信頼できる発言と信頼できない発言を見わける基準、バスビー教授のTVインタビューへの疑問

「発声練習」さんのブログ

「他者が検証しやすい形で情報を提供している人はまともな可能性が高い」と考え、どんなに偉い人、実績のある人でもこの条件を満たしていない人はとりあえず、退けておけば良いと思います。

この意見に強く同意する。「発声練習」さんが指摘されているとおり、人は間違えるし、自分の見たいものしか見ない傾向がある。したがって、間違っていないかどうか、また大事なポイントを見落としていないかどうかについて、第三者による検証がとても大事だ。
科学者は、自分の専門分野について論文を書くときには、自分の主張を自分でも厳しくチェックするし、論文の審査過程で、第三者による厳しいチェックを受ける。しかし、専門外のことについて(あるいは、時として専門のことについてすら)、インタビューなどで間違った見解や偏った見解を語ることがしばしばある。
間違っても、あとで訂正できる形で情報を提供していれば、被害は少なくて済むし、間違いの訂正を通じて、正しい理解をひろげることに貢献できる。水を煮沸してはいけない、かえって放射性物質が濃縮されるという理解は、こうして広がった。
しかし、根拠を明示しない主張や、事実にもとづかない主張は、市民の判断を誤らせる点で、有害である。どんなにエライ人の発言でも、根拠を明示しない主張や、事実にもとづかない主張には、耳を貸さないほうが良い。
欧州放射線リスク委員会(ECRR)科学委員長のバスビー教授のTVインタビューは、残念ながらこの例である。

まず、バスビー教授の判断は、測定値にもとづいていない。インタビューが行われた3月24日ころまでには、各地で放射線量が継続的に測定され、そのデータが公表されていた。しかし、バスビー教授はこれらの数字には一切ふれずに、 I can't think of anything. I can only guess.(何も考えられない。私にできるのは推測だけだ。)と答えている。しかし、にもかかわらず、Now I believe they should consider taking people out of Tokyo(東京の人たちを避難させるように考えるべきだと信じる)と主張している。さらに、
The problem is that the risk model being used in order to make all of these statements is out of date and incorrect. .. they should get people away because people are going to get cancer at a much higher rate than is predicted from the risk model. (問題は、(政府・東電の)判断に使われているリスクモデルが時代遅れであることだ。このリスクモデルの予測よりもはるかに高い率でガンが発生するから、人々を避難させるべきだ)
と主張している。しかし、どういう点で時代遅れなのか、判断材料は何も提示していない。
根拠を知りたいと考えて、バスビー教授による「2011年3月19日 ECRRアドバイス・ノート ECRR リスクモデルと福島からの放射線」を読んだが、さっぱりわからない。そこでECRRモデルが説明されているというECRR2010レポートを見ようとしたら、なんと有料だった。
Google Scholarで"ECRR risk model"をキーワードに検索した結果、バスビー教授の論文にやっとたどりついた。

しかし、2009年に発表されているのに、この論文を引用した論文は、これまでに一編もない。バスビー教授は2000年にも論文を書いているが、それを引用した論文は20編(うち8編は自分の引用)。
これらの数字から、バスビー教授の論文は、専門分野の他の科学者からほとんど無視されていることがわかる。一方で、このブログで19日、26日に紹介したPNASの論文(2003年)は、これまでに492回引用されており、2010年にも数多く引用されている。
また、バスビー教授の上記論文では「Method(方法)」がきわめて簡単にしか書かれていないので、「他者が検証しやすい形で情報を提供」しているとは言い難い。
このような論文を読む時間は惜しい。インタビューやアドバイス・ノートが「他者が検証しやすい形で情報を提供」していないことも考えに入れて、バスビー教授の論文は読まないことにした(注:要旨・方法は読んだ)。
時間は有限なので、情報は取捨選択する必要がある。
「他者が検証しやすい形で情報を提供」していない人は、どんなに偉い人でも退ける、という基準は、有限の時間の中で的確な判断を下していくうえで、とても有用だと思う。
※命にかかわる問題では異端の見解にも耳を傾ける必要がある、という反論があるかもしれない。しかし、専門家の間でも判断が分かれる程度のリスクの違いを、生死を分けるような問題とみなすのは、心配し過ぎだ。市民や非専門家は、予防原則にもとづいて、一ケタ厳しい基準値を判断材料にしておけば良いと思う。