ヒトにおける進化の加速

最近読んだ論文の中で、もっとも興味深かったものをあげておこう。

  • Hawks et al. (2007) Recent acceleration of human adaptive evolution. PNAS 104: 20753-20758.

ヒト遺伝子の適応進化に関する論文は最近いくつも出ているが、そのなかでこの論文は、以下の3点を指摘した点で、特筆に値する。
(1)過去8万年間に、ヒトの適応進化は加速した。(この論文の主要な結果)
(2)この間、ヒトの個体数(つまり人口)は増え続けてきた。つまり、人口増という非平衡状態で適応進化が続いてきた。
(3)ヒト集団に見られる多型の中には、正の自然淘汰を受けて増えてきた対立遺伝子がまだ固定していないと考えられるケースが少なくない。
(1)の論証法は次のとおり。まず最近利用可能になったヒト集団の大規模SNP情報をもとに、連鎖不平衡を手がかりに、selective sweepを検出する。正の淘汰の作用が統計的に有意なケースについて、2つの対立遺伝子の分岐年代を推定する。そして、その分岐年代の頻度分布が、進化速度一定のモデルと、(2)の人口増モデルのどちらに合うかを検討する。
論文のFigure 1には、横軸に時間(8万年前〜現在)をとり、縦軸に推定分岐年代の観察数をとったプロットが描かれている。分岐年代の頻度分布は、見事に右肩上がりの(つまり新しく分岐した対立遺伝子が多い)傾向を示す。
実は、適応進化速度が加速したことを論証するには、集団中の頻度が78%をこえているnear fixed alleleと、それ以下の多型的なalleleを区分して比較することが重要なのだが、この点を詳しく知りたい方は、論文を直接参照されたい。
8万年前といえば、アフリカを出たホモ・サピエンスが、ヨーロッパやシベリアなどに分布を拡大した時代である。その時代以後、人口増加が続いてきたことは、考古学や歴史学の証拠から確かである。人口が増加しつづける中での適応進化は2つの点で興味深い。第一に、人口が増えるほど、突然変異率は同じでも、有利な突然変異の供給数は増える。第二に、人口が増え続ける状況の下では、やや不利な対立遺伝子の頻度が減っても、その対立遺伝子を持つ個体の数はなかなか減らない。
有名なグラントチームのダーウィンフィンチの研究を思い出そう。旱魃で個体数が大きく減少したときだけでなく、雨が降り個体数が急激に増えたときにも、自然淘汰は作用した。体サイズや嘴サイズの平均値は小さくなったが、この過程できわめて大きな変異が維持された。ヒトの場合には、8万年の長きにわたり、人口を増やし、分布を拡大してきたのである。その過程で、新しい環境に進出し、新しい環境の下での有利な突然変異が新しくあらわれ、それらが自然淘汰によって増えてきたが、多くの場合まだ固定には至っていない。こんな種は、他に例がない。(農耕にともなって分布をひろげた雑草の進化は、ヒトに似ているかもしれない)
長谷川眞理子さんは、「私たちのからだの基本設計は、狩猟採集生活に合うようにできているのであり、最後の一万年に急速に起こった変化に合わせて、リアルタイムでそれについていくような変化は起きていません」(ヒトはなぜ病気になるか、ウェッジ選書、2007、87-88)と書かれているが、実際には農耕が開始された最後の一万年以後も、リアルタイムの適応進化が続いてきた。
たとえば、ヨーロッパの人たちではラクトース分解酵素の活性が高く、これは乳製品を多く食べるようになって以後のラクトース分解酵素遺伝子の適応進化による。アンジオテンシノーゲン遺伝子には、アフリカに多い、血圧をあげやすい対立遺伝子と、ユーラシアに多い、血圧をあげにくい対立遺伝子があるが、この2つの分岐も2-4万年前と推定されている。血圧をあげにくい対立遺伝子がひろがったのは、人類が塩分をたくさんとるような食生活に変わってからのことだろう。

※今日はAO入試のあと、生態学Iの採点と、生物科学通論の採点を済ませた。その後、月曜日に研究戦略課に提出するグローバルCOE申請書の改訂版を作成した。これだけで一日を終えるのはややむなしいので、上記の論文を部分的に読み返して、気分をなおした。上記の論文の解析方法については、まだ完全な理解には到達していないのだが、今日はこれまでとしよう。明日はようやく、いくつかの原稿改訂作業にとりかかる。