環境史とは何か
昨年6月28日のブログ「自然共生社会を支える伝統知と科学的思考」で紹介した本がついに出版され、今日、研究室に届いた。タイトルは次のように修正された。
シリーズ「日本列島の三万五千年‐人と自然の環境史」1
環境史とは何か
湯本貴和(編) 松田裕之・矢原徹一(責任編集)
ISBN:9784829911952
文一総合出版 4000円+税
目次は以下のとおり。
第1部 生物多様性と「賢明な利用」
- 第3章:生物文化多様性とは何か(今村彰生・湯本貴和・辻野亮)
- 第4章:人類五万年の環境利用史と自然共生社会への教訓(矢原徹一)
- 第5章:世界の自然保護と地域の資源利用の関わり方(池谷和信)
- コラム1:ワサビ‐ふるさとの味をおもう(山根京子)
第2部 「賢明な利用」とは何か
第3部 重層する環境ガバナンス
- 第8章:前近代日本列島の資源利用をめぐる社会的葛藤(白水智)
- 第9章:木材輸送の大動脈・保津川のガバナンス論(森本早苗)
- 第10章:足もとからの解決‐失敗の歴史を環境ガバナンスで読み解く(安渓遊地)
- 終章:生物資源の持続と破綻を分かつもの‐未来可能性に向けて(辻野亮)
目次をご覧いただければわかるように、本書のキーワードのひとつは「生物多様性」、そしてもうひとつのキーワードは、「賢明な利用」である。これらのテーマに関心のあるすべての方に、ぜひ一読をお勧めしたい。本書を読まずして生物多様性を語るなかれ、と言っても、きっと言い過ぎではないと思う。
本書の特徴は、環境史、つまり人間と環境の関わりの歴史を通じて、生物多様性の問題をとらえていることだ。しかも、日本列島に日本人が住みついて以後の、3万5千年の歴史を見通す新たな視点が、本書には書き込まれている。扉には、「社会・人口」「森林利用」「狩猟」「獣害・牛馬」「草地と草」に関する「環境史年表」が描かれている。この年表を見るだけでも、私たちが生きている時代を考えるうえでのさまざまなヒントが得られるに違いない。
本書は、生態学者と歴史学者の本格的なコラボレーションによって実現した。これは画期的なできごとだ。生態学のひとつのルーツはダーウィンにあるので、生態学はもともと歴史科学的側面を持っている。しかし、20世紀に入ってからの近代生態学は、生態系や種・個体群の歴史的側面を捨象し、再現性のある動態のモデル化を通じて発展してきた。戦後の進化生態学・社会生物学の発展を通じて、生態学の体系は大きく変化し、その中心に進化的思考が導入された。さらに、系統樹にもとづく比較法が用いられるに至った時点で、生態学に歴史科学の枠組みが本格的に導入された。しかし、この時点でもなお、地球環境が絶えざる変化を続けており、また人間が地球環境を変え続けてきたという事実を、生態学はまじめにとりあげていなかった。
この状況を変えるきっかけとなったのは、保全生態学の研究である。保全生態学は、たとえばトキやサクラソウのような、個々の生物種の研究からスタートした。しかし保全生態学者はすぐに、生息地全体の保全、生態系全体の保全という課題と向き合う結果となり、やがて人間活動による環境の変化の総体を対象とするようになった。その結果、人間が環境をどのように変えてきたかという問題を考えざるを得なくなった。
この問題に真剣に取り組み、体系的な成果を世に問いかけたのは、ジャレド・ダイヤモンドだと私は思う。この点については、私が書いた第4章の最初の節「ダイヤモンドの方法」を参照されたい。この節で解説したように、『銃・病原菌・鉄』や『文明崩壊』において彼が依拠したのは、進化生物学的比較法にほかならない。ただし、系統樹にもとづく比較法が数百万年をこえるはるか遠い過去のできごとを対象にしてきたのに対して、ジャレド・ダイヤモンドは人間が約1万年前に農業を開始して以後の歴史を対象にした。私は、ダイヤモンドよりももうすこし時代を遡り、人間がアフリカを出てヨーロッパやアジアに移住を開始した約5万年前からスタートして、「人間はどのようなときに自然を壊し、どのようなときに自然を守ったか」という問題について考察した。
歴史科学を含む社会科学の関連文献にも可能な限り目を通し、この問題について包括的なレビューをしたつもりである。しかし、個々の歴史的イベントの詳細に関しては、調べが足りなかった点もあるに違いない。その点は、多くの方々のご批判を仰ぎながら、今後さらに検討を深めていきたい。
私の節では、西欧的自然観と日本的自然観の二分法についても批判的にとりあげた。このような形式論理的な二分法は、アフリカを出た人間の祖先集団の自然観が、ヨーロッパやアジアなどの移住先における歴史的過程を通じて変化してきたという事実を適切に考慮していない。人間と自然を一体のものとみなす自然観は、日本、あるいは東洋だけに限定されたものではなく、おそらくアフリカの人間社会に由来する祖先形質だろう。西欧的自然観はその後の歴史的過程を通じて発展した派生形質であり、しかも歴史的に変化し、利用主義と保護主義という考えに多様化した。
もちろんこれは一つの仮説である。ただし、現時点で得られる証拠にもとづく、蓋然性の高い仮説である。仮説だからといって、どんな主張でも許されるわけではない。
私の節で述べた仮説の中には、今後の研究で棄却されるものもあるかもしれないが、私たちの歴史に関する認識は、仮説を棄却するプロセスを通じて進歩するはずだ。過去の歴史に関しては、実験的に証明することはできない。したがって、より蓋然性の高い仮説を選ぶことこそが、歴史科学の基本的な方法なのである。
本書は、生態学と歴史科学を融合させようとする日本ではじめての試みである。その試みはまだ初歩的な段階かもしれないが、本書によって、確実に礎は築かれた。生態学者にも、歴史学者にも、ぜひ読んでほしい。
本書を通じて、文理をつなぐ新しい知の扉が開かれる興奮を、少しでも読者に伝えられることを願っている。