なぜ人はヘビをこわがるのか?

先週の土曜日は、夕方に東京から戻り、新キャンパス生物多様性保全ゾーンでの夜の観察会に参加した。元岡「市民の手による生物調査」チームの企画で、ヘビに詳しいHさんを講師に招いて、ヘビを観察した。風がなく、蒸し暑く、絶好のヘビ日和だった。
Hさんは、小川に沿った斜面で、かすかな音と草の動きから、マムシを発見。私にはまったく見えない。一度見逃したあと、暗闇にじっと目をこらし、やがて見事に捕獲された。さすがは達人だ。
捕獲されたマムシは、参加した小学生たちや、付き添いの大人たちのさらしものになってくれた。Hさんの解説を聞きながら、小学生たちは、ヘビにさわり、心臓の鼓動を確かめて、歓声をあげていた。夜のヘビ企画にはせ参じたつわものたちのことである。男子・女子を問わず、マムシに気後れする子はいない。好奇心満々でヘビに触れ、はじめての経験に興奮していた。いいなぁ、こういう経験は。
それにしても、なぜ人はヘビをこわがるのだろうか。Hさんは、かなりの部分は「教育」の影響だという。たとえば、なぜヘビが嫌いかをたずねると、「ぬるぬるしているから」という答えがしばしば返ってくるそうだ。それは、ウナギだ。ヘビはぬるぬるしてはいない。
ウナギはヘビのように嫌われてはいない。食用にするせいもあるかもしれないが、嫌われない理由は、それだけではないだろう。
多くのヘビには、斑紋や、縞模様がある。斑紋や縞模様は、毒の警告シグナルとして一般的なものである。鳥は、目玉模様をこわがるという研究結果がある。おそらく、鳥や哺乳類は、昆虫やヘビなどが持つ目玉模様や縞模様をこわがる共通の心理的モジュールを持っているのだろう。
私は、どちらかと言えば、ヘビが苦手である。小学校時代に、家の近くの山を歩いていて、マムシを踏みそうになった。とぐろを巻いたマムシは、鎌首をもたげ、私をにらみつけた。私の右足からマムシまでの距離は、30cm程度だったと思う。しばらく、じっと睨みあった。むこうもじっと動かない。ふと緊張が解け、マムシから目をそらした。すると、マムシは一目散に逃げていった。
そのような経験が潜在記憶にあるために、ヘビが苦手なのかもしれない。
確かに、人がヘビをこわがる理由の大半は、文化的なものだろう。しかし、ある程度は、生得的な効果がありそうだ。双子で調べてみれば、遺伝的効果の強さがわかるはずだが、そんな研究をした人はいないのだろう。人間の「恐怖」の背景にある、進化的な意味を探ることは、人間を理解するうえでも、有意義だと思うのだが。誰か、調べてくれないだろうか。

※30日追記:ヘビの話題は、盛り上がりますね。
安部公房の見解については、コンテナガーデニングさん(2004.11.15)が次のように紹介されています。「安部公房の「砂漠の思想」はエッセイ集で、その冒頭の「ヘビについて」でヘビの薄気味悪さにについて、三章にわけて書かれています。常識や日常から外れているものを人間は嫌う傾向にあり、その典型がヘビではないかと書いています。」
なるほど、経験したことがない物事に対して用心深くなる習性は、人間が動物から引き継いだ重要な適応戦略です。無謀な行動をするものは、自然界では、命を落とすリスクが高かったのでしょう。
しかし、それだけなら、何度か出会って、たいして危険なものでないとわかれば、昔の子供なら捕まえてふりまわして遊び道具にしたでしょう。やはり、人間をふくむ敵が嫌がるような警告シグナルを進化させたと考えるほうが、理にかなっていると思います。人間がそれに対して対抗適応しなかったのは、ヘビをつかまえても、食糧としての利用価値がほとんどなかったからでしょう。
白蛇を神秘的なものとしてシンボル化することは、通文化的にあるように思います。面白いですね。