科学者は利害関係の調整の場でどのように振舞うべきか?

yahara2005-12-01


週末は、JST異分野交流ワークショップ「生態学と経済学の融合」に出席した。とても刺激に富む集まりで、楽しく1日半を過ごした。

帰路に報告記事を書きはじめたが、完成できないまま、ウィークデイの喧騒に身をやつしている。

私が参加しなかった最終日(月曜日)には、「利害関係者たる研究者は意思決定の枠組みに参画すべきか否か」についての議論が交わされたそうだ。その後、ワークショップ参加者のメーリングリストで、議論が続いている。松田さんは、メーリングリストでの発言をブログに公表された。私も、私の意見をここに転載しておこう。

○○様、皆様

月曜日のセッションに参加できなくて、残念でした。○○さんが提起され、松田さん が答えられた問題については、科学者一般をしばるルールをつくることは困難だし、 好ましくもないと思います。

ただし、自然再生事業指針に書かれているように、科学者が、科学的命題(客観的命題)と価値的命題(主観的命題)を区別し、科学的根拠について述べているのか、それとも自分の価値判断について述べているかを区別することは、とても重要です。現状では、この両者を区別せずに、あたかも科学的判断であるかのように、自分の価値判断 を語る科学者は、少なくないと思います。

次に、「利害」について、定義をはっきりさせる必要を感じました。

開発計画に対して賛成・反対の意見がある場合に、開発計画によって経済的な利益を得たり、損失をこうむる者が、通常の意味(狭義)の「利害関係者」です。科学者が この立場にあれば、中立性を保てません。そのような科学者が、開発計画の是非を議論する場に、科学者の立場で参加することは、好ましくありません。

開発計画に対して反対の行動をおこしている科学者は、広義の「利害関係者」です。 生態学会が要望書を出している案件に関する、学会長や自然保護委員長は、この立場にあります。このような立場の者を、開発計画の是非を議論する場に加えないというのは、かえって合意を難しくすると思います。議論の場への参加をはかったうえで、 価値観がからむ議論における発言のルールを整備していくのが、現実的な対応だろうと思います。

もちろん、開発計画に賛成の科学者がいれば、そのような科学者にも議論への参加を求めるべきです。また、とくに賛否に関心のない中立的な科学者の参加を求めることも有意義でしょう。そのうえで、判断や予測の科学的根拠に関する議論を通じて、価値観にもとづく判断の調整をはかるのが妥当だと思います。

また、「価値観」という言葉をあまり広い意味で使わないほうがよいように思いました。○○さんは、

>ある学問が価値観を前提として成り立っている・・・

と書かれていますが、たとえば遺伝子組換え作物の利用に関しては、保全生態学者の中に私のような積極派から、消極派、反対派まで、さまざまな意見があります。

私は、「価値観」とは、私がコメントで紹介したグラフ(右上の図)のように、ある対策の実行の程度に対する、幸福度の変化というように量的にとらえるのが良いと思います。それは、質的なものではなく、変わらないものでもありません。また、必ずしも包括的なものではありません。

注:右上の図は、施策に反対する価値観のグラフ。賛成なら、右上がりの曲線になる。賛成の価値観曲線と反対の価値観曲線がいずれも下に凸なら、対立の構図になる。いずれも上に凸なら、両者が歩み寄ることで、幸福度の総和が最大になる。右上の図において、下に凸の状態の価値観を、上に凸の状態に切り替えることができれば、合意しやすくなる。

id:hymatsuda/20051201