新年のあいさつ

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あけましておめでとうございます。年末以来、30属についての分子系統解析の結果を一挙に報告する超大作論文の原稿を書き続けています。さきほど10属目の原稿を書き上げました。これで30属のうち3分の1についての原稿が完成しました。このペースなら、あと一週間あれば超大作1の原稿が完成しそうです。明日から他の仕事に割く時間を増やすので、ペースはおちますが、1月中には完成できるでしょう。現時点で図が32枚。全編で100枚をこえる超大作になります。ちなみに、これまで書いた原稿は、Acer, Aegopodium (Chamaele), Allium, Angelica, Anemone, Artemisia, Arundinella, Boehmeria, Chloranthus, Clinopodium,  Corydalisの10属です。CardamineやChrysospleniumuについても結果は出ていますが、データ量が多く、かつ結果が複雑なので、後回しにすることにしました。今年はまずこの超大作論文1を投稿し、続いて30属の分類についての超大作論文2を夏までに投稿し、新分類群に名前をつけて保全対策の対象にできるようにします。さらに、30属の希少種・絶滅危惧種の分布情報をもとに、保全優先度の新しい定量的評価法を提案する論文を書きます。2月にはベトナムに調査に出かけ、東南アジアの植物研究も再開します。研究以外では、福岡市科学館ダーウィンコース・ニュートンコース・SDGs家族会議などの企画をさらに充実させます。また、九州オープンユニバーシティの新事業にも取り組みます。今年もどうぞよろしくお願いします。

ペーボ博士ノーベル賞受賞おめでとうございます

決断科学のすすめ」でペーボ博士の研究成果を紹介しています。いくつかの節に分けて人類の歴史について書いていますが、第4章第一節を転載します。他の節について関心がある方は、「決断科学のすすめ」をぜひご一読ください。

第4章 私たちはどこから来て、どこへ行くのか?

4.1  6万年前に人類が手に入れた脅威の能力とは?

 ヒトは約6万年前にアフリカを出て世界中に広がり、その後今日に至るまで人口を増やし続けてきた。そしてこの6万年間を通じ、科学や芸術を発展させて文明を築き、産業や貿易を発展させて地球規模の市場を築き、地球環境を大きく変える力を手に入れた。

 たった一種でここまで地球環境を変えた生物は、生命の歴史上初めてだ。ヒトはわずか6万年の間に、どうやってこれほどの力を手に入れたのだろうか。

 その謎を解く手がかりが、ヒトゲノムの研究から得られてきた。本節ではその最新の成果を紹介し、ヒトという種の驚異的能力の背景について考えてみよう。

ネアンデルタール人との出会い

「ヒト(ホモ・サピエンス)」はアフリカで進化し、約6万年前にアフリカを出て地球全体にひろがったのだが、実はヒトより先にアフリカを出てユーラシア大陸にひろがったホモ属の化石人類が少なくとも2種いたことが分かっている。

 その一方は、西アジアからヨーロッパにかけて広がった「ネアンデルタール人」であり、1856年に男性の骨格がドイツのネアンデル渓谷で発見されて以後、ヨーロッパ各地や西アジアから多くの骨格化石が発掘されてきた(1)。

 そのネアンデルタール人は、約4万年前に絶滅した。約4万5000年前に起きたヨーロッパへのヒトの分布拡大がネアンデルタール人を絶滅に追い込んだ可能性が高いが、両者の分布が接触したときにいったい何が起きたのか、よく分かっていなかった。

ネアンデルタール人の骨格化石には、ネアンデルタール人のDNAが残っている。そのDNA配列を決定できれば、ネアンデルタール人とヒトとの違いが明らかになり、ネアンデルタール人がなぜ絶滅したか、ヒトはなぜ急速に地球全体に広がったか、などの疑問に答えることができるかもしれない。

 こう考えて、ネアンデルタール人のDNA配列決定という困難な課題に挑んだのが、マックスプランク進化人類学研究所のスヴァンテ・ペーボ博士だ。

ネアンデルタール人の骨から得られるDNA分子は、細かく断片化しているので、その配列決定は困難をきわめた。しかしペーボ博士は技術的改良を重ね、2010年についにネアンデルタール人の全ゲノム配列(遺伝情報が書きこまれたDNA分子の全配列)をサイエンス誌の論文で公表した(2)。

