千住博の襖絵

出勤し、新キャンパスの生物調査に出かけようと車の鍵を手に取ったが、体が重い。休養が必要と判断し、車の利用予定表の名前を消し、帰宅して昼寝をした。久しぶりに、寝不足を解消した気がする。やはり、たまには休養が必要である。
休みついでに、福岡アジア美術館で開催中の「千住博大徳寺聚光院別院襖絵77枚の全て」を見てきた。
展示スペースに入るとすぐに、千住博のデザインによる干支をあしらった有田焼の皿が展示されている。絵柄はどれも愛嬌があり、親しみがもてる。
次のコーナーでは照明が暗くされ、襖絵のうち、「洪水の森」と題されたシリーズが展示されている。入り口側の右手は暗い森で、順路を進むと水面の明るさが広がるが、全体のトーンは暗い。作者は、「死」のメッセージをこめたのだと、入り口の解説に書かれていた。
しかし、私には「死」は感じられない。確かに暗い森であり、しかも水が林床を覆っているが、それでも森は生きていると思う。「死」のメッセージをこめるには、「森」はあまりにも生命感にあふれている。
次のコーナーでは、砂漠の雄大な光景が目に飛び込む。この襖絵を描くために、作者はリビアまで足を運んだという。1本の木も生えていない、荒涼とした光景だが、躍動感にあふれている。「洪水の森」で描かれた、暗く静かな光景との対比が見事だ。「対比」という安易な表現では尽くせない驚きを感じた。
次のコーナーからは、「瀧」が延々と続く。襖絵から、水しぶきがあがり、轟々と音が聞こえる。この襖絵に囲まれた部屋で、ゆっくりと思索にふけってみたいものだ。
やがて、濃密な青い海原を描いた襖絵が左手にあらわれる。「波」と題されている。「瀧」とは一転した静寂が広がる。また、モノクロの世界から、カラーの世界に引き戻される。ただし、「色」は巧みに抑制されていて、暗い部屋で次第に周囲が見えてくるときのような抑揚がある。
最後は、「龍」である。雄大な自然を描いた「宇宙」の最後にふさわしい題材である。「龍」の表情は穏やかで、愛らしくすらある。何かを問いかけているようでもあり、ただ世界を凝視しているだけのようでもある。解釈は見るものにまかされているのだろう。
この「龍」は、ある程度距離を置いて見る絵だと思う。残念ながら、会場では常に絵の直前に客がいて、距離を置いて立つ私が、客にさえぎられずに絵の全貌を見ることはできなかった。
伝統的な「襖絵」もまた、広い世界を狭い空間の中に表現しようとしてきたが、ここまで広大な世界を題材にしたことはなかった。伝統的な様式に、新しい生命が吹き込まれたように感じた。伝統を「破壊」するのではなく、伝統的な様式を存分に生かしながら、新しい世界を作り出していると思う。
「革新」とは、このような作業でありたい。
大徳寺伊東別院の襖絵の写真は、千住博のウェブサイト(プロジェクトのページ)で見ることができる。