黄土高原生態文化回復プロジェクト

行き着けの定食店で夕食を食べているとき、中国吉林省で13日に起きた化学工場爆発により流れ出したニトロベンゼンが、約400キロ下流のハルピン市に流れこみ、上水道給水が停止され市民生活が大混乱に陥ったという映像が流れていた(→関連記事)。ニトロベンゼンは今後、ロシアのアムール川へと流れ込む見通しだという。いやはや、大変な事態である。人的被害は報告されていないようだが、川の生態系への影響は甚大だろう。
中国ではいま、さまざまな環境問題が顕在化している。地球環境の将来にとって、中国の環境負荷は、きわめて大きなインパクトを持っている。
先週のJSTワークショップ「生態学と経済学の融合」で聞いた、黄土高原生態文化回復活動のことが思い出された。ウェブを検索してみたところ、安冨歩さんがこのプロジェクトを紹介されているサイトを見つけた。
安冨さんは、大自由度の非線型力学系のシミュレーションを操り、「貨幣の複雑性―生成と崩壊の理論」(→紹介記事)という本を書かれている経済学者である。このようなアカデミックな活動の一方で、黄土高原生態文化回復活動に時間と労力を注ぎ込まれている。JSTワークショップでは、「アカデミズムがアカデミズムの枠内で論文を生産しているだけの時代は終わったのではないか」と、アカデミズム批判に熱弁をふるわれていた。私も、21世紀のアカデミズムには、実践を通じて鍛えられた知の体系が必要だと思っているので、すっかり意気投合した。
安冨さんは、JSTワークショップで、「計画と責任という概念は諸悪の根源だ」「目的を設けてはいけない」という、一見「過激な」主張をされていた。その場では、安冨さんの意図を汲み取れなかったが、ウェブサイトを読んでみて、かなり分かった。
安冨さんは、黄土高原生態文化回復活動の理念を次のように述べられている。

「援助者/援助対象」という二分法を排除し、
 あくまで相互に影響を及ぼしあう主体として、
 参与者が対象社会に与える影響を認識し、
 同時に対象社会から参与者が影響を受けることを活動に組み込みます。
 このようなアプローチを「共生的価値創出」と私たちは呼んでいます。

そして、この理念を支えるのは「複雑系の理論」だと主張されている。
米国国際開発庁により1960年代に開発された開発援助のためのツールに、「ログフレーム」と呼ばれるものがあるそうだ。JICAは、このツールを定型的に使っている。詳しくは理解していないが、「調査・計画・実行・評価」の枠組みに関する標準マニュアルと思えばよいのだろう。
ログフレームの数理的背景は、線形的アプローチである。ある「前提条件」のもとに資源を「投入」し、なんらかの「活動」を行なうとき、どのような「外部条件」があれば、どのような「アウトプット」が得られるかを「指標」にもとづいて評価する。しかし、このような単純な枠組みは、要因が多く、非線形相互作用が一般的な、複雑なタスクには、適用できるはずがない。
現実の世界は、大自由度の非線型力学系であり、それは一見操作不可能に見えるが、理論的には操作可能な領域がある。その領域を見極めるには、人間の経験値に依拠するほうが良い(ここは、安冨見解を私なりに翻訳して書いている)。
この観点からすれば、開発援助にあたっては、外部から提供可能な資源(資金、技術、人材、市場など)と、対象となる地域の資源(歴史的条件、伝統的技術、文化的要素、人々のつながりのあり方など)を、並列の関係で考え、両者の相互作用から生まれる「共生的価値」を創出することで、はじめて系の操作が可能になる。
だから、あらかじめ計画をたててはいけない。目的を設けてはいけない。
なるほど主張はかなり理解できた。しかし、「計画をたててはいけない。目的を設けてはいけない。」という表現は、誤解を招くと思う。少なくとも、生態系が相手の場合には、計画をたてたうえで、順応的に対応するという操作法が、有効である。
安冨さんらのプロジェクトは、生態系だけではなく、人間社会やその文化を正面から相手にされている。このような場合には、「援助者/援助対象」という二分法を排除し、互いに影響を及ぼしあう対等な主体として接するという接し方は、基本中の基本だと思う。これは、複雑系の理論から導かれる理念でもあるのだろうが、私には心理学的な基礎づけが可能な原則に思われる。
楊家溝村日本人結婚式」は、安冨さんらのプロジェクトの理念を実践に移したすばらしい成果である。日本人のカップルの結婚式を、地域の伝統的な結婚儀礼によって行なうことで、地域文化の復興をはかり、地域の歴史にねざした生活の質の向上を実現しようとされている。そのほかにも、さまざまなアイデアを生み出して、生態系の回復と地域の文化復興を同時に進めるプロジェクトを推進されている。心強い。
それにしても、黄土高原の生態系の衰退は、すさまじい。

などに掲載された写真を見てほしい。
安冨さんからは、スライドを数枚お借りして、ゼミの1年生に紹介した。地球環境に関心のある者なら、一度は目に焼き付けておくべき光景がそこにある。