 その配列を世界各地のヒトのゲノム配列と比べた結果、ヨーロッパの現代人集団では、ゲノムの1~4%の配列がネアンデルタール人に由来することが分かった。一方、アフリカのヒトのゲノム中にはネアンデルタール人に由来する配列は見つからなかった。つまり、ヨーロッパに進出したヒトは、ネアンデルタール人と交雑し、その遺伝子の一部を取り込んでいたのだ。

デニソワ人とも交雑していた

 この、ネアンデルタール人ゲノムプロジェクトが進行しているさなかのことだ。西シベリアのデニソワ洞窟で2008年に発見された子どもの指骨のサンプルがペーボ博士のもとに届けられた。

 この骨から一部のDNA配列を決定したペーボ博士は驚愕した。その配列は、ネアンデルタール人ともヒトとも異なるものだったのだ。

「デニソワ人」と名付けられたこの化石人類のゲノム配列もまた2010年に決定され、世界各地のヒトのゲノム配列と比較された(3)。

 その結果、メラネシアニューギニアとその東側の島嶼)の先住民集団のゲノム中には、デニソワ人由来の配列が4~6%存在することが明らかになった。ヒトはデニソワ人とも交雑していたのである。

 つまり、ヒトはネアンデルタール人・デニソワ人それぞれの遺伝子をとりこんだ「雑種」ということになる。

 ここまでの研究史は、ペーボ博士による著作『ネアンデルタール人は私たちと交配した』(4)にいきいきと描かれているので、興味をもたれた方はぜひ一読されたい。この著作が出版されたあとも、研究は着実に進展している。

新たに明かされた交雑の経緯

 2016年3月17日には、デニソワ人・ネアンデルタール人とヒト交雑の歴史をゲノム情報の詳細な統計学的解析によって解明した論文が、サイエンス誌に掲載された(5)。

ワシントン大学のVernot博士らが発表したこの論文によれば、ヒトはネアンデルタール人と少なくとも3回、デニソワ人と1回交雑し、これらの化石人類から遺伝子を取り込んで、新しい環境に適応した。

 ヒトとネアンデルタール人との最初の交雑の痕跡は、ヨーロッパ・東アジア・メラネシアの人類集団に共通しているので、ヒトの祖先が約6万年前にアフリカから西アジアに進出したときに起きたと考えられる。

 ヨーロッパと東アジアの人類集団のゲノムには、ネアンデルタール人との2回目の交雑を示す痕跡があるが、この痕跡はメラネシアの先住民ゲノムにはない。したがって、おそらくメラネシアの先住民の祖先は2回目の交雑が起きる前に西アジアを離れ、メラネシアにたどりつく過程で、デニソワ人との交雑を経験したに違いない。

西アジアから東に向かったメラネシアの先住民の祖先は、おそらく船を使って沿岸部を移動したものと思われる(6)。

 なぜなら、考古学の証拠によれば、ヒトの祖先集団がオーストラリアに侵入し、大型の有袋類(カンガルーの仲間)の種を次々に滅ぼしたのは、約4万6000年前である(7)。つまり、西アジアからオーストラリアへのヒト集団の移住は、わずか1万4000年の間に起きたのだ。この素早い移動を可能にしたのは、船を使う技術だろう。

 一方、東アジアの人類集団には、上記の2回とは別の(3回目の)ネアンデルタール人との交雑の痕跡がある(5)。メラネシアに向かった集団とは別の集団が、少し遅れて東アジアに広がる過程で、この3回目の交雑が起きたのだろう。日本人を含む東アジアの人類集団は、ネアンデルタール人と過去に少なくとも3回の交雑を経験した雑種の子孫なのである。

交雑により環境適応力が向上

 このような種間交雑は、植物では古くから知られている。私は植物の研究からスタートしたので、違った地域に隔離されて進化した種が出会えば、交雑するのは当たり前であることをよく知っていた。

 しかし、私が学生だった40年前には、動物の種は生殖的に隔離されているもの(互いに交雑しないもの)という考えが支配的だった。この固定観念は、「種」という概念に不変性や純血性を求める人間の心理的傾向と結びついていた(8)。

 同じ祖先から分かれた2つの集団が地理的に隔離されて違った環境で暮らせば、自然選択によってそれぞれの環境への適応が生じ、やがて違った性質が進化する。このようにして異なる進化の道筋を歩んだ集団が、2次的に接触することは、生物進化の過程ではしばしば起きる。このような接触が起きたとき、2つの集団の間にはしばしば交雑が起き、遺伝子が入り混じる。

 今日では、このような交雑によって、適応進化が加速されることが分かっている。1.1節で紹介したように、有性生殖による遺伝子の組み換えは、莫大な数の組み合わせを作り出し、この「組み合わせ」の多様性が適応進化を加速するのだ。

新しい環境に進出し、そこへの適応を迫られた種にとっては、すでにその環境に適応した別の種と交雑して、その種から適応的な遺伝子を取り込むことが、効率の良い進化の手段なのである。

 実際に、ネアンデルタール人からヒトの集団に取り込まれた遺伝子には、皮膚や免疫系の遺伝子など、環境適応に貢献したと考えられるものが見つかっている。

ネアンデルタール人はヒトよりも言語能力が劣っていた?

