シカの天敵はオオカミだけだったのか?

昨日は、宮崎グリーンヘルパー養成講座で、4時間の講義をした。受講者から、シカを管理するためには天敵であるオオカミを復活させるべきではないか、という質問があった。
人間が関与する前の生態系では、シカの天敵はオオカミだけだった。そのオオカミが絶滅してしまったことが、シカの増加の背景にある要因である。したがって、シカの増加をオオカミを復活させ、人間が関与する前の生態系を復元することが必要である。
質問された方は、このように考えられているのだと思う。研究者の中にも、このような考えにもとづいて、オオカミ復活計画を提唱されている方がいらっしゃる。
私は、「人間が関与する前の生態系では、シカの天敵はオオカミだけだった」という認識は、おそらく間違っていると考えている。
日本にヒト(旧石器人)が住み着いた証拠は、約3万2千年前までさかのぼることができる。約3万2千年前といえば、ヨーロッパではまだネアンデルタール人とヒト(ホモ・サピエンス)が共存し、シベリアではマンモスが生存していた時代である。当時はまだ朝鮮海峡は閉じておらず、ヒトは海を渡って日本に住み着いたものと考えられる。石器の分布と火山灰による編年の結果から、旧石器人は約3万年前に、急速に日本各地に分散したと考えられる。
そして、この旧石器人の渡来と、黒ボク土の出現とが、よく一致するということを、先日の阿蘇シンポで確認できた。黒ボク土は草原植生で形成されたと考えられる。約3万年前から黒ボク土が広く出現することは、意図的か非意図的かは別として、人間活動による草原植生の拡大があったことを示している。
プラントオパールの証拠からも、約3万年まえにすでに、阿蘇に草原植生が発達していたことがわかっている。
最終氷期が最寒冷期を迎え、九州が朝鮮半島とつながり、大陸系の草原植物が阿蘇などに分布を広げたのは、約2万年前である。この当時には、すでに日本各地に人が住んでおり、狩猟採集生活をしていた。シカもまた、狩猟の対象とされていただろう。
このような歴史を考慮にいれると、2-3万年の長期にわたり、ヒトはシカの天敵だったと考えられる。
最終氷期以後、屋久島にはオオカミがいたという証拠はない。しかし、ヒトは縄文時代にはいたし、おそらく2万年前の氷期最寒冷期には渡来していただろう。少なくとも屋久島では、マンモスが地球上に生存していた時代から、ヒトだけがシカの天敵だったに違いない。
「人間が関与する前の生態系」がどんなものだったかについては、最終氷期よりもさらに前の時代を調べる必要がある。しかし、いま私たちが住んでいるこの現代において、生態系管理や自然再生のあり方を考えるうえで、その時代の環境はあまりにも違いすぎる。
生態系管理や自然再生の目標を検討する場合には、「人間が関与する前の生態系」を考えるのはおそらく適切ではない。人は生態系の一部であるだけでなく、約3万年を通じて、生態系の食物連鎖の頂点であり続けたという認識が、基本になると思う。
これから搭乗し、ニューヨークに向かう。