生物多様性はなぜ大切か?

・・というタイトルの本が先週末に届いた。総合地球環境研究所(略して、地球研という。地環研と言わない理由はおわかりだろう)が出版する「地球研叢書」の最初の1冊である。所長の日高敏隆さんがじきじきに編集を担当されている。執筆者は、日高さんを含む5名。うち、地球研スタッフが4名をしめている。

日高敏隆(編)『生物多様性はなぜ大切か?』昭和堂 ISBN4-8122-0506-9
第1章 生物多様性とはなんだろう?(中静透)
第2章 「雑食動物」人間(日高敏隆
第3章 遺伝子からみた多様性と人間の特徴(川本芳)
第4章 文化の多様性は必要か?(内山純蔵)
第5章 生活のなかの生物多様性佐藤洋一郎

折りしも、週末以来、生物多様性に深く関係する仕事に、忙殺されていた。今日は、河川生態学術研究会北川グループの16年度の成果報告と17年度の研究計画を討議する重要な会議だったのだ。昨年度の成果報告をまとめるために、日曜日からデータの整理をはじめ、今日の正午まで、パワーポイントのスライドつくりに邁進した。このブログを書く余裕もなかった次第である。通勤途上、および、研究会会場を往復する電車の中で、上記の本に目を通した。
率直な感想を言うと、この本は、『生物多様性はなぜ大切か?』という問いに、的確に答えていないと思う。この本を読んで、「なるほど生物多様性は大切なんだ」と納得する人は、あまりいないのではないか。
第1章では、中静さんが、生物多様性の機能と価値について、さまざまな側面から解説されている。いろいろな主張がバランスよく紹介されている。しかし、読んでもストンとこない。なぜかについては、ここでは述べないでおく。
第2章では、日高さんが、生物多様性の必要性について、「人間の食物、食べるものと栄養という点から見てみたらどうであろうか」という問題提起をされている。草食動物・肉食動物の消化器系を比較し、人間はそのどちらでもない、と結論される。その点は同意する。しかし、だから「食物という単純なことから考えても、生物多様性がなくなったら人類は滅びるしかないということである」という結論を導くのは、論理の飛躍だ。アケビのツルを食えなくなったからといって、人類は滅ばない。すでに現代人は、ごくわずかな生物種しか食べていない。
第3章では、ヒトゲノムの解読結果をふまえ、人間とチンパンジーの差はごくわずかであることや、人間の遺伝的多様性は、類人猿より小さいことが紹介され、人間の環境への適応性は文化の多様化に支えられてきたと結論されている。5つの章の中で、もっとも明快だが、しかし『生物多様性はなぜ大切か?』という問いに答えてはいない。
第4章では、文化は低い段階から高い段階に進むという「文化進化論」と、自分の所属する時代や文化がもっとも嘆かわしいと考える「エデン仮説」を対比したあと、「現在のところ、いかなる理論や仮説によっても、人間が多様な文化をもつ本質的な理由は説明できない」と結論されている。「文化の多様性は必要か?」というタイトルの下で、著者はあっさりと、「私にはわかりません」と答えているのだ。そんな殺生な。
第5章では、作物の多様性が失われ、人間の生活が生き物から遠ざかり、過疎地では山が荒れ、食物の自給率が下がり、鶏が抗生物質づけで飼われ、新しい感染症の脅威が増している現実が切々と述べられ、これらは「多様性喪失と不安定化」への悪循環であると主張されている。この章が、もっとも訴える力を持っている。著者の危機感が伝わってくる。ここまで読んできて、ようやく救われた気持ちになった。しかし、この章は、野生の生物の多様性がなぜ大切かという問いには、答えていない。
河川行政関係者も出席した、河川生態学術研究会北川グループ研究会での、真剣な討論に参加して得た充実感と、本書を読んで得たフラストレーションが、二層分離したままで、19日を終えた。
第1章に戻ろう。中静さんは、こう書かれている。

生物多様性の研究をしている」というと、よく「なぜ生物多様性を守らなくてはならないのか?」と尋ねられる。これは、じつはとても答えにくい問いである。

私もまた、上記のような質問は、何度となく経験した。しかし一度として、答えに窮したことはない。駒場東大の公開シンポではじめてこの質問をされたときにも、即座に、ためらいなく答えたことを記憶している。
中静さんは、こうも書かれている。

つまり生物多様性の重要性や価値をどのように評価するか、ということそのものが、その評価方法もふくめてまだ解決できていないのである。地域性や文化の価値あるいはそれに貢献している生物多様性をどう評価するのか、という問題をまず解決する必要があるのだ。

果たして、そうだろうか。ここでとりあげられている問題は、価値的命題であって、科学的命題ではない。どのように評価するのが正しいか、という問題の立て方自体が、間違っていると思う。
本書を読んで、『生物多様性はなぜ大切か?』をめぐって、親しい研究者の間ですら、合意形成の努力が不足していることを学んだ。
私の答えは、いまは敢えて書かずにおこう。みなさんは、どう答えますか?