 しかし一方で、交雑で受け取る遺伝子の中には、より劣ったもの(適応度が低いもの)もしばしばある。このような遺伝子は、交雑のあとで、自然選択によって次第に集団から取り除かれていく。

ネアンデルタール人との交雑の痕跡が、現代人集団のゲノム配列のわずか1~4%にしか見られないという事実は、ネアンデルタール人から受け取った遺伝子の大半が自然選択によって取り除かれたことを示唆している。

 Vernot博士らは、ネアンデルタール人やデニソワ人とヒトのゲノムの配列を比較することで、交雑後にヒトの遺伝子が強く選び出された領域(ネアンデルタール人やデニソワ人の遺伝子が選択された領域)を特定する方法を開発した。

 そしてこの方法を用いて、ヒトの第7染色体の一部に、ネアンデルタール人やデニソワ人との交雑の痕跡が完全に消えている領域があることを発見した(5)。複数回の交雑の痕跡が同じ領域で完全に消えていることから、この領域では自然選択によってヒトの遺伝子だけが選び出されたと考えられる。

 そしてこの領域には、とても興味深い遺伝子の配列が含まれていた。言語遺伝子といわれる「FOXP2」や、自閉症に関係する遺伝子がある領域だったのだ。

 FOXP2は、言語障害のある家系の研究から発見された遺伝子であり、FOXP2の変異が家族性(遺伝性)言語障害を引き起こすことがわかっている。

 また、チンパンジーとヒトのFOXP2遺伝子の間には2個の重要な配列差があり、ヒトのFOXP2遺伝子をマウスに導入するとマウスの学習能力が向上する(9)。これらの証拠から、FOXP2はヒトにおける言語能力の進化に関係していると考えられている。

 ただし、ネアンデルタール人とヒトのFOXP2の配列は一致しているので、ネアンデルタール人との交雑の痕跡が完全に消しさられた原因は、FOXP2自体ではない(9)。おそらく、このFOXP2遺伝子の周辺に、FOXP2の調節に関連した別の遺伝子があり、そこが自然選択を受けた可能性が高い。

 このように、まだ結論を出せる段階ではないのだが、Vernot博士らの研究は、ネアンデルタール人とヒトの間に、言語や社会性の発達に関わる重要な遺伝的違いがあった可能性を強く示唆している。

6万年前の大移動を前にヒトに起きた変革

ネアンデルタール人は、ヒトと同じ配列のFOXP2を持っており、喉の構造も似ているので、ある程度の言語能力を持っていたに違いない。しかし、ネアンデルタール人が暮らしていた洞窟には、ヨーロッパに進出したヒト(クロマニオン人)が描いたような壁画や、副葬品とともに死者を埋葬した確実な証拠は見つかっていない(10)。これらの違いは、ネアンデルタール人とヒトの間の言語能力の差に関係していると考えられる(11)。

 DNA配列の証拠から、ヒトがアフリカを出てヨーロッパやアジアへの移住を開始したのは約6万年前だと考えられるが、考古学的な遺跡の証拠によれば、約10万年前にもレヴァント地方(現在のレバノン付近)に進出し、ネアンデルタール人と一緒に暮らしていた。

 しかしこの遺跡では、約7万5000年前にヒトは消失し、再びネアンデルタール人だけの時代が続いた(12)。つまり、最初にアフリカを出てレバノンに到達したヒトは、ネアンデルタール人との競争に敗れた可能性が高い。

 その後、約6万年前にヒトの大移住が開始された。10万年前のレバノン進出から約4万年のこの間に、ヒトに何らかのイノベーションが起きた。船を製造する技術や、壁画を描く能力や、死者を埋葬する心性をヒトは発達させたのだ。これらの変化を支えたのは、言語能力の高度化だと考えられる(11)。

