような存在ではなく、むしろ人間は自然の一部であると考えられていたという。その後17世紀前後の中世キリスト教社会において、人間は神のために存在し、自然は人間のために存在するという思想が生まれた。デカルトやフランシス・ベイコンはこの思想の推進者であり、デカルトは自然と人間を分離する二元論を唱え、フランシス・ベイコンは自然は神から人間に贈与されたものであり、自然を支配するのは人類の権利であると主張した。「こうした機械論的自然観や自然支配の思想こそが近代文明の根幹を支えてきたといっても過言ではないだろうと深谷・桝叫は述べている。

 一方、ピエロッティとワイルドキャットは、西欧社会の自然観には二つの異なる思想があると指摘している。ひとつは利用主義(extractive approach)であり、自然は経済的価値を持つものと考える。これは、今日の「賢明な利用」につながる考え方である。もうひとつは保護主義(conservationist approach)であり、自然は人間の干渉から守られなければならないという考えである。これは、合衆国の原生自然保護法(US Wilderness Act)を支えている考えだという。このように、二つの異なるアプローチを区別したうえで、「見かけ上はさまざまだが、西欧の自然観には、西欧哲学のルーツに由来する共通性がある。アリストテレスであれ、デカルトであれ、カントであれ、人間は自然から自立し、自然をコントロールするものと見なしている」と述べている。

 アリストテレスの自然観に関する評価は、深谷・桝田とピエロッティ・ワイルドキャットで異なっている。どちらの評価が妥当かを正確に判断するだけの知識は私にはない。ただし、「nature」の語源にあたるラテン語の「natura」は,人間・自然を問わず、生まれたままのものを指す言葉だった。これと対をなす「cultura(cultureの語源)」は、「natura」を耕したものを意味し、やはり人間・自然を糾わずに使われた(人間に対して用いられた場合、「cultura」は誕生後に学ぶものを指す)。現在でも英語の「nature」「culture」には、「自然」「耕作」という意味に加えて、「性質」「文化」という意味がある。ラテン語の「natura」、「cultura」の用法は、キリスト教以前の西欧世界において、自然と人問がより一体のものとしてとらえられていたことを示唆している。

 「人間は自然から自立し、白然をコントロールするもの」という西欧的自然観はおそらくアリストテレスの時代からその萌芽があったが、創造主と被創造物を明確に区別するキリスト教の世界観がそれを強化したのだろう。そして、デカルトやフランシス・ベイコンがこの自然観にもとづく思想・哲学を発展させ、今日に至る西欧的自然観を確立したと考えられる。
 このような西欧的自然観は、「自然を支配するのは人類の権利である」という自然支配の思想だけでなく「自然を保護するのは人間の責務である」という自然保護の思想を発展させる礎にもなった。「スチュワードシップ」(受託責任)という考え方を背景として、今日の自然保護政策につながる2つのアプローチ(利用主義と保護主義)が発展したのである。
 一方の日本的自然観について、深谷・桝田はそのルーツは中国にあると指摘している。 日本語の「自然」という言葉は中国語が移入されたものであり、もともとは「自分のままの状態」を意味した。自然界の森羅万象は、「自然」 (ツーラン) ではなく、「天地」 や「万物」 とよばれた。日本で最初に「自然」という言葉が使われた『風土記』(紀元前八世紀頃) でも、「自然に」が「おのずからに」と訓じられており、やはり状態を指す表現だった。その後仏教が伝来すると、「自然」は「おのずから」だけではなく「じねん」や「しぜん」と読まれるようになり、あるがままの状態をよしとする思想 (親鸞の「自然法爾」など)に結びついた。その後、江戸期に至って、安藤昌益が森羅万象を意味する名詞(「nature」にかなり近い意味)としてはじめて「自然」を用い、独自の自然哲学を発展させた。「nature」の訳語として「自然」 が用いられたのは、蘭日辞書『波留麻和解』(1796年)が最初であるという。

