5月をふりかえって

4時半すぎに九大小松門で大きな荷物をタクシーに積み、17時04分発の「ひかり574号」にかけこんで岡山に移動した。いまは徳島に向かう「うずしお25号」の車中にいる。今夜は徳島駅前第一ホテルに泊まり、明日から4日まで、卒業研究生のSさん、大学院生のYさんと、ジンリョウユリの調査をする。
今日で5月が終わる。今月は大きな仕事がいくつもあり、とりわけ忙しい月だった。8-10日開催したJBONワークショップでは、200名をこえる参加者を得て、良いスタートを切ることができた。このワークショップ最終日に採択した行動計画によれば、5月中をめどに提言をまとめることになっている。残念ながら、まだこの仕事を終えていない。徳島滞在中に、提言の準備に協力をお願いした方々にもういちど、より具体的なお願いをしたいと思う。
5月14日には、グローバルCOEのヒアリングを受けた。3年目にしてついに書類選考(一次選考)をクリアし、二次選考(ヒアリング)に呼ばれたのである。このため、JBONワークショップ直後の11日から13日までは、プレゼンの仕上げや学内リハーサルなどに追われた。私としては人事を尽くし、ベストのプレゼンをした。ヒアリングが終了したときには、1万メートルを全力疾走したあとのような疲労感を感じた。
15-16日には、福岡県と大分県の県境に位置する犬ヶ岳にでかけた。福岡県植物RDB見直し調査のためである。犬ヶ岳は私にとってとくに思い出深い場所だ。中学生時代に、福岡植物友の会の例会でこの場所を訪問した。笈吊峠で見た100株をこえるサルメンエビネの大群落は、いまでも鮮明に思い出すことができる。うぐいす谷で見たツクシオオクジャク類似のシダは、その後新種ツツイイワヘゴとして発表された。尾根筋のブナ林内には、中学生の私の身の丈をこえるスズタケが密生していた。
40年の時を経て訪問した犬ヶ岳は、無残にも変わりはてていた。笈吊峠のサルメンエビネが消失していることは想定内だが、サルメンエビネどころか、そもそも林床の植物がない。群生していたユキザサは、同定に迷うほどの小型個体がわずかに残っているだけだった。スズタケは完全に消失していた。シカが食べつくしたのである。
ツツイイワヘゴは、数年前に自生を確認されたSさんに案内していただいたのだが、ついに発見できなかった。ツツイイワヘゴをはじめ多数のシダが密生していた谷筋の林床には、シダ類の姿はなく、公園のように落ち葉が積もっているだけだった。
「終わっている」・・・そう思いながら、呆然と立ち尽くすしかなかった。
大学に戻ってから、福岡県の特定鳥獣管理計画を調べてみた。犬ヶ岳は「保護区」に指定されており、シカの害獣駆除は実施されていない。
次の週の前半には疲れが出た。集中力が途切れ、凡ミスが続いたので、早めに帰宅し、疲労をとること努めた。週の後半に屋久島に渡り、ヒイラギナンテンの自生を確認したことはブログに書いた。
日曜日の始発便で屋久島から戻り、自宅で着替えたあと、2時過ぎの便でソウルに飛んだ。月曜には、韓国国立樹木園開園10周年記念シンポジウムで講演をした。シンポジウムで講演をすれば良いだけだと思っていたのだが、午前中の記念式典で壇上にのぼり、テープカットに参列させていただいた。考えてみれば、「国立」植物園の開園10周年を記念する日である。招待していただき、大変光栄だった。式典では、韓国の楽器による演奏もあった。曲目はなじみのあるカーペンターズムーンリバーだが、韓国風にアレンジされていてとても良かった。
韓国国立樹木園は、もともと朝鮮王朝の王陵の地として500年間管理されてきた場所を、日本が演習林として利用したと聞いた。ネットで検索してみると、http://www.koreaplants.go.kr/200110/eng/1introduction_history.htm
に韓国国立樹木園の歴史がまとめられており、以下のように説明されている。
In 1911, just after Korea was annexed by Japan, a large area of the forest, except that directly belonging to the tomb was classified as a "First Class Preservation Forest" during the national forest census and classification. Later it became the Kwangneung Experimental Forest