言語を使いこなす優位性

 言語を使うことには、数々の効用がある(11、13)。第1に、言語は複雑な推論を可能にする。言語によるコミュニケーションを通じて、人は相手が何を考えているかを推論し、その推論にもとづいて相手の意思や感情に働きかけることができる。推論を可能にする思考能力自体は言語以前に進化したと考えられているが、言語の使用によって相手の言葉の裏を考えるような複雑な思考が可能になった。

 第2に、言語は概念を豊かにする。人間は言語を使わなくても事物や現象を概念化できるが、たとえば色をあらわす多くの言葉を使うことで、世界をより豊かに認識できる。また、木・草・獣・鳥などの分類的概念を使うことで、多様な対象をより少数の要素に要約し、世界をよりシンプルに理解できる。この概念化は、数による定量化の前提である。

 数は、対象の具体性を捨象し、数的側面のみを概念化したものであり、この概念化によって人は、事物を数えることができる。対象が石であろうが魚であろうが「いち、に、さん」という単語で数えることができるのだ。

 言語を使わない思考では、人間は「いち、に、たくさん」という概念しか使わないことが分かっている。「さん」以上の数量的な言語を持つことではじめて、より多くの量の間の関係を理解し、事物を測量することが可能になった。

 船を製造するには、ある程度の測量が必要なので、約6万年前のヒトには数に関するかなり高度な語彙がそなわっていたはずだ。死者を副葬品とともに埋葬する習慣もまた、「死」という概念や、死者の世界への推論があったことを物語っている。

 第3に、言語は知識を蓄積し、伝達することを可能にする。言語はまた、集団が共有するルールを決めることを可能にする。そして、集団内での高度な分業にもとづく協力行動を可能にする。このような言語を基礎にした集団の協力行動において、おそらくヒトはネアンデルタール人との競争において、大きな優位性を獲得したに違いない。この優位性は、これからのゲノム研究でさらに検証されていくことだろう。

 ヒトは言語を獲得したことで推論能力を高め、科学・技術を発展させ、ついに自分たちの進化の歴史を理解しはじめた。そして、私たちにヒトの活動が地球環境に大きな影響を与えていることも理解するに至った。言語を使うことで、私たちは人類社会の未来についても、さまざまな可能性を考えることができる。これらの可能性の中から、より良い選択肢を選び出す作業においても、言語は欠かせない。

 私たちは言語を日常的に何気なく使っているが、この言語を使いこなす能力は、実は驚異的な能力なのだ。ゲノム科学はこの驚異的な能力の背景をまだほとんど解明できていないが、FOXP2を含む領域の研究から、近い将来に大きな発見が生まれる可能性がある。

ネアンデルタール人やデニソワ人と交雑しても、この領域だけはまったく変化しなかったことから、この領域にはヒトがヒトたる理由を説明する大きな秘密が隠されているようだ。その秘密が解かれる日が待ち遠しい。

さらに学びたい人のために

ヒトの進化についてさらに学ぶうえでは、まず『人類進化の700万年』(1)を読むのが良いだろう。読売新聞記者による著作であり、2005年までの研究の成果が多くの図や写真を用いてわかりやすく解説されている。別冊日経サイエンス『化石とゲノムで探る人類の起源と拡散』(15)には、2006年から2013年にかけて日経サイエンスに掲載された20編の記事(うち19編はScientific American誌に掲載された記事の翻訳)が収録されており、2006年以後の研究の進展を学ぶことができる。たくさんのカラー写真や図が視覚的な理解を助けてくれる。

言語の起源について書かれた本の中では、スティーブン・ミズン(著)『歌うネアンデルタール』(12)が格段に面白い。著者は、単語と文法にもとづく言語の前段階として、より音楽的な言語である「Hmmmmm」をネアンデルタール人が獲得していたというユニークな仮説を提唱している。そして、直立二足歩行の進化にともなってリズムをとるための認知的能力が獲得されたことで、「Hmmmmm」(Holistic, manipulative, multi-modal, musical and mimetic; 全体的、操作的、多様式、音楽的、模倣的言語-「ふむふむ」を意味する英語とかけたネーミング)が発達したと考えている。人類学や考古学の成果を駆使した緻密な考察と、音楽やリズムの役割についての大胆な推論を組み合わせ、人類史についての魅力的なビジョンを提示している。また、子守歌の起源や、集団による音楽活動の意義など、興味深い話題が満載だ。人類史について学ぶうえでは、必読の一冊である。言語についてさらに理解を深めるには、スティーブン・ピンカー著『言語を生みだす本能』(13)と『思考する言語』(14)を読もう。スティーブン・ピンカーは、チョムスキーの言語理論も含め、過去の言語研究を批判的に継承しながら、進化心理学的な視点をとりいれて言語研究に取り組んできた。さらに『心の仕組み』(16)を読めば、思考や心と言語の関係をより深く理解できる。

引用文献

(1)三井誠(2005)『人類進化の700万年 書き換えられる「ヒトの起源」』講談社現代新書

(2)Green RE et al. (2010) A Draft Sequence of the Neandertal Genome. Science 328: 710-722.

