自然は元に戻せるか?

「元に戻す」という「元」とはどういう状態でしょう? という「けいすけ」さんが提起された問題については、本の解説原稿で書いたことがある。関心がある方が少なくない問題だと思うので、私の見解を引用しておこう。

 一度失われた自然は元に戻せない−この理解は正しい。・・生物の多様性は、歴史的な存在である。歴史とは、偶然に大きく左右される過程であり、再現できない。理論的にいえば、非常に大きな探索空間の中から事象がサンプリングされるので、同じ過程が生じる確率はゼロとみなされる。それが歴史である(Kauffmann, 1966)。しかし、生育環境を復元することによって、失われつつある種(およびその中に含まれる遺伝的変異)を存続させ、その地域に歴史的にすみついた種の組み合わせ(群集)を可能な限り残していくことはできる。諫早湾の潮受堤防を開門し、干潟を復元しても、すべての種は戻らない。まったく同じ干潟が復元されることはないのである。しかし、何とか生きのびている種は回復し、以前の干潟によく似た干潟が再生するだろう。
 それは、新しい歴史を作る行為である。新しい歴史を作るなど、おこがましいという主張もあるかもしれない。しかし、種を滅ぼすことは歴史の抹消である。それを避けるために、今こそ私たちは積極的に行動すべきである。「復元」の困難さを乗り越える手段を模索し、それを講じなければならない。今や、地球上のすべての生物の将来は、人間の手に委ねられていると言っても過言ではない。失われつつある種をそのまま滅ぼすか、生育環境を復元することによって残すか、それは、人間の選択次第である。
矢原徹一・川窪伸光(責任編集)・種生物学会(編) 『保全と復元の生物学 野生生物を救う科学的思考』 文一総合出版 224ページより

この引用を読んでいただければ、「けいすけ」さんの疑問も解けるのではないかと思う。諫早湾では、かつての干潟に繁茂した世界最大のセイタカアワダチソウ群落の中で、シチメンソウなどの干潟の生物が、気息奄々の状態ではあるが、まだなお、生きのびているそうだ。土壌中で休眠している種子や小動物もいるに違いない。今からでもまだ遅くはない。開門して、干潟を元に戻せないか。
開門すれば、一時的には海は汚れる。しかし、物理化学的な環境の変化は、元に戻せる。一方、種の絶滅は、不可逆的な過程である。この点から、可能な限り種の絶滅を避けることが、生態系管理の基本だと私は思う。
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