朝日「不機嫌なジーン」記事への疑問

昨日の朝日新聞朝刊に、東大のSさんによる、「不機嫌なジーン」についての記事が掲載された。この記事で、Sさんは、「ドラマの中で浮気の言い訳として引用される『利己的遺伝子』説のような現代版の理論も、社会に普及定着した」と書かれている。とんでもないと、思った。
『利己的遺伝子』説という名前の科学理論は、ない。2月2日の日記にコメントされたガンジーさんも、「利己的遺伝子説」なんていう学説はありません、という私のコメントに対して、「そうなのですか!」とびっくりされていた(2月6日の「宿題」も参照)。
『利己的遺伝子』は、自然淘汰・性淘汰にもとづく進化理論に対して、ドーキンスが名づけた「コピー」である。この「コピー」には、進化理論の普及に貢献した「光」もあれば、浮気の言い訳に使われるような誤解を社会に広げた「影」もある。両者を区別せずに、しかも、「ドラマの中で浮気の言い訳として引用される」という形容詞までつけて、『利己的遺伝子』説が「社会に普及定着した」と書いたのは、いただけない。
ドーキンスが『利己的遺伝子』で紹介した考え方は、1960〜70年代に発展した、次の3つの理論に支えられている。(1)ハミルトンの血縁淘汰理論、(2)メイナードスミスのESS(進化的に安定な戦略)理論、(3)性淘汰理論。最初の2つは、ダーウィン自然淘汰理論を発展させたものであり、3番目はダーウィンの性淘汰理論そのものだが、数学的に定式化され、精密化された点、および実験的検証をともなった点が、大きな違いである。
これらの理論は、ダーウィンの淘汰理論の自然な発展だが、とりわけ動物行動学には大きな影響を与えた。動物行動学の分野では、親が子を助けるような、利他的行動を、「種のための利益」とみなす考え方が、欧米でも日本でも、1960年代まで広く支持されていた。しかし、ダーウィンの淘汰理論にもとづけば、「種のための利益」にはなるが、個体の生存・繁殖率が低下するような行動は、進化しない。
ダーウィンは、利他的行動(とくにミツバチなどの働き蜂が、メスでありながら子供を産まずに女王を助ける行動)の問題を学説の難点と自覚し、真剣に考えた。彼がたどりついた結論は、「家系レベルの淘汰」というアイデアだった。ハミルトンの血縁淘汰理論は、このアイデアを数学的に定式化し、精密化したものといっても差し支えない。
ハミルトンの血縁淘汰理論にくわえ、ESS理論も整備され、動物行動学の分野では、個体レベルの淘汰を考えた研究が大きく発展した。このような流れのなかで、性淘汰の研究も大きく発展した。ドーキンスの『利己的遺伝子』は、このような研究の成果を一般向けに紹介した著作である。その著作の中に、オリジナルな理論は、ない。
ドーキンスは、『利己的遺伝子』執筆以前には、科学者として論文も書いているが、『利己的遺伝子』は普及書であって、科学者としてのオリジナルな業績ではない。
ドーキンスの『利己的遺伝子』は、動物行動学に適用された淘汰理論の考え方をわかりやすく社会に発信した点では、大きな功績がある。しかし、「利己的」という擬人的な形容詞を冠したことに象徴される、巧みなレトリックによって、多くの誤解を社会に広げた「罪」もあると、私は考えている。
「オスは自分の遺伝子を残すためにできるだけ多くのメスと交尾しようとする」という性淘汰理論の考え方を、安易に人間に適用するのも、典型的な誤解の一つである。この、「不機嫌なジーン・南原教授の間違い」については、2月2日の日記に書いたとおりである。
残念ながら、血縁淘汰理論も、ESS理論も、性淘汰理論も、「社会に普及定着した」と評価できる状況にない。「社会に普及定着した」のは、「南原教授の間違い」のような誤解である。「不機嫌なジーン」がそのような誤解を広げないようにと、多くの行動学者が願っている。しかし、朝日の記事は、「不機嫌なジーン」を見ていない読者にまで、「浮気には生物学的根拠があったのね」という誤解を広げてしまったのではないか。このように危惧しているのは、私だけではないだろう。

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