(3)Reich D et al. (2010) Genetic history of an archaic hominin group from Denisova Cave in Siberia. Nature 468: 1053-1060.

(4)Paavo S (2014) Neanderthal Man: In Serach of Lost Genomes. Basic Books. スヴァンテ・ペーボ(著)、野中香方子(訳)『ネアンデルタール人は私たちと交配した文藝春秋

(5)Vernot B et al.(2016) Excavating Neandertal and Denisovan DNA from the genomes of Melanesian individuals. Science 352:235-239.

(6) 海部陽介(2016)『日本人はどこから来たのか?』文藝春秋

(7)ヒトの祖先集団がオーストラリアに侵入し、大型の有袋類(カンガルーの仲間)の種を次々に滅ぼしたのは、約4万5000年前である

(8)Yoon CK () Naming Nature: The Clash between Instinct and Science. Princeton University Press. キャロル・キサク・ヨーン(著)、三中信宏・野中香方子(訳)『自然を名づける なぜ生物分類では直観と科学が衝突するのか』NTT出版

(9)Coop et al (2008)The Timing of Selection at the Human FOXP2 Gene. Molecular Biology and Evolution 25:1257–1259

(10)Dibble HL wt al. (2015) A critical look at evidence from La Chapelle-aux-Saints supporting an intentional Neandertal burial. Journal of Archaeological Science 53: 649–657.

(11)  Mithen S (2005) The Singing Neandertathals: The Origin of Music, Language, Mind and Body.Weidenfeld & Nicolson.スティーブン・ミズン(著)、熊谷淳子(訳)『歌うネアンデルタール早川書房

(12)Shea JJ (2003) The middle paleolithic of the east Mediterranean Levant. Journal of World Prehistory 17: 313-394

(13)Pinker, S (1994) The Language Instince: How the Mind Creates Language. Allen Lane.スティーブン・ピンカー 『言語を生みだす本能』上・中・下 椋田直子訳 NHKブックス

(14)Pinker, S (2007) The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature。Penguin. スティーブン・ピンカー (著)幾島 幸子 ・桜内 篤子 (訳)『思考する言語―「ことばの意味」から人間性に迫る』上・中・下 NHKブックス

(15)篠田謙一(編)(2013)『化石とゲノムで探る人類の起源と拡散』別冊日経サイエンス

(16)Pinker, S (1997) How the mind works.Norton. スティーブン・ピンカー 『心の仕組み 人間関係にどう関わるか』上・下  椋田直子訳 ちくま学芸文庫

 

決断科学のすすめ」第4章では以下の4つの節が続きます。

4.2  過去6万年の間、人類の進化は加速した

4.3  ヨーロッパの人たちはなぜ近代化の先駆者になれたのか?

4.4 一目瞭然!この200年で世界はどう変わったのか

4.5 政治的対立をどうすれば乗り越えられるか?

 

 

生物多様性と自然共生圏構想に関するシンポジウム

以下のとおり、3月26日に生物多様性と自然共生圏構想に関するシンポジウムを開催します。これは、九大および私(矢原)が現在仕事をしている九州オープンユニバーシティ・福岡市科学館が、糸島市などと連携してスタートさせる新プロジェクトのキックオフシンポジウムです。環境省自然環境局長の奥田直久さんに、「生物多様性の現状と未来」と題して基調講演をしていただきます。
私は「糸島半島生物多様性」と題して話しますが、この中で、自然共生社会を具体化するための斬新なアプローチを提案します。かなりユニークな提案だと考えています。
生物多様性と自然共生社会」というテーマに関心をお持ちの方にとっては、新しいヒントが得られるシンポジウムになるはずです。多くの方の参加をお待ちしています。
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九州大学アジア・オセアニア研究教育機構(Q-AOS)では、2022年3月26日にオンライン・シンポジウム「糸島半島生物多様性と自然共生圏構想~糸島をSDGsのモデル地域に~」を開催いたします。シンポジウムでは、多発する自然災害やコロナ禍を通じて明らかとなった自然共生社会の必要性を踏まえ、糸島半島生物多様性SDGsの取組を紹介します。下記のリンクより、ご登録いただければ幸いです。
参加費:無料開催日時・スケジュール
2022年3月26日(土)
 13:30-13:40 開会の挨拶(原⽥明/ 九州⼤学副学⻑)
 13:40-14:00 イントロダクション(⽥中俊徳/ 九州⼤学准教授)
 14:00-15:30 基調講演
  ・⽣物多様性の現状と未来(奥⽥直久/ 環境省⾃然環境局⻑)
  ・⽷島半島の⽣物多様性(⽮原徹⼀/ 福岡市科学館館長)
  ・⽷島半島の海と沿岸(清野聡⼦/ 九州⼤学准教授)
  ・⽷島半島の⿃獣問題とジビエ(安⽥章⼈/ 九州⼤学准教授)
 15:30-17:00 パネル・ディスカッション
  「⽣物多様性を守る取組・学ぶ取組・活かす取組」
【主催】アジア・オセアニア研究教育機構(Q-AOS)
【協力】九州大学病院アジア遠隔医療開発センター(TEMDEC)
【後援】九州オープンユニバーシティ、糸島市

