表現へのこだわり

月曜からのOkazaki Biology Conference “The Biology of Extinction”では、最初に30分間、オルガナイザーとして講演する。その準備を始めたのが、昼過ぎ。正味半日の時間しか割けなかったが、自分らしさが出せるように、表現にこだわってみた。口頭発表は、論文を書くことに比べれば、「表現」する余地が大きくて、楽しい。
コンファレンスのイントロダクションなので、プログラムをどのような考えで組んだか、このコンファレンスのめざすところは何か、といった内容を話す。きわめてオーソドックスなプログラムの組み方をしているが、それでも私なりの考えはこめられている。イントロダクションでは、プログラムの背後にある私のこのコンファレンスへの思いを、効果的な写真や図を使って話す予定である。パワーポイントファイルはできたので、あとは明日の夜に原稿を書いて、できるだけ詰まらずに話せるように、準備をしよう。
「表現へのこだわり」といえば、昨夜の「耳をすませば」のエンディングは、すばらしい。中学生が「結婚しよう」というあのシーンのことではない。コンクリートの堤防の上を行き交う人々をバックに、エンドクレジットが流れるシーンのことである。劇場で見たときにも感心した記憶がある。朝の通勤・通学シーン、昼下がりの散歩、夕方になって家路をいそぐ人たち、大切な人をじっと待つ少女、かけてくる少年、そして、あの「ネコ」。
ただ、大勢の人が歩くだけのエンディングなのだが、いろいろな物語を想像させてくれる。その想像を支えてくれるのが、さまざまな歩き方の見事な表現である。
ゲド戦記制作日誌」によれば、このシーンを担当した某ベテランアニメーターは、毎日外に出て、行き交う人々の歩きを観察し、スタジオに戻っては机に向かっていたそうだ。ジブリのアニメには、このような「表現へのこだわり」が随所にある。それがジブリの魅力である。「耳をすませば」のエンディングの「歩くシーン」を担当したアニメータは、「ゲド戦記」でもすばらしい腕を披露しているそうだ。楽しみである。