生物学専門書の危機

最近、編集者から「専門書が売れない」という悲鳴に近い声を聞くことが多くなった。このままでは、いくつかの出版社が、生態学分類学関連の専門書の出版から撤退するかもしれない。この予想が決して大げさでないところまで、事態は深刻化しているようだ。
たとえば、私が編集委員をつとめている、種生物学会の単行本シリーズは、種生物学会だけでなく、日本生態学会などでも大変評判が良く、数年前までは売れ行きも良かった。このシリーズが、最近では苦戦を強いられている。
このシリーズは、単なる教科書ではなく、研究の現場の雰囲気や研究の面白さ・楽しさを伝えようという意図で、編集委員が2年くらいかけて丁寧に編集して出版している本である。文章をわかりやすく、刺激的なものにするために、著者に何度も書き直してもらっている。手間がかかっているのだ。
これまでに、次の5冊を出版した。

「花生態学の最前線」〜美しさの進化的背景を探る〜 ISBN:4829921412
「森の分子生態学」〜遺伝子が語る森林のすがた〜 ISBN:4829921501
保全と復元の生物学」〜野生植物を救う科学的思考〜 ISBN:4829921706
「光と水と植物のかたち」〜植物生理生態学入門〜 ISBN:4829921765
「草木を見つめる科学」〜植物の生活史研究〜 ISBN:4829910631

この、好評を博したシリーズですら、最近はさっぱり売れないらしい。最新刊の「草木を見つめる科学」は、相当苦戦していると聞いた。
大学院生やポスドクは増えているはずなのに、いったいどうして売れないのだろう。日本生態学会大会で書籍を出店しても、かつての半分くらいしか売れないそうだ。どうやら、学生は本を買わなくなっているらしい。
思い当たるふしがなくはない。最近では、研究の進歩が早いので、勉強することがたくさんある。大学院生やポスドクは、自分の研究テーマに直接関係のある論文を読むのに忙しくて、少し専門から離れた本を読むゆとりがないのかもしれない。
もしこの推論が正しければ、看過できない「危機」が進行しているのかもしれない。
種生物学会の前進である、植物実験分類学シンポジウム準備会の活動は、かつて野生植物を研究する研究分野が、分類学生態学・遺伝学・育種学・林学・雑草学などに分かれていて、分野間の交流がほとんどなかったことに不満を持つ若手によって支えられていた。植物実験分類学シンポジウムを通じて、私たちの世代は、さまざまな分野を見渡せる広い知識を身につけることができた。
そのような活動を、単行本の形で残していこうという趣旨でスタートしたのが、種生物学会の単行本シリーズである。このシリーズが売れないということは、若手研究者が再びタコツボ化しているということではないだろうか。
そういえば、私の研究室では、私が書いた『花の性』を読んだことがある学生が減っているようだ。若いころの私が全身全霊を傾けて書いた本である。面白くないはずがないのだが・・・。
論文と違って、本はひとつの体系である。体系化する能力は、良書をたくさん読むことを通じて身につける以外ない。
研究者をめざすなら、論文をたくさん書くだけでなく、自分の体系を作ることをめざして欲しい。そのためには、ぜひ良書をたくさん読んでほしい。