 このように、「自然」という言葉はもともと対象世界ではなくあるがままの状態をあらわすものであり、この言葉を「nature」の訳語として用いた背景には、あるがままの状態をよしとする東洋思想があった。この点で、日本的自然観は西欧的自然観とは確かに異なるものだと据えられる。このような日本的自然観について考察した寺田は「日本人は、人と自然は合わせて一つの有機体であるという自然観を有しており、このような自然観があるからこそ自然科学の発展が遅れた」と述べている。しかし、寺田に代表されるこれまでの議論は、定量的な分析にもとづ-くのではなかった。
 深谷・桝田は、言葉の使い方に関する定量的分析手法(スクリプト分析法)を用いて、現代日本人の自然観を調査した。すなわち、新聞の投書欄から「自然」を含む投書のテキストデータを集め、その用法を集計した。その結果、以下のような傾向が浮かびあがった。
(1)「自然は/が〜」の後には、「ある」「残る」といった存在表現が使われる場合が多い。これに次ぐ頻度で、「失われる」「壊される」などの受動系表現、「消える」「戻らない」などの自動詞表現が、いずれも否定的な文脈で使われている。
(2)「自然を〜」の後には、「愛する」「守る」などの愛護・保護行為をあらわす表現が使われることが多い。次いで「破壊する」などの破壊行為をあらわす表現が使われる。
(3)「自然に〜」の後には、「囲まれる」などの受動系、「対する」などの対面系、「親しむ」などの情動系の表現が多い。
(4)「自然で〜」という用法は見られない。
自然を主語とする表現では、「ある」「残る」といった存在表現が多いことから、現代日本人が自然を自律的存在と見なしていることがわかる。自然を動作の対象とした場合、「自然を愛する」「自然に囲まれる」など、自然に対してそのままの状態で接する表現が多い。「自然を破壊する」などの改変行為をあらわす表現は、どれも否定的な文脈で語られていた。また第四の点から、日本人は「自然」を動作が行われる具体的場所として表現しないことがわかる。この点は、〝in nature″という表現を常用する英語とは対照的だ。

 このような分析にもとづいて、深谷・桝田は現代日本人の自然観について、「自然を自律性を持つべきものととらえ、また一体感を感じている一方で、我々は自然を対象化・客体視している」と結論している。自然を対象化・客体視することは、自然を利用するうえでは不可欠であり、『農業全書』に代表される江戸農学発展の背景にもこのような態度があった。寺田の主張は、日本的自然観の一側面を強調しすぎているように思う。

 日本的自然館については、深谷・桝叫とは違った視点からの議論もある。中谷は日本的自然観が「本地垂迹説」(神道と仏教の融合を正当化した考え)によって確立されたと見なし、以下のように主張している。「この神仏を融合する日本独自の思想によって、日本人が古代から抱いてきた素朴な自然崇拝が本格的に日本文化の根本に位置するようになった。なぜならば、日本は神国であると同時に仏国土であるがゆえに、日本では道ばたに生えている名もなき草にさえ神性があり、仏性があると信じられるようになった。それはまさに『山川草木悉皆仏性』あるいは『草木国土悉皆成仏』という言葉で表現されている。だから、森を人間の都合で伐採したりすることは罰当たりなことだとされた。森に暮らす鳥の鳴き声、虫の音は、そのまま人間の成仏を祈るお経であると信じられた」。ただし、このような自然観だけで自然が守られたわけではなく、「日本人もまた生活の必要上、樹を切り倒していたわけであるが、そうやって樹を伐った後を放置するのではなく、ちゃんと植林をして地域共有の 『里山』として維持していかねばならないというルールを持っていた。なぜなら、稲作を行ううえで、保水機能のある里山を持つことが不可欠だったからである」とも述べている。中谷の議論は、もともとは安田や梅原によって主張されたものである。中谷は(安田著)『蛇と十字架』を引用し、「キリスト教のような一神教が世界に普及したことで、人間と自然の関係が根本的に変わったことをさまざまな実例を通じて立証している」と述べている。梅原は天台仏教の『草木国土悉皆仏性』という思想は日本仏教独日のものであり、人間中心主義の西欧近代思想とは異なり、自然中心の世界観だと主張した。

 さて、このような日本的自然観は、はたして日本独自のものだろうか。ピエロッティとワイルドキャッツは、アメリカ先住民の伝統的生態知(traditional ecological knowledge)について検討し、それが「人間は自然とつながっており、人間から独立した自然などないと考える」自然観に立脚していると指摘した。言うまでもなく、この自然観は「日本的自然観」と通じるものである。アフリカの伝統的社会にも、類似の自然観がある。おそらく、人間と自然を一体のものと見なす考えは、約5.2万年前にアフリカを出て世界に広がった旧石器時代のヒト社会に由来する、世界共通の祖先的思想である。中世キリスト教社会においてこの考えが大きく修正され、自然と人間を分離する二元論が確立された。ただし、自然を対象化し、客体視する考えは、現代日本人にも広く見られる。そのルーツは、主要には明治期における西欧思想や西欧近代科学の導入にあるが、江戸時代において発展した日本独自の農学においても、自然を対象化し、客体視する考え方が採用されている。

