社会現象としてのももクロ

成田空港に無事到着しました。待ち時間や機内で書いた記事をアップします。
先日、ももクロが広い支持を集め、感動を生んでいることについて、「社会現象として、とても興味深い」と書きました。その理由について、もうすこし詳しく書いてみます。
ももクロは、日本が戦後を通じて作り上げた「青春」に対するイメージをすっかり変えてしまいました。ももクロの歌詞と、これまでの「青春ソング」の歌詞を比較すれば、その違いが明らかです。

  人は誰も人生につまづいて 人は誰も夢破れ ふりかえる
  振り返らずただ一人 一歩ずつ 振り返らず泣かないで 歩くんだ

  • 「青春時代」(森田公一とトップギャラン1976)

  青春時代の真ん中は 胸に刺さす ことばかり
このように、60年代以降に歌われた青春といえば、壁にぶつかって、夢破れて、泣きながら生きる、という感傷的なものでした。「青春」に対するこのイメージは、2008年のNHK合唱コンクール課題曲として作られてヒットした「手紙」(アンジェラアキ)にも継承されています。
  今負けそうで泣きそうで消えてしまいそうな僕は
  誰の言葉を信じ歩けばいいの?
  ひとつしかないこの胸がばらばらに割れて 苦しい中で今を生きている
しかし、以下のように、ももクロの歌詞には、そんな感傷のかけらもありません。

  笑顔が止まらない! 踊るココロ止まらない!
  動きだすよ 君のもとへ 走れ! 走れ! 走れ! 

  分かれ道で行き先悩んだとき 自分の限界に立ち止まってしまったとき
  このウタ歌ったらいつの間にか 笑顔こぼれてた 魔法みたいだね

  悔しくて涙こぼれたって 次の朝にはもう乾いている
  燃料タンクのやる気満タンで リセットできたらさあ出発だ
1954年に生まれ、60年代以降の青春ソングを歌いながら育った私にとって、この変化はとても興味深いです。
60年代以降の青春ソングは、フォークソング運動の影響を受けています。フォークソングは最初はプロテストソングでした。しかし、60年安保闘争の挫折を通じて、「風」に象徴される感傷的な歌に変わっていきました。「風」がヒットした1969年には、東京新宿駅西口に現れたフォークゲリラに機動隊が動員され、ガス弾で弾圧されるという事件が起きました。そして安田講堂事件。そのとき私は中学3年生で、週末には山に出かけて植物採集に明け暮れていましたが、それでも社会全体の重苦しい雰囲気を感じていました。
1970年にはジローズの「戦争を知らない子供たち」(作詞は北山修)がヒット。
  若すぎるからと 許されないなら 髪の毛が長いと 許されないなら
  今の私に 残っているのは 涙をこらえて 歌うことだけさ
これは、プロテストソングとしてのフォークソングの最後を飾った歌だと思います。この歌は楽曲的には明るい歌ですが、歌詞には社会の大きな壁の前で勝利できない若者の感傷が込められています。この時代の若者には、勝利感・達成感を味わう機会が乏しかった。60年代以降の青春ソングに共通する「壁にぶつかって、夢破れて、泣きながら生きる」というイメージは、このような社会的背景と関係していると思います。
やがて1971年には、はしだのりひことクライマックスの「花嫁」と、北山修加藤和彦による「あの素晴しい愛をもう一度」が大ヒット。このころからフォークソングは、非常にプライベートな世界を歌うようになりました。そして1973年の「神田川」で、フォークソングは単なる美しい歌になり、その役割を終えたと思います。
あれから40年。この間に、日本の社会も大きく変わりました。ももクロの活躍は、この40年間の大きな変化の産物だと思うのです。これはひとつの大きな転換点。
社会の変化を促した要因のひとつは、女性の社会進出ですね。いまや女性は、おそらく日本の歴史ではじめて、いろいろな職業に自由にチャレンジできている。ももクロの活躍は、この変化を象徴しています。しかしそれだけなら、Perfume, AKB48など他の女性アイドルとももクロは同格です。
ももクロの活躍には、もうひとつ別の要因が関わっていると思います。それは、マンガ・アニメ・ゲームを通じて育まれた、友情・努力・勝利、という王道のテンプレート。いわゆる少年ジャンプの方程式が、日本社会に深く根をおろしたのだと思います。このテンプレートのルーツを探れば、滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」に行きつきます。八つの玉を宿した8人の若者が出会い、友情に結ばれ、やがれ囚われの身の姫を救い出すというこの物語は、サイボーグ009ドラゴンボール、ワンピースなど、多くの少年漫画に絶大な影響を与えています。そして、サイボーグ009の系譜を組むゴレンジャーのコスチュームを身にまとい、闘うヒロインとして登場したのがももクロです。
闘うヒロインがブレイクしたのは、美少女戦士セーラームーン(1992-97)が最初だと思います。そして、魔法騎士レイアース(1994)がこれに続いた。その主題歌「ゆずれない願い」は大ヒットし、この歌をうたった田村直美紅白歌合戦に出場しました。
  止まらない未来を目指して ゆずれない願いを抱きしめて
  色あせない心の地図 光にかざそう
この歌詞は、ももクロの歌と同じトーンです。ここにももクロの力強い歌の源流があると思います。
美少女戦士セーラームーン魔法騎士レイアースのヒットから、およそ20年。この20年間に、友情・努力・勝利、という少年マンガのテンプレートが少女マンガにも浸透し、そして社会全体に浸透したのだと思います。たとえばももクロの振り付けをしている石川ゆみさんは、美少女戦士セーラームーン魔法騎士レイアースを見ながら育った世代です。この世代で、ダンスの好きな女性が、ダンサーや振付師として成功できるようになった。そしてその世代が、ももクロを育てているわけです。
そして、メンバー間の競争をプロデュースしているAKB48とは対照的な、チームメンバーが力をあわせて困難を乗り越えて成長するという、ももクロが登場しました。ももクロの路線は、競争よりも和を尊ぶ精神です。それは、「南総里見八犬伝」以来、日本文化の底流にある友情・努力・勝利、という王道のテンプレートにのっとっています。そして、ももクロのメンバーたちは、「一瞬一瞬 フルパワー」で、「笑顔と歌声で世界を照らし」出しています。この姿に、60年代、70年代に暗い青春を送ったおじさんたちが、はまっているわけです。
ももクロにはまって、「おじクロ」という劇を作ってしまった鈴木聡さんは、「ももクロ」がオヤジたちの人生を変える理由、と題する日経トレンディのインタビューで、次のように語っています。