この「演習林」は、おそらく九大の南朝鮮演習林だと思う。
http://www.forest.kyushu-u.ac.jp/jyoho/exhibition/center/ayumi.html
によれば、1912年に「朝鮮演習林(16888ha)を朝鮮総督府から借地して設置(のち南朝鮮演習林と改称)」とある。1911年の韓国併合の翌年に設置されており、上記の記述と時期的にぴったり合う。深い縁を感じる。九大演習林には、当時の植物標本や調査資料が残されているはずである。これらを現状と比較することで、過去100年間の植生変化について有力な証拠が得られるかもしれない。
韓国国立樹木園の森林は、非常に良好な状態で維持されており、LETRサイトとしても利用されている。キタタキは残念ながら消失したそうだが、まだトラは生育しているという。園内には、トラを飼育している檻もあった。園内には、今回開設された第2温室をはじめ、立派な施設がある。ハーバリウムやシードバンクの状態は日本よりはるかに良い。日本の森林総研に相当する研究機関でもある。これを機会に、今後も交流を続けていければと思う。
韓国からは、ウェブのスケジュール表より一日早く、木曜日に戻った。金曜日はたまっている急ぎの仕事に対応するはずだったが、突発の緊急用務が生じた。補正予算で、伊都キャンパスに風レンズ発電の設備を設置することができる見通しとなり、保全緑地内の尾根筋に設置する案の図面が届いた。案では、伊都キャンパス内でもとくに状態の良い林を伐採する計画になっていたため、施設部をはじめ関係者と金曜日に現地視察をすることになった。「風レンズ発電の設備を設置する」工事とセットで用地取得を進めるという施設部の発案が予算化されたのは朗報なのだが、自然にやさしいエネルギーの実証試験のために森を伐ってしまっては、せっかくの実証試験にも傷がつく。現地視察の結果、以前に畑や蜜柑園の管理道として使われていたルートを使って工事用の道路を作り、竹林や若い痩せた林の場所を利用して「風車」を設置するという案で合意を見た。以前の管理道ルートを工事用の道路に利用することで、道路をつくるための地形の改変は不要となり、工事費もかなり安くなる。先駆樹が進入して暗くなったかつての管理道を再び道路として利用することで、林縁環境が回復し、植物の多様性も高まるはずだ。
「風車」を設置する場所ではある程度の面積を伐採して基礎工事をする必要になるが、竹林化した果樹園跡地の竹を除去し、植生を回復させる作業とセットで行えば、全体としての環境はかえってよくなるだろう。道路の入り口に沈砂地を作り、工事後に残してもらう提案も内諾された。この場所の側溝では、春先にニホンアカガエルがしばしば産卵しているが、すぐに水が干上がって、幼生が死んでいる。池を作ればニホンアカガエルは確実に回復するし、カスミサンショウウオも回復するかもしれない。
風レンズ発電という九大独自の新しい自然エネルギー利用技術と、里山生物多様性保全とのコラボレーションが実現できそうである。
韓国に発つ前から、アジアの生物多様性観測ネットワーク構築などを目標にした7月のアジア会合のアレンジに時間を割いた。日本学術振興会の費用で7月18-20日にASIAHORCs生物多様性シンポジウムを、環境省の費用で21-22日にアジア太平洋地域の生物多様性観測ネットワークに関するワークショップを開催する。ASIAHORCs(アジア研究助成機関長会議)シンポのほうは、人選がかなり進んでいる。いくつかの事情から後回しにしていたインド、フィリピンの人に招待のメールを書いた。環境省ワークショップのほうは、環境省から招待予定者リストが届いたので、2つの会議がうまくつながるように考えながら、かなりの数のメールを書いた。
このような仕事で忙しくしているうちに、大学院生から3つの原稿が届き、Nさんの投稿論文の再投稿期限も迫ってきた。昨日、今日は、Nさんの投稿論文に対応した。本人がややあせり気味だったので、1週間ほど再投稿期限を延長してほしいという依頼状を送ることを勧めた。延長を依頼するに足る事情があったので、認められるはずである。あと一息だ。がんばれ。
そして明日から4日間は、ジンリョウユリの研究をする卒業研究生の現地指導。4日夜には名古屋に移動し、5日には名古屋大学でJBON説明会を開く。6日は鹿児島に飛んで、グリーンヘルパー養成講座で講演する。
うずしお25号」の車中の時間を使って、5月のまとめができた。しかし、揺れる電車の中で文章を書くと、さすがに少し気持ちが悪い。
今日はこれにて。おやすみなさい。