幕が上がる

  • 幕が上がるを見た。試写の評価が高い理由がわかったよ。特にこれといって盛り上げる作り込みがない原作を胸に突き刺さる映画にしたのは、さおり役の百田さんの表情とセリフ。脚本の力ももちろんあるが、百田夏菜子恐るべし。大林監督が、愛おしいほどの女優に育ったと絶賛したのもうなづける。
  • しかし、彼女の表情とセリフは、演技なのだろうか? ライブの最後に何万人ものファンの心を打つ言葉を紡ぎ出せる潜在能力を本広監督がうまく引き出したのだと思う。とにかく最後は輝いていた。最初のころ、部長として悩んでいたころのくすんだ表情とは対照的。
  • 原作は文学性が深いんだけど、このままでは、映画的カタルシスが出せない。フラガールのように劇中の舞台をそのままエンディングに持っていけば良い作品じゃない。銀河鉄道の夜は名作だけど、感動的な物語ではない。そこで喜安さんは、さおりのモノローグに最後を託した。
  • さおりのモノローグは2回ある。一回目は、吉岡先生が去ったあとの落胆を乗り越えて、部員に「行こう、全国に」と呼びかけるシーン。流暢ではなく、言葉を選んで、自分に言い聞かせるように話すシーンは、黒木華さんの演技よりずっと初々しいけど、胸に刺さる。
  • 二回目のモノローグは、エンディング直前の、ブロック大会の舞台の幕が上がる前。原作にはない、吉岡先生への手紙が、さおりのセリフで語られる。吉岡先生の新たな舞台とブロック大会の舞台が交互に映される中で、さおりが自分の気づきを語る。原作では、「あ、」からはじまる気づきだ。
  • 「あ、」からはじまる原作の文章は、「幕が上がる」の私の書評に引用がある。→「あ」と声を出したのは、大切なことに気がついたからだ。・・・いま、私は、この作品が何を描こうとしているのかが、やっとわかった。・・・私は、何ものにもなれない自分に苛立っていた。
  • 「幕が上がる」の私の書評は、こちら:http://d.hatena.ne.jp/yahara/20141112
  • 原作では、吉岡先生は、さおりたちとの別れに際して、宮沢賢治の詩『告別』を送るのだが、映画ではこの詩は滝田先生が国語の授業で紹介する。「いゝかおまえはおれの弟子なのだ 力のかぎり そらいっぱいの 光りでできたパイプオルガンを弾くがいゝ」
  • そして百田夏菜子は、見事に「光でできたパイプオルガンを弾いた」と言える演技をした(これが演技なのかどうかよくわからないが、とにかくその輝きを放った)。彼女の表情が、盛り上げの仕込みがないこの映画に、カタルシスをもたらした。そして「胸に刺さる映画」になった。
  • 黒木華さんが「自画像」を実演する演技は確かにすばらしかったが、ちょっと期待値が高すぎたかもしれない。本人も相当なプレッシャーだったと語られている。むしろ、劇部員に接するリラックスした演技のほうが、私には印象深かった。本当に頼もしくて、さばさばした先生。
  • 他の出演者では、滝田先生を演じた志賀廣太郎さんの声の良さにしびれた。ムロツヨシさんの溝口先生も、まじめなストーリーに笑いを呼び込んでいて、良いキャスティングだと思った。配役はほぼ完ぺきではないか。カメオ出演の方々も、私には違和感なかった。
  • この映画は本当に、幸せな映画なのだ。平田オリザさんの原作、本広監督の映画化への着眼、ももクロの起用、脚本の喜安さん、吉岡先生の黒木さん、主要なプレイヤーとしてこれだけの面々がタイミングよく揃わないと成り立たなかった。どのプレイヤーも大きな達成後のチャレンジ。
  • 関係者がみんな、現状に安住せずに、新しいことにチャレンジしようとして、加速している中でのコラボレーション。しかも、全員に演劇への愛がある。これはちょっと、他に例のない映画。アイドル映画とか、青春映画という枠でくくれない。演劇への愛がつまった映画だ。
  • 演劇への愛という点では、喜安さんの脚本は、平田さん演劇論へのリスペクトに満ちていると思う。さおりのせりふで、平田さんの演劇論が語られている。演劇のおかげでコミュニケーションがとれるようになったというさおりのセリフも平田コミュニケーション論へのリスペクト。
  • 音楽も良い。挿入歌はふたつとも爽やか。エンディング直後に流れる「走れ!」も、「舞台の上でならどこまでも行ける」と気付いたさおりたちへの応援歌としてぴったり。「走れ!」で盛り上げて、「青春賦」でしっとりと終わる。「青春賦」は卒業ソングとして長く歌われるだろう。
  • 長いツイートもこれで終わり。演劇に一生けん命に挑んでいる女子高生の輝きを、細工をせずに、ストレートに描いた作品。それを演じたももクロの5人がすばらしい。彼女たちは、「輝きスイッチ」を持っているね。そのスイッチが入った演技は、誰にも真似ができない。本物です。