 中谷は市場万能主義的な考え方の背景に西欧的自然観・価値観があり、資本主義が直面している課題を克服するうえでは、自然と人間の共生を前提とする日本的自然観・価値観を大切にする必要があると主張している。このように、現代社会の諸課題の原因を西欧的自然観・価値観に求め、それに対置する形で日本的自然観の意義を重視する考えは、安田や梅原の主張にも見られる。しかし、果たして日本的自然観は、日本の自然環境を守るうえで重要な役割を果たしてきたと言えるだろうか。

 ダイアモンドは、日本の農耕社会が長期間持続した理由を考察し、森林の再生が速いという自然条件の強みに加えて、ヤギやヒツジなどの草食動物による摂食圧が小さかったこと、豊富な魚介類が利用できたためにタンパク質・肥料供給源としての森林利用圧が小さかったこと、政治的に安定した徳川幕府の下で長期的な見返りを期待できる状況があったことを、持続可能性の主要な理由にあげている。そして、「江戸時代中・後期の日本の成功を解釈する際にありがちな答え、日本人らしい自然への愛、仏教徒としての生命の尊重、あるいは儒教的な価値観は早々に退けていいだろう」と述べている。このように日本的自然観の価値を否定されるのは心地よくはないが、「これらの単純な言葉は、日本人の意識に内在する複雑な現実を正確に表していないうえに、江戸時代初期の日本が国の資源を枯渇させるのを防いではくれなかったし、現代の日本が海洋及び他国の資源を枯渇させつつあるのを防いでもくれないのだ」という指摘は重要である。

 ダイアモンドや白水が指摘しているように、戦国時代や江戸時代初期には、日本の森林はかなり荒廃した。今も昔も戦争は巨大な環境破壊であり、戦国時代に繰り返された戦の下では、日本的自然観は環境破壊を防ぐうえで無力だったと言ってよいだろう。また、江戸時代初期には、まだ長期的視野で森林を育てる技術が発展していなかった。この時代の経験から学び、育林・管理技術を発展させたことが、江戸時代の森林を持続させた重要な要因だと考えられる。宮崎安貞が『農業全書』において、持続可能な森林利用を支える育林技術を記述したことは、すでに述べたとおりである。なお、『農業全書』は百姓(農民)への技術指南書としで編集されたものである。江戸中期に、農民の一部が『農業全書』を読み、長期的判断を可能にする知識を身につけていたことは、注目に値する。このような知識は、農民が環境保全に対する意思決定を行ううえで、役立っただろう。

 日本的自然観と西欧的自然観を対置する主張においては、自然保護における自然観の役割を過大評価するとともに、両者の共通性や補完性を過小評価しているように思われる。自然と人間を一体のものと見なす自然観は、おそらく旧石器時代以来の伝統社会に共通するものである。ラテン語の「natura」と中国語の「自然 (ツーラン)」 とは確かに異なるが、「生まれたまま」という考えと「自分のまま」という考えには、相通じるものがある。中世キリスト教社会において確立された西欧的自然観の下でも、自然は開発されるだけでなく、保護もされた。今日の自然保護政策につながる二つのアプローチを発展させたのは、西欧社会だった。利用主義と保護主義という二つのアプローチは、もともとは自然と人間の二元論に立脚しているが、両方を統一的にとらえる考えは西欧社会において広く支持されつつある。ピエロッティとワイルドキャッツは、アメリカ先住民の伝統知について、利用主義と保護主義の両方の要素を持つ第三の選択肢だと指摘し、その価値を高く評価している。

 「スチュワードシップ」 (受託責任) と「自然共生」は、持続可能な自然利用を追求するうえで、ともに有効な据え方である。私たちは、日本的自然観と西欧的自然観を対立的にとらえるのではなく、両者の補完性に注目すべきだろう。そしてこのような自然観を現実に生かすうえでは、長期的判断を可能にする科学的知識が欠かせない。たとえば徳川幕府が長期的視野で森林を管理できた背景には、江戸農学の発展があったのである。