隔離機構の進化(1)

日本進化学会大会メモの続き。8月29日の公開シンポジウム“Evolution of Biosystems”で“Genomics and Speciation”と題して講演したCI Wuさんは、ショウジョウバエの種間雑種においてオス不妊性をひきおこす遺伝子Odysseusを単離した業績で有名である。以前、九大にも来ていただいたことがある。今回は、彼の最近の研究成果を聞く良い機会となった。
まず、種分化には、異なる環境への適応(Differential adaptation)という見方と、隔離機構の進化(Evolution of RI)という2つの見方があるが、隔離機構は適応の副産物なので、前者がこれからの種分化研究の基本概念になるという基本見解を主張。
その後、Odysseus遺伝子(OdsH)について、遺伝子破壊による研究成果を紹介。遺伝子破壊系統では、若いときに限って精子数が減少するので、OdsHには、若いオスの精子形成を促進する機能があるようだ。したがって、正常な表現型機能の点はいたってマイルドな遺伝子が、種間交雑においては、強いオス不妊性をひきおこしている。
OdsHは、種間で急速な分子進化を遂げているが、そのパラログはそうではない。おそらくオス間競争に関する性淘汰によって、急速な分子進化が起きたのだろう。つまり、種分化には性淘汰が重要な役割を果たしたということになる。
次に、もうひとつの事例として、Drosophila melanogasterのジンバブエ型(Z型)と汎世界型(M型)に関する研究成果を紹介。Z型のメスとM型のオスの間では、交尾がほとんど起きないそうだ。このZ-type mating preferenceに関る遺伝子がいくつも知られており、そのうち、desat-2という遺伝子については、分子レベルでの研究が進んでいる。
desat-2を遺伝子破壊すると、mate choice行動に異常が生じるそうだ。ただし、暗黒状態のみ(つまり、匂いによるmate choice行動に関っているのだろう)。
これらの研究から、3つの結論を述べた。
1 種間には広汎な遺伝的差異がある
2 種分化遺伝子は新しい機能に進化する柔軟性を持つ
3 種分化には淘汰が関っている
最後に、現在進行中のゲノムレベルの研究についての紹介があった。
マイクロアレイを使った研究などから、多くの遺伝子の発現は、シス要素だけでなく、トランス要素による調節を受けていることがわかっている(だから遺伝学的研究が難しい)。そこで、「共通の」トランス要素があるか(Is there a “common” trans component?)という問題をたててみた。この疑問に答えるために、ショウジョウバエの頭部から58,000 miRNAs (20-25nt)の配列を決めて調べているという。この研究はまだこれからという印象を受けた。
2日目には、シンポジウム「ゲノム科学が拓く生殖隔離と種分化機構の研究」に出た。以下の5題の講演から、わが国におけるこの分野の最先端の研究成果を学ぶことができた。
○春島嘉章「イネ生殖的隔離の遺伝解析」
まず、隔離に関る遺伝子の遺伝的解析がいかに難しいかについて、要領の良い紹介があった。第一に、それは後代個体の生存率に影響を与えるので、正確な分離比がわからないため、QTL解析が困難である。第二に、「稔性の低下」という表現型は遺伝子間の相互作用によって引き起こされるので、通常の表現型の分析法では扱いきれない。
次に、F2集団の分離比のひずみを使って、生殖隔離障壁因子をマッピングする方法が紹介された。実験材料として用いられたのは、イネの2品種、日本晴とカサラス(前者はjaponica、後者はindicaに属する品種だと思う)。両者のF1は、種子稔性は95.6%(両親と同水準)だが、花粉管発芽率が低い(私のメモに間違いがなければ,日本晴と交配した場合には49.6%、カサラスと交配した場合には82%)。
連鎖地図作成に用いられているさまざまなマーカーについて、F2集団の分離比を調べ、連鎖地図上の位置を横軸に、分離比を縦軸にプロットすると、特定の部位の周辺で分離比がひずむ現象が見られる。このひずみは、生殖隔離障壁因子によるものと考えられる。生殖隔離障壁因子がある位置からはなれるほど分離比のひずみは小さくなる。この関係を回帰分析すれば、生殖隔離障壁因子の位置がわかる(ステップワイズ回帰のような方法を使っているものと思う)。
この方法で特定された候補遺伝子では、保存性の高い領域の3”側にアミノ酸置換が集中している領域があるそうだ。OdsHのように機能がわかり、どのような淘汰圧がはたらいたかが推測できる日も近そうだ。楽しみである。