飛沫感染・空気感染・エアロゾル感染の基準のあいまいさ

飛沫=飛沫粒子=droplets, エアロゾルaerosols=エアロゾル粒子aerosol particlesという用語の使い方について襟を正したうえで、飛沫感染・空気感染・エアロゾル感染の基準のあいまいさについて、私が理解していることを書きます。もし間違いがあればご指摘ください。この記事を書く理由は、昨年2月以来、新型コロナウイルスに関する情報発信を続けており、科学者としてこの行為を続ける以上、間違いがあってはならないからです。以下に書く記事は私の理解を公開検証するためのものなので、検証以前の記事だということをご了承のうえでお読みください。とはいえ、私なりに論文を読んで、調べたうえで記事を書いています。

昨年2月に新型コロナウイルスに関する論文を読み始めてすぐに気づいた疑問がいくつかあります。

(1)飛沫感染と空気感染を分ける基準として、粒子径5μmが用いられているが、これは妥当なのか?

WHOでは、径5μm以上の飛沫粒子dropletsによる感染を飛沫感染droplet transmission、径5μm未満の「飛沫核」droplet nucleiによる感染を空気感染ariborne transmissionと定義しており、多くの論文でこの基準が引用され、また引用なしで採用されています。飛沫核は飛沫粒子から水分が蒸発した状態のことです。径5μm未満だとすぐに水分が蒸発して飛沫核になると説明されていますが、本当にそうなのか? 論文を調べ、エアロゾルに詳しい友人にも尋ねました。結論として、水分を保持した径5μm未満の粒子は存在するようです。「ようです」とあいまいなことしか書けないのは、このことを証拠だてる論文はまだ確認できていないからです。私の調べ方が足りないのかもしれませんが、努力した範囲では発見できませんでした。この点に関連して、以下の疑問が浮かびました。

(2)新型コロナウイルスは空気感染しない、というのは本当か?

論文を調べてみると、インフルエンザウイルスは径5μm以上の粒子にも含まれることがあり、これらの粒子による感染が生じるという証拠がいくつも発表されていました。これらの論文では、エアロゾル感染aerosol transmissionという用語が使われています。たとえば以下の論文:

Cowling BJ et al. (2013)  Aerosol transmission is an important mode of influenza A virus spread. Nature Communications 4:1935.

この論文では、まず古典的な径5μm基準が書かれています。

A distinction is typically made between larger droplets that are believed to settle to ground within 1–2 m, versus smaller droplet nuclei particles with aerodynamic diameter below 5 μm that can remain airborne for longer periods but may desiccate quickly, depending on environmental conditions.

そのうえで、

These latter particles are also referred to as aerosols and retain infectivity.

と書かれ、論文のタイトルのようにAerosol transmission という用語が使われています。この定義では、Aerosol transmission =空気感染airborne transmissionです。そして、飛沫感染エアロゾル感染(空気感染)の比率はほぼ半々だろうという結論を下しています。

このような論文が出ているので、新型コロナウイルスについてもエアロゾル感染(空気感染)が起きるのではないかと考えました。しかし当時はエアロゾル感染(空気感染)の可能性は低いという見解が専門家から発表されていたので、非専門家の私がそれに異をとなえる発信をすることは控えました。

一方で、もうひとつの疑問が生じました。

(3)径5μm以上の粒子はエアロゾルではないのか?

