ハノイからジャワへ

昼過ぎにハノイを発ち、シンガポール経由でジャカルタに飛び、車で約3時間かけてボゴールに着いた。ベトナムも、ジャワ島も、はじめての訪問である。先月末にはカンボジアにいた。こうやって、アジアを飛び回れる日が来るとは、30年前には想像できなかった。
サイゴンが陥落し、ベトナム戦争終結したのが、1975年。私が大学3年生のときだ。サイゴン陥落と平行してカンボジアロン・ノル政権がクメール・ルージュに敗れ、その後カンボジアでは、ポルポトによる大虐殺により、多くの命が失われた。知識人はとくに虐殺の対象とされたため、科学者はほとんど命を落とした。1978年、私が大学院生のときに、ベトナムカンボジアに侵攻し、ポルポトによる大虐殺に終止符が打たれた。しかし、ベトナムが擁立したヘンサムリン政権とこれに反対するクメール・ルージュらの反ベトナム三派連合との間でその後も内戦が続いた。内戦が終結したのは1991年のことだ。1980年代にはまだ、カンボジアは訪問できる国ではなかった。ベトナムドイモイ政策を開始し、改革開放路線に踏み出したのは、1986年。ベトナムカンボジアからの撤兵が1989年。ベトナム・フランスが和解したのが1993年。そして1995年には、ベトナムアメリカ合衆国が和解し、ベトナムASEAN加盟が実現した。それから、早くも15年が経ったのだ。
ハノイで開催されたインドシナ3国植物誌のシンポジウムでは、ベトナムラオスカンボジアに加えて、タイや中国・韓国の研究者も参加し、国境をこえた協力を進めようという意欲が感じられた。
このシンポジウムは、フランスの支援で2年前に第一回目がプノンペンで開催されたそうだ。次回はラオスで開催される予定。今回は、セッションの座長をしたり、若い研究者の発表にコメントしたりすることで、このシンポジウムで広がりつつある協力の輪に、ささやかながら貢献できた。
5日にはエクスカーションに参加し、タムダオ国立公園の照葉樹林を、各国の研究者と一緒に歩いた。南西諸島の森林フロラを知っていれば、8割の樹木は属まで同定できる。カンボジアの熱帯林に比べ、日本の照葉樹林にとてもよく似ている。ベトナムは日本と同様に南北に細長く、山地が多く、地形が複雑で、しかも海に面している。種多様性はラオスカンボジアより高く、固有種も多い。しかし、森林は大きく減少しており、すでに絶滅した種もあるようだ。カンボジアとの比較のうえでも、ベトナムの森林植物の減少をぜひ調べてみたい。とはいえ、残念ながら私が使える時間には限りがある。もっと自由に時間が使える若手の活躍にも期待したい。
明日からは、インドネシアでの共同研究の相談をする。インドネシアは、ブラジル・メキシコ・中国と並ぶメガダイバーシティの国だ。東南アジアの中でも、ずば抜けて高い生物多様性を有している。しかし、一方でまた、森林減少がもっとも急速に進んでいる国でもある。この国の生物多様性保全に貢献するうえで、何ができるかを真剣に考えている。