微生物が雲を作る?

雲に興味が湧いたので、今日は雲と生物の関係について書いてみる。

海洋微生物が、長距離分散のための適応戦略として、雲を作るのだという仮説がある。この仮説を知ったのは、ケンブリッジ大学に滞在中のHさんを訪ねたときのことだ。この仮説の提唱者が、あのハミルトンでなかったら、一笑に付していたところである。ところが、進化生物学の理論的大家である、あのハミルトンが、ケンブリッジ大学セミナーで、熱心にこの仮説について話したと聞いては、一笑に付すわけにはいかない。

そこで調べてみると、やはり、一笑に付すわけにはいかない話である。

まず、雲ができるには、凝結核となる物質が必要だが、海洋で雲ができる際の凝結核は、多くの場合、ジメチルスルフィド(DM)という硫化物らしい。そして、DMを生産するのは、海洋微生物なのだ。

このDMは、ラブロックが、海洋から大気への硫黄循環の担い手としてとりあげた物質である。このラブロック説は、その後の多くの研究で支持されている。ラブロックはこの研究にもとづいてガイヤ説を提唱し、「地球は生きている」というメッセージを発信した。ガイヤ説の支持者は、海洋微生物がDM生産を通じて、大気を「制御」していると主張した。

常識的な進化生物学者からみれば、そんなことがあろうはずがない。微生物は、わざわざ大気や地球のことまで考えて生きているわけではない。しかし、ハミルトンは、常識破りの進化生物学者である。彼はガイヤ説を、「利己的な」微生物の適応戦略で説明するアイデアを思いついたのだ。

そのアイデアは次の論文に書かれている。

Hamilton & Lenton (1998) Spora and Gaia: How microbes fly with their clouds. Ethology, Ecology and Evolution 10: 1-16.

この論文によれば、海洋微生物は、波頭からとび散る水泡に乗って、空に舞い上がり、遠くに散布されるそうだ。とすれば、局所的に上昇気流を起こし、雲を作ることは、海洋微生物にとって適応的だと考えられる。DMを生産する性質は、局所的に上昇気流を起こすための適応戦略であり得る。もちろん、DM生産は一種の利他行動である。上昇気流が生じれば、DM生産者だけでなく、非生産者も利益を得るのである。

ハミルトンは、血縁淘汰理論の提唱者らしく、血縁度の高い微生物がブルームを作っているような状態なら、DM生産が進化すると考えている。

その後の研究によれば、DMの前駆体であるDMSPは、微生物にとって浸透防止や凍結防止に役立つそうだ。そしてDMは、微生物の食物網を通じて、DMSPから作られるという。したがって、DM生産が微生物自体の適応戦略であるという仮説は必ずしも支持できないと、Simo (2001, Trends in Ecology and Evolution 16: 287-294) は述べている。

また、DMだけでなく、大型海藻から放出されるヨードカーボンが、凝結核形成に重要な役割を果たすという論文も出ている(O'Dowd et al. 2002, Nature 417, 632-636)。

しかし、DMにせよ、ヨードカーボンにせよ、海の生物が作り出しているのだ。雲は物理現象と考えられがちだが、実はその背景に、生物の営みがある。この事実は、驚くべきことだ。

この事実を知った人には、「地球は生きている」というラブロックのメッセージは、わかりやすく響くだろう。このメッセージにむやみに反発せずに、進化生物学の理論と整合する仮説を探求したハミルトンの試みの真価が問われるのは、まだこれからではないかと思う。