Planet Under Pressure会議で考えたこと
Planet Under Pressure会議は、地球システムと人間社会の持続可能性という、巨大でかつ社会的なテーマをとりあげた会議だった。このため、科学者による学術集会とはいえ、通常の学会大会のようなアカデミックな発表は少なく、「机の上で考えた概念論で世界を変えよう」とするような議論が多かったと思う。私が提案した「地球規模での遺伝子多様性アセスメント」のセッションは採択されなかったのだが、大会に参加してその理由がよくわかった。提案の仕方が、あまりにアカデミックだったのだ。
Future Earthは自然科学と社会科学を統合したプログラムとしてスタートしたが、前途は多難だと思う。たとえばPlanetary boundariesという問題提起から派生する仮説群を自然科学的に検証しようと思えば、膨大な観測データの収集と解析、さまざまなサブモデルの開発・統合がかかせない。それには人手も時間もかかる。一方で、環境問題には、自然科学的に十分な検証を待ってはいられないという側面があるので、Planetary boundariesという問題提起を受けて、予防原則的な対応策を検討する必要はある。経済をどう変えるかという検討も、重要だ。しかし、自然科学者としては、たとえばPlanetary boundariesという問題提起には、自然科学的な検証をさらに深める余地が大きいと思う。
生物多様性についてPlanetary boundariesを考える場合、絶滅速度の比較だけでは不十分だ(この点はPlanetary boundariesの論文にも明記されている)。たとえば海洋の食物網が、大型魚類の漁獲による減少にともなって、不可逆的な変化を示す臨界点があるかどうかを調べる必要がある。しかし、食物網の動態や安定性は、Mayの有名な論文以来、論争が続いている分野である。現時点での生態学の知識で、海洋食物網の臨界点を予測するのは、きわめてむつかしいと思う。
生物多様性と生態系機能については、Tillmanに代表されるように、一次生産者である植物について詳しい研究が行われ、理解が深まった。しかし、食物網については研究が遅れていると言わざるを得ない。食物網の動態や安定性に関する大規模な野外実験が必要だ。
地球規模でのシステムの変化を考えるためには、都市の生物多様性についての研究をもっと進める必要があるだろう。都市の植物群集や食物網、土壌生態系は、生態学が主たる対象にしてきた陸上生態系(森林・草原・湿地など)とは大きく異なる。しかしその違いについて、私たちはまだよく理解しているとは言えない。極端に生物多様性が低下した都市という生態系の拡大は、すでに不可逆的な変化をもたらしている可能性がある。たとえば日本のどこかの都市で、人口減にともなって都市そのものを放棄し、自然に戻すことを考えてみよう。はたして、以前の生態系に戻るだろうか。
この例も含め、検証すべき課題は山積している。自然科学者としては、もうすこし現実をよく調べたうえで、対策を考えたいと思うのだが、Planet Under Pressure会議での議論はあまりにも足早に、対策についての議論に進んでいるように感じた。
一方で、エネルギーについての本格的な議論はなかったように思う。とくに原子力については、ほとんど話題にされていなかった。しかし、将来の社会を構想するうえで、化石燃料と原子力を使わないという方向性は、もはや基本線だろう。この方向性の実現可能性を探る議論を、自然科学者と社会科学者が協力して進めることは、とても大切だと思う。自然再生エネルギーの利用を増やせば、当然のことながら、新たな環境負荷が発生する。バイオ燃料と食料生産や環境保全との軋轢については、いくつか面白いポスター発表があった。EUの政策転換がブラジルのバイオ燃料生産増加を通じて森林減少に貢献している程度を評価した研究によれば、実は(他の要因に比べて)影響は小さいという結論だった。もうすこし評価のプロセスを詳しく勉強してみたいと思うが、EUの政策転換はむしろEU諸国への影響が大きく、ブラジルのバイオ燃料は中国がたくさん買っている、という意外な、しかし言われてみれば納得のいく指摘があった。
貿易に関するフットプリント的な評価はいろいろな分野で進んでいることがわかった。しかし、生物多様性フットプリントを本格的に計算した試みはまだない。環境省S9では、生物多様性フットプリントの計算を重要課題のひとつに掲げているが、この結果が出れば必ず国際的に注目されるだろう。
このほか、「生態系サービス」を補完する概念として、「生物多様性サービス」をきちんと定義したほうが良いと考えるに至った。以前から、大規模農地での食料生産を「生態系サービス」に含めることに違和感があったのだが、「生物多様性サービス」を定義することで、この曖昧さを解決できるように思う。また、これまでの「生態系サービス」の価値評価において、必ずしも生物多様性がきちんと評価されていないという問題も、解決できるように思う。"Biodiversity services and global sustainability"というタイトルの意見論文を書くことを考えて、会議中にメモを作ってみた。アイデアはほぼ固まった。しかし、手元にいくつも原稿をかかえている状態なので、この意見論文を書くことに時間が割けるのは、当分先のことになる。この課題に関心があって、原稿を書く能力が高い人と、共同作業をすることを考えるほうが良いかもしれない。