内山節さんの講演記録
9月28-29日には、博士課程教育リーディングプログラム・第4回オールラウンド型7大学シンポジウムを九大伊都キャンパスで開催しました。
9月28日には、哲学者内山節さんをお招きして、講演をしていただきました。以下に、講演を聴きながらツイートしたメモを転載します。
内山節さんの講演を聞いています。群馬県上野村で暮らして40年。子供の出生率は2.2, 子供たちにアンケートを取ると全員が上野村で暮らしたいと回答。世界的にも自然と接する暮らしへの回帰傾向がある。例えばフランスでは、田舎への移住者が多い。#内山節
— Tetsukazu Yahara (@TetYahara) 2017年9月28日
社会を変える出発点になる人たちは、社会的地位がある人たち。なぜ社会変革を目指すのか? それは、今までの暮らしに飽きたからだろう。子供の頃は、テレビが家に入ると嬉しかったが、今は新しい家電が入ってもワクワクしない。早いスマフォに変えても少し便利なだけ。#内山節
— Tetsukazu Yahara (@TetYahara) 2017年9月28日
都市から農村への回帰、個人主義から共同体主義への回帰、自然中心の社会への回帰。どこかで近代社会の方向性が魅力を失った。そこで2つの大きな傾向が生まれている。強い国家、経済を求める動きと、創造的な関係の中で生きようとする動き。#内山節
— Tetsukazu Yahara (@TetYahara) 2017年9月28日
従業員共同所有事業体、合衆国では労働者の5%に及ぶ。経営内容も良い。収入の問題だけでなく、働き甲斐がある。どうすれば消費者の信頼が生まれるかをみんなで考える。サンダース候補はこの動きを作ってきた人物。#内山節
— Tetsukazu Yahara (@TetYahara) 2017年9月28日
現在の都市で自然回帰、伝統回帰を実現するにはどうすればいいか? 上野村は、森の木を切る場合、森を良くするという目的がある。切った木の6割は材として使えない。ペレットにして燃料と発電用に利用している。ただしペレットストーブは40万円する。高齢者に使ってもらうために補助金。
— Tetsukazu Yahara (@TetYahara) 2017年9月28日
フランスで移住者に移住の理由を聞くと、自然への関心に加え、みんながそれぞれの存在を認め合える社会で暮らしたい。パリで道路で倒れて死んでも、ゴミのようなもの。人間はシステムの一部であり、かけがえのない存在ではない。田舎ではお互いが役割を持って地域を作っている。#内山節
— Tetsukazu Yahara (@TetYahara) 2017年9月28日
これからの社会のあり方を問われれば、伝統回帰だと思う。近代社会が壊したものを取り戻すという意味での伝統回帰。今の時代なりの共同体のあり方を発見するという意味で、昔にそのまま戻るわけではない。昔の都市部=江戸の人たちは伊勢など遠くの自然信仰の場で繋がっていた。#内山節
— Tetsukazu Yahara (@TetYahara) 2017年9月28日
上野村の主要産業はシイタケ。森の70%は天然林。手入れして材をシイタケ栽培に使う。廃菌木をペレットに利用して循環させる。廃熱を再回収してシイタケのハウスの冷房に使う。キノコを出すには冷房が必要。全体として9割の熱効率を達成。#内山節
— Tetsukazu Yahara (@TetYahara) 2017年9月28日
砂防ダムが埋まって堰堤から水が落ちている。この水を使って小水力発電をやりたい。建設省の了解がまだだがぜひやりたい。伝統回帰だが、新しい技術はどんどん使う。発電をやろうというとお年寄りが賛成する。なぜなら、昔は小型水力発電をやっていた。#内山節
— Tetsukazu Yahara (@TetYahara) 2017年9月28日
日本の企業はお金儲けのためというより地域の課題を解決するために作られた場合が少なくない。地域電力会社は、谷の水を組み上げるためにできた。今でいうソーシャルビジネス型。昔の会社には志があった。ソーシャルビジネスは伝統回帰。#内山節
— Tetsukazu Yahara (@TetYahara) 2017年9月28日
「地域をして電力」→「地域電力」
「迎えの会社」→「昔の会社」に修正
東北では、松下村塾が世界遺産になるならISもそのうちそうなるのか? と聞かれた。東北列藩同盟150周年。明治への捉え方が他の地域とはぜんぜん違う。歴史への捉え方が分解してきている。東北には東北の生き方がある、という意味では、伝統回帰。#内山節
— Tetsukazu Yahara (@TetYahara) 2017年9月28日
フランスの田舎で感じる違いは、地域は生きている人間だけでできている。日本の伝統的社会観では、自然の意見と死者の意見を聞く。祭と年中行事を通じて自然との関係、死者を含む他者との関係を再確認する。#内山節
— Tetsukazu Yahara (@TetYahara) 2017年9月28日
修験道の人たちは3.11以後反原発に動いた。修験道では自然を敬う。原発は自然を放射能で汚した。それが許せない。これからの時代は、伝統回帰のために新しい技術を使い、人間関係も見直す時代。宗教や信仰は、明治に輸入された概念。江戸以前には自然や日常の中に祈りがあった。#内山節
— Tetsukazu Yahara (@TetYahara) 2017年9月28日
かつては人間の生きる諸要素が一体となっていた。近代ではこれらの要素がバラバラになり、経済が肥大化し、他の要素を破壊するようになった。そういう社会で暮らすことに飽きてきた時代。#内山節
— Tetsukazu Yahara (@TetYahara) 2017年9月28日
哲学者としては、主体性という概念を批判している。人は役割を持って生きている。役割を感じ取れる人間になることが大事。関係農村創造を通して社会を変革する時代。#内山節
— Tetsukazu Yahara (@TetYahara) 2017年9月28日