教育研究等活動状況計画書

今朝から、「教育研究等活動状況計画書」の続きを書いた。ようやく書き上げたら、もう3時だ。この仕事にあまり時間を割くべきではないと頭ではわかっているのだが、いい加減に書けない性格が災いして、半日以上もかけてしまった。
最後の「管理運営」のところでは、「この計画書のような事務書類に対応する。この種の仕事に費やす時間は決して少なくない。」と書いた。嫌味ではあるが、事実、そうなのだ。
「社会連携」に関しては、「ウェブサイトやブログで研究・教育に関する情報を発信し、科学的知識と科学者のあり方について、普及・啓発につとめるともに、市民の意見に耳を傾け、双方向のコミュニケーションの発展につとめる。」という記述も加えておいた。これで、ブログを書くことが、「教育研究等活動状況計画書」にもとづく立派な業務だ。(ほんまかいな)
教育の部分は、昨日の原稿を大幅に改訂した。この作業に午前中を費やした。以下に転記しておく。

  • 全学共通教育においては、専門的知識を一方的に学ばせることよりもむしろ、知的刺激を与え、問題意識を持たせ、学ぶことへのモチベーションを高めることが重要だろう。私は、この考えにもとづき、少人数ゼミナールC「新キャンパスにおける森林と水辺の生物の保全」を自主的に開講し、5年間で50人ほどの学生を育てた経験がある。全学共通教育の制度が変わり、全員が少人数式のゼミを受講するようになったことは良いことだとは思うが、私にも一律な負担が課せられているので、これに加えて、自主的にゼミを開講するだけの時間を割くことが難しくなっている。そのため、公約する計画としては、私が担当する「生物学コアセミナーB」「環境科学概論」などにおいて、できるだけ学生の学習意欲を引き出す授業内容とするように努力することを掲げるにとどめる。自主的なカリキュラムについての新たな構想は持っており、できれば実現したいが、このような取組みを持続可能なものにするためには、教育意欲の高い教官への支援制度を充実させる必要がある。
  • 学部教育に関しては、専門的知識をきちんと身につけさせることが重要だが、それに加えて、英語論文を読める能力を習得させることが重要だと考えている。そこで、担当している2科目「生態学I」・「系統進化学」においては、英語のテキストを使い、英語を交えた講義を行なっている。授業後のアンケートを見ると、学生はとても前向きに受け止めてくれている。教官側が英語で教える覚悟でのぞめば、学生もそれに応えてくれることがわかった。この方針で、今後もこれらの講義を担当する。
  • 卒業研究指導においては、学生の自主性を尊重し、自分で徹底して考えることを通じて、「問題設定能力」を養うことを目標としている。この目標は、理念としては良いと思うが、現実には、学生ひとりひとりに対応する時間が不足しているために、「放任」に近い状況もときに生まれている。つまり、意欲の高い学生は積極的に自分で課題を追求していくが、必ずしも全員がそうなるとは限らない。この問題に対応するために、いろいろ工夫はしているが、自主性・主体性を育てる教育に特効薬はない。学生それぞれに個性があるので、それに応じた工夫が求められる。
  • 大学院生指導に関しては、生態学分野における拠点研究室として、生態学分野の次世代をになう人材を育てる責任を背負っている。現在、修士課程11名、博士課程9名が在籍している。今後もこの程度の在籍者数を維持したい。人材を育てるための基本方針は、以下のとおりである。(1)自分のプロジェクトを持たせ、教授の手足に使わないこと、(2)チャレンジングな課題をテーマとするように指導すること、(3)意欲の高い大学院生やポスドクが互いに切磋琢磨する環境を維持すること、(4)論文を書く訓練を積ませること、(5)積極的に海外の学会や海外のラボを経験させること。
  • 大学院生や卒業研究生に対して知的な刺激を与え、先輩としてアドバイスをしてくれる点で、ポスドクが果たす役割は大きい。現在、6名のポスドクが在籍している(うち、研究室出身者は1名のみ)。キャリアパスとして、他大学からアクティブなポスドクが集まる環境を維持したい。一方で、ポスドクは研究者として完全な自立を遂げてはいないので、ポスドクの成長にとって受け入れ教官が果たす責任は重大である。毎月ポスドクミーティングを開きポスドクが研究室の学問的アクティビティを牽引できるように指導するとともに、海外も含めて、次のキャリアを積むことができるように支援する。

言うは安く、行なうは難し。私が担当している教育の現状について、私自身、決して満足していない。おそらく学生から見れば、さまざまな不満があるはずだ。学生の声にも真摯に耳を傾けながら、少しでも良い教育をしたい。そのためには何よりも、学生と話す時間を増やす必要があることはわかっている。
しかし、何しろ、忙しい。指導教官が忙しいことは、学生の教育にとって、明らかにマイナスなのだが、「教育」「研究」だけでなく、「国際交流」「社会連携」「管理運営」についてまで、計画の提出が求められる世の中である。まじめに対応していれば、時間はいくらあっても足りない。
年度末には、50をこえる項目についての「年度活動報告書」を提出しなければならないようだ。げんなりするよ。
このような「計画書」や「報告書」のコスト・パフォーマンスをきちんと評価すべきだと思う。私は、コストにみあうパフォーマンスが得られるとは思えない。
不可をくらわない程度の実績をあげていれば、決してお咎めをくらうことはないだろう。「報告書」による評価は、そのことを白日の下にさらすだけではないか。
しかし、教育にせよ、研究にせよ、「不可をくらわない程度の実績」を目標にするような精神では、決して良い成果はあげられないだろう。私にとっては、教育も、研究も、ひりひりするような熱いモチベーションがなければ、とても満足のいく結果は得られない。それは、通り一遍の「計画書」や「報告書」で扱ってしまえるような仕事ではない。
さて、さて、こんな文句をたれている暇があったら、論文を書こう。
いつも事務作業に追われていて、研究について熱く語れない年寄りにはなりたくない。