時代性の反映、という部分はありますね。20年ほど前に比べて、今は「こんな生活をしたい」という夢がかなう可能性がとても低くなっているから、みんな大それた夢を抱きにくい。子どもたちも、傷つくことを恐れて、恋愛にも消極的だし、どうせ実現しないだろうと夢を見たがらない。僕らが学生のころなんて演劇やってたりして将来のことなんて全然考えていなかったけど、今の子供たちは非常に計画的に資格をとったりしている。大人たちも同じで、現実というものがものすごく重くなってきています。

私は、これは鈴木さんの完全な誤解だと思います。今は、少なくとも若い女性にとって、「こんな生活をしたい」という夢がかなう可能性が大きくひろがっている時代です。ももクロの成功はそれを象徴しています。私が中学・高校生だったころには、女性は「良妻賢母」になるべきだという強い社会的規範がありました。私の世代の女性たちにとって、才能を開花させる可能性はいまよりずっとずっと限られたものでした。しかし今は、オリンピックでの女性アスリートの活躍に象徴されるように、女性には「何でもできるんだ」というイメージがひろがっています。そのイメージをももクロが新しい形でひろげている。だから、ももクロは女性にも人気が高い。
ももクロを見ていると、日本社会はすばらしい時代を迎えたのだと思います。マンガ・アニメ文化が社会全体に根付いた結果として、ももクロのように仲間とともに一生懸命生きる生き方を、社会全体が応援している。社会全体というのは言い過ぎかもしれませんが、その状況に近づいています。この日本社会のソフトパワーは、世界に誇っていいと思います。
大人はいつの時代も、若者の可能性を低く見積もり、「今の若者は・・・」と愚痴る傾向にあります。その結果として、社会全体が良くなっている面を軽視しがちです。いまの日本がさまざまな問題に直面しているのは事実ですが、それを乗り越える力もまた、しっかりと育っているように思います。
最後に、ももクロ未来へススメ」の歌詞の一部を引用して、この記事を終えることにしましょう。この歌詞には、南総里見八犬伝の八犬士が持つ8つの玉の言葉(仁義礼智忠信孝悌)がちりばめられています。彼女たちはこの歌を震災後の仙台で歌いました。いい歌だと思います。
  どんなどんな不器用でも 今は今はかまわないよ
  倒れそうになったときは 支えあえば大丈夫!
  いつかいつか辿りつける 夢に夢に描く場所
  立ちあがれるいつだって 孤独じゃない強い悌(きずな)
  まっすぐ未来へススメ!