径30~40μmくらいの花粉でもエアロゾル化しますので、径5μm未満という基準より大きな粒子でも、かなり長時間空気中を漂うのではないかと思いました。この疑問については以下の論文である程度解決しました。

Teiller R (2009) Aerosol transmission of influenza A virus: a review of new studies. J. R. Soc. Interface 6, S783–S790.

The settling velocity in still air can be calculated using Stokes’ law (Hinds 1999); for example, a 3 m fall takes 4 min for a 20 μm particle (aerodynamic diameter), 17 min for
10 μm and 67 min for 5 μm.

ここに、径5μmの粒子は67分間空気中を漂うという計算結果が書かれています。67分間空気中を漂う粒子ならエアロゾル粒子とみなしてよいのではないか、と考えて読み進むと、以下の記述がありました。

There is essential agreement that particles with an aerodynamic diameter of 5 mm or less are aerosols, whereas particles >20 μm would be large droplets. Some authors define aerosols as <10 μm or even <20 μm (Knight 1973; Treanor 2005); particles between 5 and 15 to 20 μm have also been termed ‘intermediate’.

要するに、飛沫粒子とエアロゾル粒子の区別は基準次第ということです。最近発表された以下の論文(IDAさんにもご紹介いただいた論文)では、<100 μmをエアロゾル、これより大きいものを飛沫粒子dropletsとしています。

Wang CC et al. (2021) Airborne transmission of respiratory viruses. Science 373: eabd9149

私には、以下の取り扱いが妥当に思えます。

Gralton et al. (2011) The role of particle size in aerosolised pathogen transmission: A review. Journal of Infection 61: 1–13.

This indicates that expelled particles carrying pathogens do not exclusively disperse by airborne or droplet transmission but avail of both methods simultaneously and current dichotomous infection control precautions should be updated to include measures to contain both modes of aerosolised transmission.

邦訳:このことは、病原体を運ぶ排出された粒子は、空気感染か飛沫感染かのどちらかだけで拡散するのではなく、両方の方法を同時に利用していることを示しており、現在の二分法による感染予防策は、エアロゾル化した感染aerosolised transmissionの両方のモードを抑制する対策を含むように更新されるべきである。

この論文は、空気感染も飛沫感染エアロゾル化した粒子による感染であるという理解の下で、空気感染と飛沫感染の二分法は適切ではないと主張しています。

私が「飛沫はエアロゾル」という言い方をしたのは、この考えにもとづくものです。正確には「従来飛沫粒子と呼ばれてきたものはエアロゾル化した粒子である」という意味です。Wang CC et al. (2021) の<100 μmをエアロゾルとみなす定義だと、会話や咳で口から出る粒子のほとんどがこの定義を満たすので、Gralton et al. (2011) と結論はほぼ同じです。

会話や咳で口から出る粒子のサイズ分布についてはいくつも研究がありますが、

Chao et al. (2009) Characterization of expiration airjets and droplet size distributions immediately at the mouth opening. Aerosol Science 40: 122–133.

によれば、口から出る粒子の大部分は100μm未満です。Chao et al. (2009) はこれらの粒子に対して飛沫粒子dropletsという用語を用いていますが、Wang CC et al. (2021) の定義だとエアロゾルです。

結論として、口から出る粒子の大部分を占める100μm未満の粒子を、飛沫粒子と呼ぶかエアロゾルと呼ぶか、それは定義次第です。会話や咳で口から出る粒子を含んだ気体がエアロゾルであり、その中には大小さまざまな粒子が含まれ、大きいものはすみやかに落下し、小さいものはすみやかに飛沫核に移行するが、その状態変化は連続的だ、という理解でよいのではないでしょうか。

 

エアロゾルの定義

飛沫はエアロゾルだとツイートしたら、それは違うというご指摘を受けて、「飛沫はエアロゾル」という強情な記事を書きました、しかし、エアロゾルに関して私の理解が適切でないことが判明したので、記事を全面改訂します。

私は個々のエアロゾル粒子をエアロゾルaerosolsとは言わないと理解していました。エアロゾルは粒子と気体の混合体のことであり、個々の粒子はaerosol particlesだと理解していました。しかし、

エアロゾルペディアの解説

によれば

エアロゾルは、空気中に微小な液体粒子(droplet)や固体粒子(particle)が浮遊している分散系、あるいは浮遊している粒子そのものを意味する。後者のように、微粒子そのものを意味する場合には、エアロゾル粒子(aerosol particles)とよぶこともあるが、通常はわざわざ区別せずに用いることが多い。」

と明記されています。

これが現在専門家が用いている定義とわかりましたので、以後この定義に従います。

なお、ウィキペディア日本語版には

なお俗に、微粒子のことをエアロゾルと呼ぶことがあるが間違いである。

と書かれています。日本語版はときどき間違っているので、いつも英語版を比較参照するようにしていますが、英語版でも

Aerosol is defined as a suspension system of solid or liquid particles in a gas. An aerosol includes both the particles and the suspending gas, which is usually air.

