品川で購入した本

今日は、日本遺伝学会評議員会出席のため、東京へ日帰り出張。行きに、JR品川駅のBook Gardenで、購入した本をメモしておく。

リービ英雄 『英語で読む万葉集』 岩波新書 ISBN4-00-430920-4

知る人ぞ知る、万葉集名訳者による、英訳万葉集に関するエッセイ。英語と日本語の表現についても、万葉集の読み方についても、新しい発見が満載の本である。

あをによし 奈良の京は 咲く花の にほうがごとく 今盛りなり
The capital at Nara
beautiful in green earth,
flourishes now
like the luster
of the flowers in bloom

たとえばこの訳について、見開き2ページのエッセイがついている。「にほふ」は「光」という意味もあるので、luster、「艶」になる、などと解説されている。日本人でも、ここまで万葉集を読める人は、そうはいないかもしれない。日本語で育った日本人では気づかない万葉歌の表現の妙に、気づかされる。
ただし、the flowersは、the cherriesであってほしかった。単なるflowersでは、京の春の「艶」が出ない。
著者の万葉集遍歴は、筋金入りである。それは、「枕詞は、翻訳ができるのか」というテーマについての、次のような記述から伺える。

たとえば、「草枕旅にしあれば」は、「草を枕にして旅の途上にいるのだから」という意味がすぐ分かるし、on a journey, with grass for pillow という英語も苦もなく滲み出てくる。(中略)古い万葉集の文庫本をリュックに入れて、京都から奈良へ、奈良から飛鳥へ、十九歳のぼくが歩いたとき、よく分からない古代の日本語の中で、この枕詞が、すぐに、何のひっかかりもなく、胸にしみこんできたのであった。

著者はこの経験のあと、プリンストン大学で博士課程を修了し、万葉集の研究と、「英訳万葉集」の出版で高い評価を得た。今は、スタンフォード大学の教授をつとめているはずだ。
著者は、枕詞を執拗に訳している。「あをによし奈良」や「飛ぶ鳥の明日香」のような地名の枕詞まで訳している。枕詞を訳すことで、「地名を冠したイメージの魔術を、何とか表したところ、枕詞があるがゆえに地名が生きる、という真理がよく分かってくるのだ」という。枕詞を言葉のリズムからだけ考えていた自分が恥ずかしい。
「英訳万葉集」の書評における、枕詞の評価を紹介したエッセイも面白い。

ひとつの枕詞を読むと、その新鮮さに感動する。しかし、まったく同じ枕詞が、また一首、また一首と使われると、読者の独創性を疑う。(中略)ところが、そのひとつの枕詞を百回も読むと、作者一人ひとりの独創性を重んじる近代文学とは違った、歌一首一首を超えた大きな表現の流れに気づき、また違った大きな感動をおぼえると同時に、近代文学とは違った必然性に気づき納得もする・・・

さて、万葉集には、「酒を讃めし歌十三首」という、コミカルな歌もある。たとえば、次の一首。
あな醜(みにく) 賢(さか)しらをすと 酒飲まぬ 人をよく見れば 猿にかも似る
羽目をはずさぬよう酒をひかえる者を、「猿に似てるかも」と皮肉ったこの歌。その訳も、そして訳にまつわるエッセイも秀逸だ。「万葉集は、こうである、と思ったとたん、まったく違った相を見せてくれる」という書き出しで始まるエッセイの最後は、こう結ばれている。

一流の文学には笑いがある。笑えない読者は、これらの歌で笑い者にされている「賢しらをす」人と同じように、「よく見れば、猿にかも似る」かもしれない。
 Take a good look,
 and they resemble apes.
賢明ぶった翻訳論を控えないと、これはぼくの姿にもなる。
論より作品、ことばのwineを。

この一冊のおかげで、今日は電車の中を退屈せずに過ごせた。

日垣 隆 『売文生活』 ちくま新書 ISBN4-480-06223-8

夏目漱石は、印税だけでは食費すら賄えなかったとか、「火宅の人」を書いた壇一雄は公務員初任給の100倍を稼いでいたのに金銭感覚がなくて出版社から前借ばかりしていたとか、新札に登場した樋口一葉の貧乏生活とか、立花隆が経営感覚の欠如から猫ビルを手放した話など、明治以来の「売文生活」の「台所事情」をまとめた本。数字がたくさん出てくるので、グラフを使って比較したら、もっとわかりやすかったと思う。
著者は、あの田中耕一さんと一緒に、生協組織部の仕事をしていたそうだ。私も生協組織部経験者なので、その点で、親近感を持った。生協組織部での経験は、今でもとても役立っている。講義で学ぶだけでは学べない経験をした。著者は、組織部の仕事で松浦聡三さんを接待したときに「原稿料はどのくらいもらえるものですか」という質問をしたそうだ。そのときの経験が、この本を書く遠因になったらしい。大学時代、積極的にいろいろな経験をしておくものである。

ジェイムス・D・ワトソン(青木薫訳) 『DNA』 上:二重らせんの発見からヒトゲノム計画まで 下:ゲノム解読から遺伝病、人類の進化まで 講談社ブルーバックス ISBN4-06-257472-1, 257473-X

上巻・下巻の副題にあるように、二重らせんの発見からゲノム解読とその影響までを語った本。ワトソン、言いたい放題である。
たとえば、このブログで何回かとりあげたモンサント社について、次のように書いている。

1995年、モンサント社のCEOになったロバート・シャピロは、種子市場を完全に握ることでこの失敗(注:種子大手のパイオニア社との取引の失敗)を埋め合わせようとした。彼はまず手始めに、農家が前年の収穫で得た種子を蒔き、新たな種子を買わないという、種子メーカーの長年の課題に取り組むことにした。(中略)シャピロは、Bt種子を使う農家は必ずモンサント社と「技術契約」を結び、この遺伝子の利用料を支払うべきこと、そして収穫した作物は種子として使わないことを義務づけようと計画した。このシャピロの計画により、農家はモンサント社を徹底して嫌うようになった。
シャピロは、中西部の農業化学メーカーのCEOになるべき人物ではなかった。

このあと、シャピロの野望とその挫折が、上記の引用と同様にストレートな表現で描かれている。舌鋒は政府にもおよび、「政府の役人の無能ぶりが目立つエピソードとして、・・・」などと、まったく遠慮がない。上下巻を通じて、万事この調子である。さすがはワトソンだ。個々の記述への賛否はともかく、現代に生きる生物学者なら、いちどは読んでおきたい本である。
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