生物多様性はなぜ大切か?

この問いかけに対する私の答えは、簡単である。私が大切だと思うから。文化財や芸術を大切だと思う人がいるように、私は生物多様性が大切だと思う。これからは価値観の多様性を認め合う時代である。生物多様性を大切だと思う人がいる以上、それは大切にされるべきものなのだ。
この説明では納得できないという人は、私の個人的な経験にぜひ耳を傾けてほしい。
福岡県で生まれた私は、丸太池というため池のそばで育った。今は、丸太池のそばに前原市役所の建物が立っており、池は浚渫され、護岸され、橋がかけられて一見小奇麗だが、生き物はあまり多くない。
私が小学生のころには、丸太池で、池ほしの行事があった。地元では、秋に池をほして鯉をとるこの行事を「鯉攻め」と呼んでいた。水門を開いて、池の水が落とされると、池の底は生き物に満ち溢れていた。巨大なカラスガイや大きなタニシが累々と並ぶ泥の中を、コイやフナが所狭しと飛び跳ねる様子は圧巻だった。膝上まで泥につかりながら、大きなコイを胸に抱きかかえた感動は、いまでもはっきりと思い出せる。
丸太池の水門から流れ出た小川は、ちょうど私の家と庭の間をとおり、国道202号線の下のトンネルを通って、少し標高の低い水田地帯へと流れていた。小学校から家に戻ると、トンネルを通り、滑り台のような水路を滑り降りて、水田の間のクリークに遊びに出かけるのが、私の日課だった。クリークにはゲンゴロウ類やミズカマキリタイコウチなどがたくさんいたし、クリークの側面の杭の根元には、たいていナマズがいた。もちろん、メダカもドジョウもたくさんいたし、側面がキラキラと光って美しいタナゴ類もいた.
10年前に、九大に着任したとき、久しぶりにこの小川に行ってみた。水田は、ポンプで水をとるようになっており、クリークは、跡形もなかった。あれほど生き物に溢れていた世界が、しんと静まりかえっていた。丸太池は、小奇麗な池に変わり、池の中には赤い鯉が泳いでいた。もはや、カラスガイやタニシはいない。あの生き物の賑わいは、もはや過去の記憶の中にしか残っていない。
高度経済成長時代の日本の変化を体験した多くの日本人にとって、私の個人的経験は、決して例外的なものではないだろう。確かに物質的な豊かさは手に入れたが、一方であまりにも多くの大切なものを失ってしまったのではないか。この思いに共鳴する人は、少なくない。
私が植物学者を志すきっかけになったのは、中学1年の8月に参加した、小中学生対象の植物採集会だった。当時は、植物採集や昆虫採集が、夏休みの課題の定番だった。そこで、福岡植物友の会主催で、小中学生対象の植物採集会が毎年開かれていた。恩師の薦めで、若杉山という場所で開かれたこの採集会に参加した。そこで見たナツエビネの群生の見事さもまた、鮮明な記憶として残っている。暗い照葉樹林の下に忽然とあらわれた薄紫色の群生は、私を未知の世界に招く強烈なシグナルだった。
さっそく私は福岡植物友の会の会員となり、9月には久留米市の湿原で開かれた月例の採集会に参加した。そこで見たサワギキョウコマツカサススキの群落の見事さや、サギソウの自生の可憐さや、スブタという奇妙な名前の植物の奇妙な姿などは、私の好奇心を高ぶらせるには十分なものだった。それ以後、私は植物採集に明け暮れる中学校生活を送り、ついに植物学者になってしまった。
中学時代に出会ったヤブマオという植物は、雌花しかつけず、受精をせずに、種子を作って増える性質を持っていた。この植物への関心が、「生物にはなぜ性があるのだろう」という疑問につながり、いまの研究テーマにつながっている。このエピソードについては、拙著『花の性 その進化を探る』に書いたので、興味のある方は、参照されたい。
もはや言うまでもないことと思うが、若杉山のナツエビネは、乱獲のために絶滅した。久留米の湿原も消失した。一面のサワギキョウ群落も、サギソウの自生も、水路のスブタも、私の記憶の中にしかない。
もし今の時代に私が生まれ、育ったとしたら、はたして植物学者になっただろうか。幸い、この時代にも、野生植物に関心を持って植物学者をめざす若者はいる。しかし、彼ら・彼女らは、明らかに減少した生物多様性しか、見ることができない。
もはやこれ以上、生物多様性を減らしてはいけないと強く思う。私にとって、それは自明の命題である。もちろん、生物多様性を守るためには、この思いに賛成する人を増やす必要がある。しかし、そのためには、生物多様性の生態系機能を説明するよりも、私の個人的経験を話すほうが、よほど説得力がある場合が多い。
生き物が好きで、写真家になった人もいる。画家になった人もいる。このような人たちは、私の思いをすぐにわかってくれる。とくに生物にかかわりのない職業についた人の中にも、生き物にあふれた自然の中で育ったことを懐かしく覚えていて、私の思いに共感してくれる人は少なくない。
生物多様性国家戦略が定められ、国の行政全体で生物多様性保全が政策目標とされる時代になった。このような時代の転換の背景には、高度経済成長を通じて自然環境を破壊し、とりわけ生物多様性を失ったという認識がある。
平成9年に河川法が改正され、「治水・利水」にくわえて、「環境の保全」が法の目的に加えられた。それ以後、日本の河川行政は大きく変わった。いまや、河川行政の現場で、「生物多様性はなぜ大切か」を説明しなければならない局面は、多くない。河川行政に携わる人には、河好きが多い。このような人たちには、「治水・利水」にくわえて、「環境の保全」が河川法に書き込まれたことは歓迎されている。いたずらにコンクリートで護岸をするよりも、生物多様性を守りながら河川管理をするほうが、ずっと楽しい。
もちろん、生物多様性には生態的機能があるし、それを生態的サービスと呼んで、人間生活にとっての財の一部とみなす説明も可能である。しかし、このような説明は、私には何か空々しいのだ。
それよりも、人間の時間スケールからすれば、悠久の時間を通じて進化を遂げてきた生物の歴史に思いをはせ、人間の都合で滅ぼさないようにしようと呼びかけるほうが、私にははるかに納得がいく。
一研究者としては、生態系の中ではたいした役割を果たしていなくても、とても面白い性質を持つ生物を研究して、その成果を国民に還元する文化的な行為のほうが、やりがいを感じる。生き物は、いまも不思議だらけである。性を持たないヤブマオのような生物もいれば、性を3つ以上持つ生物もいる。昆虫をだまして繁殖する植物もいれば、植物を操って繁殖する菌類もいる。そもそも、なぜこんなにも多種多様な生物がいるのだろう。これも不思議だ。このような不思議を一つひとつ解き明かす知的興奮は、生物多様性の生態的機能について苦しい説明をするよりも、多くの国民にとって、理解しやすいと思う。
さて、この説明で、どれだけの人が納得してくれるだろうか。私の経験では、一部の利害関係者を除けば、大方の支持が得られると思う。
しばしば聞かれる意見に、地球温暖化などはグローバルな重要性があるが、生物多様性はローカルな問題ではないか、というものがある。この疑問についても、私は単純明快な答えを持っているが、この話題は次の雨の日に譲ろう。
今日は屋久島に来てはじめて、朝から雨が降っている。
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