MHCによる配偶者選択

今日は日曜日だが、明日の「生態学II」の授業の準備をしている。結局、ほぼ一日を費やしてしまった。
明日は、教科書(Evolutionary Analysis)の第12章「老化と生活史形質」を終えて、第11章「血縁淘汰と社会行動」に入る予定。「生態学I」で学んだ適応戦略の考え方を第12章で復習してから、第12章を解説するほうが良いと考え、講義でとりあげる順番を入れ替えた。
第11章は、血縁度の説明と、alarm calling, helperの説明で、おそらく時間切れになるだろう。しかし、その次にとりあげる「血縁認識」についても、最近の論文をレビューしてみた。
教科書で紹介されている、MHCによる血縁認識(Manning et al 1992の有名な研究)に加えて、MHCによる配偶者選択についてはぜひ紹介しておきたい。
MHCによる配偶者選択については、Claus WedekindによるTシャツ実験があまりにも有名である。男子学生に着せたTシャツを回収し、女子学生に「匂いの魅力」を10点満点で評価させたという実験だ。MHCの遺伝子型が似ている男性と似ていない男性の間で、匂いの魅力のスコアを比べると、似ていない男性のスコアが有意に高かった。対照として調べた「匂いの強さ」のスコアでは差がなかった。どうやら女性は、男性の「匂いの魅力」を手がかりにして、MHCの遺伝子型が似ていない相手を選んでいるようだ。
この研究ではさらに興味深い分析が行なわれている。経口避妊薬を服用している女性と服用していない女性のスコアを比べると、「匂いの魅力」の得点が逆転していたのである。つまり、経口避妊薬を服用している女性は、本来好むはずの、MHCの遺伝子型が似ていない男性の匂いに対して、平均より低い点をつける傾向を示したのである。
この結果から、「ステディなカップルには、経口避妊薬はオススメできない」という結論が導かれた。1995年に発表されたこの研究は、当然のことながら、大きな反響を呼んだ。
より詳しくは、WikipediaのClaus Wedekindのページを参照されたい。生態学者でWikipediaの項目に名前があがるのは、きわめて例外的なことである。
ちなみに、Clausは九大で開いたシンポジウムに招待した経緯があり、2004年からEcological Researchの編集委員もつとめていただいている。現在、スイス・ロザンヌ大学の准教授である。ウェブサイトの写真からうかがえるように、非常に穏やかな方である。また、関心の幅が広く、ウェブサイトにリストされている研究テーマには、釣りやハンティングの下での対象生物の進化、水質汚染が水生生物に及ぼす影響、などの保全生物学に関連する研究や、「コモンズの悲劇」をどう解決するかに関するゲーム理論の研究、などがある。
MHCによる人間の配偶者選択について、その後の研究の発展が知りたかったのだが、配偶者選択自体に関してはこれと言って大きな進展はないようだ。

  • Jacobs, S. et al. (2002) Paternally inherited HLA alleles are associated with woman's choice of male odor. Nature Genetics 30: 175-179.

が表題どおりの結果を出し、女性はMHCの遺伝子型が似ている男性の匂いを好むと主張して注目を集めているが、ClausがNature Genetics誌上で分析の方法について批判をしている。
この問題については、「MHCの遺伝子型」の効果が、複雑なMHC領域のどこに起因し、どのような機構で匂いと関連するのかが解明されない限り、すっきりした解答は得られないだろう。
幸い、MHC領域に関する分子レベルの研究は、着実に進展している。

  • Ziegler, A. et al. (2005) Female choice and the MHC. Trends in Immunology 26: 496-502.

には、この分野の最近の進歩が要領よくレビューされている。しばらく前に、MHC Class I遺伝子に隣接する領域に、嗅覚受容体遺伝子が見つかり、注目を集めたが、この遺伝子に関する研究の進歩についても解説があって、ありがたい。
具体的には、OR2W1, OR2B2という2つの嗅覚受容体遺伝子があり、いずれも精巣で発現している。この2つの遺伝子は、ヒトゲノム中でもっとも多型的な0.3%に入り、正の淘汰を受けている。また、鼻腔にもMHC由来の匂いを検出する受容体があるようだが、こちらの実態はまだよくわかっていない。

  • Boem, T. and F. Zufall. (2006) MHC peptides and the sensory evaluation of genotype. Trends in Neurosciences 29: 100-107.

という総説も出ている。こちらはまだきちんと読めていない。次回の授業までに読んで、最近の進歩をカバーしておこう。
人間以外の脊椎動物での研究の進歩に関しては、トゲウオの研究をしているMillinskiが次の総説を書いている。

  • Millinski, M. (2006) The major histocompatibility complex, sexual selection and mate choice. Annual Review of Ecology, Evolution and Systematics 37: 159-186.

これらの総説を読むことで、最近の進歩はだいたいカバーできそうだ。
適確で要領の良い総説は、ほんとにありがたい。