新しい生物地理学の胎動

生物地理学は古くて新しい学問である。その歴史は、近代生態学の成立以前にさかのぼる。若きダーウィンを世界一周の旅にいざなったフンボルト旅行記は、生物地理学のひとつのルーツと言えるだろう。生態学の発展初期には、植生の地理分布に関する研究がさかんに行なわれた。しかし、分布パターンに関する記述的な研究は、近代生態学の発展とともに、古臭いものとみなされるようになった。第二次大戦後は、生態系生態学、個体群生態学、進化生態学、群集生態学などの発展の中で、分布パターンの研究はほとんど忘れ去られたと言っても過言ではないだろう。
マッカーサー・ウィルソンによる「島の生物地理学」の理論(1963,67)は、「生物地理学」という分野に新しい光をあてた。しかし、それは種多様性を説明するための動態モデルであり、生物の地理分布という古典的なテーマをとりあげたものではなかった。マッカーサー・ウィルソンの研究は、ハベルの群集中立モデルに引き継がれ、「生物多様性と生物地理学の統一理論」(2001)として結実した。ハベルの理論は、熱帯雨林がなぜ多様か、といった地理的パターンにもある種の回答を与えており、古典的なテーマとの接点がある。
一方で、分子系統学の大きな発展とともに、系統樹にもとづく生物地理学(系統地理学)が誕生し、地理分布パターンが成立する歴史に関する強力なアプローチを提供した。
また、GISの発展とともに、地理分布を規定している諸要因を組み込んだ回帰モデルの研究が進んできた。最初は単純なロジスチック回帰が用いられ、空間的自己相関を考慮した空間明示モデル、さらに階層ベイズ法をとりいれたモデルなどが急速に普及してきた。こちらは、過去の歴史は無視して、現在の環境要因がいかに地理分布を規定しているかを研究している。
さて、これら3つのアプローチは、いずれも地理分布のパターンを研究対象にしている。とすれば、これらの方法論を統合することによって、生物の地理分布をより深く理解できるはずである。
では、GIS系統樹をつなぐにはどうすれば良いだろうか。そしてそれをさらに、移入・種分化と絶滅の動態理論とつなぐにはどうすれば良いだろうか。
1999年以来、九大新キャンパスで全植物種の分布を調査し、その調査法を屋久島に拡張してきた。この過程で、上記の問題をずっと考えてきた。この問題への答えが、最近になってようやく見えてきた。
Ecology誌は昨年7月に、"Integrating phylogenies into community ecology"という特集号を出した。この特集号に掲載された14編の論文は、上記の問題を考えるうえで、非常に参考になる。
私は、屋久島の垂直分布のデータを系統樹にもとづいて解析する「妙案」を思いついたのだが、幸いこの方法はまだEcology誌特集号の著者たちは思いついていないようだ。私の「妙案」は、垂直分布だけでなく、植物種間の資源利用パターンの多様性一般に使える。たとえば、屋久島では多数の樹木やつる植物に関する開花フェノロジーのデータがとられている。この開花フェノロジーの解析にも使える。かなり楽しみである。
開花フェノロジーについては、私自身が埼玉で調査したことがあるので(「花の性」参照)、帰無群集にもどつく検定法について勉強したことがある。しかし、現時点で考えて見れば、系統を無視して種をランダマイズしてもダメである。
これまでの群集生態学の研究では、空間スケール(分布)も、時間スケール(歴史)も無視することが多かった。これからは、空間スケール(分布)と時間スケール(歴史)の両方を考慮に入れた研究が本格化するだろう。
それは、新たな生物地理学を生み出すだろう。
長い歴史を経て、生態学は、生物地理学を中心的な課題として、再発見したようである。