エコゲノミクスは進化生態学をどう変えるか?

日本生態学会新潟大会で開催されたシンポジウム「エコゲノミクス: ゲノムから生態学的現象に迫る」の講演者4名による総説原稿が手元にある。日本生態学会誌の特集に収録される。総合討論でコメンターをつとめたSくんと、2名の参加者によるコメントも掲載される。どの原稿も、面白い。この特集は、注目を集めるだろう。
私は、この特集の総括論文を書くように依頼されている、そこで昨日は、「エコゲノミクスは進化生態学をどう変えるか?」と題する原稿をほぼ書き上げた。午後に、東大に出かけて、関連する新しい文献を20編ほどダウンロードしてきた。これからそれを読んで、加筆・推敲すれば、原稿は完成する。この原稿は、ぜひ書きたいテーマについてのものなので、すぐに書けた。冒頭部分は以下の通り。

「黒船」−社会生物学、あるいはより一般的に、進化生態学と呼ばれる分野の考え方がわが国に導入された当時の衝撃を、岸(1980)はこう表現した。・・・(中略)
その「黒船」来襲から、30年の月日が流れた。この間、進化生態学と呼ばれる分野は、いくつかの方法論的革新を経て、大きく成長した。そしていま、「エコゲノミクス」と呼ばれる新たな学問的潮流のチャレンジを受けようとしている。それは、新たな「黒船」だろうか。それとも、「単なる技術革新」に過ぎないのか。・・・(中略)
本稿では、進化生態学の歴史を概観したうえで、「エコゲノミクス」が進化生態学をどのように変えるかについて、私見を述べてみたい。ただし、未来の予測はつねに不確実性をともなう。以下に述べるのは、必ずしも科学的な論理ではなく、これからの研究戦略に関するひとつのビジョンであることをお断りしておく。

最後の段落で使った「論理」「戦略」「ビジョン」という言葉は、結びのセクションでふたたび登場する。私にとってはこだわりのある「伏線」である。
「進化生態学の歴史」をレビューするのは、大変な仕事だが、私の見方で簡潔に書いてみた。以下に、段落の冒頭の文章を拾ってみる。

1 進化生態学の3つの方法
進化生態学は、動物の行動や植物の繁殖システムなどに見られる多様な表現型が、「なぜ進化したか」を問う学問である。・・・(中略)
この研究分野は、まず表現型モデルによる研究によって大きく発展し、その後に、量的遺伝学のアプローチや、系統樹を用いた種間比較統計学を取り入れて、発展してきた。これら3つの方法の発展の歴史をたどってみよう。
①表現型モデルによる研究
進化生態学の初期の発展の中で記念碑的な成果は、ハミルトンによる血縁淘汰理論の提唱(Hamilton1964)と、メーナードスミスによるESS(進化的に安定な戦略)理論の提唱(Manard Smith 1974)だろう。・・・(中略)
しかし、トレードオフの仮定が妥当かどうかについて、検証されている事例は皆無に近い。
② 量的遺伝学のアプローチによる研究
最適化モデルによるアプローチは、進化のプロセスを問題にせずに、最適値(極大値)を予測する。このような予測は、野外の生物のさまざまな振る舞いに対して、検証可能な仮説を提示してくれる。しかし、実際の生物の振る舞いが、最適化モデルの予測と一致したとしても、それは偶然の一致かもしれない。
これに対して、量的遺伝学のアプローチを用いれば、表現型に対してどのような自然淘汰が作用しているかを実測することができる。・・・(中略)
このような、トレードオフの仮定に反する結果に対して、Houle(1991)は量的遺伝モデルによる説明を与えた(ただし、基本的に同じアイデアは、Van Noordwijk and De Jong (1986) によってすでに提唱されていた)。・・・(中略)
このような研究が進めば、Houle(1991)の2ステップモデルの仮定は、単純すぎることが明らかになるだろうと私は考えている。
系統樹を利用した種間比較統計による研究
量的遺伝モデルによる研究は、現存する遺伝分散にもとづいて、自然淘汰への反応を調べるものである。このアプローチは、自然淘汰への短期的な反応を記述するうえでは有効である。しかし、より長期的には、新しくあらわれる突然変異が進化の結果に重要な役割を果たすかもしれない。また、2形質間の遺伝相関の符号と強さも、新しくあらわれる突然変異によって変化するかもしれない。・・・(中略)
より長期的な時間スケールの下で、トレードオフの仮定や、進化生態学的な仮説を検証するには、系統樹を用いる方法が有効である。・・・(中略)

論文は、段落の冒頭の文章だけを拾い読みしても、意味が理解できるように書くべきだと常日頃から考えている。要旨を書く前に、その作業を実際にやってみると、うまく書けているかどうかのチェックができる。今回は、及第点には達しているようだ。
続くセクションには、論文のタイトルと同じ見出しをつけた。

「エコゲノミクス」は進化生態学をどのように変えるか
トレードオフとGマトリクスは進化の過程で変化する
② 現在の表現型にもとづく過去の形質復元への新たな可能性

その内容は、印刷された論文を参照されたい。ここは、予告編でとどめたい。上記の2つのテーマについて、最新の研究成果を紹介し、私の考えを述べた。最後の段落では、こう書いている。

究極要因を研究対象とする進化生態学は、最適化モデルという、歴史を無視したアプローチから始まった。しかし、あらゆる生物のあらゆる表現型が、進化によって形作られたものである以上、究極要因の研究においても歴史を無視することはできない。


この視点は、これからの進化生態学の「行動規範」だと思っている。
結びのセクションには、「なぜブラックボックスを開けるのか?」というタイトルをつけた。総合討論で議論になったテーマである。「なぜ穴をほるのか。そこに穴がないからだ。」では説明になっていないというコメンターの意見に対して、私はやんわりと異論を唱えた。この意見の違いは、総括論文でも書いておく必要があると考え、「穴」ではなく「山」の喩えを使いながら、私の考えを述べた。ここで、「論理」「戦略」「ビジョン」という言葉が再登場するのだが、これからコメンターのSくんにも原稿を読んでもらって、改稿するつもりなので、最終原稿がどうなるかはまだわからない。しかし、酒がまずくならない程度に、ビジョンの違いをはっきり書くほうが、この特集の総括論文にふさわしいだろう。