と書かれており、これを読む限り、エアロゾルはシステムであって、個々のparticleはaerosolではないと理解されます。

日本エアロゾル学会のウェブページ でも

気体中に浮遊する微小な液体または固体の粒子と周囲の気体の混合体をエアロゾル(aerosol)と言います。

と書かれています。そのほか、私の専門に近い分野でエアロゾルについて書かれた論文を読んだ経験の範囲では、個々の粒子をエアロゾルと書いた論文を知りません。そこで、医学分野で個々の粒子をエアロゾルと呼んでいるのは特殊な用法と思っていました。この点は誤解でしたので、訂正します。

あわせて、飛沫と飛沫粒子を区別する用法はやめます。私は、飛沫は飛沫粒子・飛沫核を含む、さまざまな粒子が含まれたエアロゾル、という理解をしていましたが、この用法は混乱を招くことがわかりました。以後、エアロゾルエアロゾル粒子、と同じように、飛沫=飛沫粒子=dropletsという用法を使います。

このように、用語の混乱を避けるように襟をただしたうえで、医学系論文において飛沫とエアロゾルの基準が定まっていないことについて、次の記事で書きます。長くなるので、ひとまずここで記事を区切ります。

 

大濠公園の景観

大濠公園美術館周辺には在来種カンサイタンポポが自生しています。水路や樹林もあります。このエリアの景観の動画を撮ってきて、インスタグラムにあげました。

 
 
 
 
 
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楽観的な人ほど予防行動をしていない

新型コロナウイルス感染症流行下の心理的状況・予防行動と性格の関連について調べた研究の結果が、昨日PLOS ONE誌に公表されました。

-https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371%2Fjournal.pone.0235883&fbclid=IwAR04m79ME4RkuB4ja05wQTGRQp6xfNvXc7Prr3eSL3B9Nbb6SSWg30tkimk

新型コロナウイルス感染症の緊急事態宣言発出直後の2020年4月8日からオンライン調査を開始し、第一回の調査では日本全国から1856名の有効回答を得ました。その後6月中旬まで毎週調査を実施し、10回分の時系列データを得ましたが、今回の論文は第一回の調査結果を分析したものです。この研究では、市民の性格が予防行動や心理的負担(ストレス・不安・抑うつなど)に影響するのではないか、という点に注目しました。人の性格には、神経質・外向性・協調性・良心性・開放性という5つの基本因子(ビッグ5)があることがわかっています。これらはいずれも、人間の協力行動とともに、おそらく多様化を促す選択圧の下で進化した性質です。いずれの性格因子においても、人はきわめて多様です。この多様性(個人差)に注目した本研究の結果、5つの性格因子はすべて予防行動に有意に関係していました。神経質・外向性・協調性・良心性・開放性のそれぞれにおいて傾向が強い人ほど予防行動のレベルが高いという結果が得られました。このような個人差が、感染リスクの違いを生んでいる可能性があります。神経質傾向が弱い人(=楽観的な人)、外向性傾向が弱い人(=他人の評価を気にしない人)、協調性が低い人は、予防行動をしっかりとるように、自覚を強めてほしい。良心性は自制心と関係が強い性格因子です。自制心が弱い人は、自分ではなかなか予防行動をとれない可能性があります。周囲のサポートが必要でしょう。開放性は知識欲と関係しています。感染の動向などをあまり気にしたい人は、予防行動レベルが低いかもしれません。教育の機会を増やし、予防に関する正確な知識を普及することが重要だと考えます。論文投稿後に、これらの結果についてさらに分析を進めています。5つの性格因子は、因子分析という方法で評価されています。この方法は、性格因子間の相関を許しています。行動生態学的には、5つの性格因子間の相関が気になります。相関がマイナスならトレードオフがあると考えられます。この相関について調べてみると、やはりトレードオフが見つかりました。この点は、基礎科学的にも感染対策上も重要と考え、分析作業を進めているところです。結果を早く論文にまとめたいと思いますが、本業の絶滅危惧植物調査も繁忙期に入りつつあり、時間が足りません。