○木下哲「ゲノムインプリンティングと生殖的隔離機構」
シロイヌナズナでは4種類の胚乳におけるインプリント遺伝子が知られている。MEDEA, FIS2, FWAは母親由来の場合に限って発現し、PHERESSは花粉親由来の場合にだけ発現する。木下さんは、FWAは母親由来の場合に限って発現することを立証された(http://www.sciencemag.org/cgi/content/abstract/1089835v1)。
FWAより早くインプリンティングが確認され、より詳しく研究されているMEDEAでは、
母親がmutantの場合には胚乳が発生しない。つまり種子ができない。このような組み合わせは、隔離に直結する。
このような、インプリント遺伝子に関する最新の研究成果と、胚乳の発生異常に関する古典遺伝学の成果を関連づけて、ゲノムインプリンティングが生殖的隔離機構に関与している可能性を紹介された。
古典遺伝学の研究から、2倍体と4倍体の交配において、2倍体を母親に使うと胚乳の過剰増殖が起き、逆の組み合わせだと胚乳の増殖抑制が起きることが知られている。カラスムギ属種間雑種のF1種子では、胚乳増殖抑制が起きる組み合わせと、胚乳異常増殖が起きる組み合わせがある(Nishiyama & Yabuno 1978:藪野先生のカラスムギの研究については、若い頃に少し勉強したことがあるので、懐かしかった)。このような研究から、胚乳発生に対する種固有の係数があると考えられている(Endosperm balance number hypothesis, Johnston 1982 Science 217, 446-448)。
現時点で考えれば、Endosperm balance numberを決めているのは、インプリント遺伝子である可能性が高い。係数のバランスが崩れれば、胚乳の発達異常が起きて、種間の隔離が生じる。
このテーマには、以前から関心を持っているので、討論の際に発言させていただいた。無胚乳種子をつくるラン科植物では、属間雑種がふつうにできる。形態的な分化に比べ、生殖隔離機構の発達が非常に遅いのだ。一方で、胚乳を持つ多くの植物の種間交雑では、胚乳の発達異常がしばしば観察される。これらの事実と、植物では胚乳においてゲノムインプリンティングが観察されていることを総合すると、胚乳の発達をめぐる親子のコンフリクトによって胚乳で発現する遺伝子のインプリンティングが進化し、それが生殖隔離機構の進化に関係しているのではないか、と考えてみたくなる。木下さんの講演を聞くと、私の考えは、あながち間違いではなかったようだ。
胚乳の発達をめぐる親子のコンフリクトが、インプリンティングの進化にどのように関っているかについて、遺伝子レベルでの証拠が増えてくれば、コンフリクトによる種分化に関するより現実的なモデルが検討できるだろう。

※野外実習の夜のミーティングを終えて、部屋に戻ったところ。野外実習の学生たちと、朝から夜まで行動をともにしているので、メモの文章化がなかなか進まない。続きはまた明日。
※日本進化学会大会に関しては、shorebirdさんのブログでもかなり詳しく紹介されている。2回の記事で紹介されているシンポジウムやワークショップは、私が参加したものとはほとんど重なっていないので、大変ありがたい。「社会性の進化」シンポと最後の討論会には出席したかったが、野外実習のために福岡に戻らねばならず、出席できなかった。