サンスーシ宮殿とフリードリッヒ大王の墓

yahara2008-04-13

ポツダム会議の開催地として、ポツダムの名は、日本人にはよく知られている。しかし、どんな都市かを知る人は少ないだろう。ポツダムは、ベルリンの西に位置する人口14万人の小都市であり、大王と呼ばれたプロイセン王フリードリッヒII世が暮らした歴史のある街である。
歴史に名を残すフリードリッヒII世には二人いる。一人は神聖ローマ帝国皇帝(在位:1215- 1250年)で、ローマ法王から破門されながらも、イスラム世界との和平を追及したユニークな人物。9ヶ国語に通じていたと言われ、多くの著作や詩を残した。また、ナポリ大学を開いて学問を奨励し、自らは鷹に関する研究を重ね、近代鳥類学の礎を築いたとする評価もあるくらい、学者肌の人物でもあった。
1740年にプロイセン国王に即位したフリードリッヒII世が、同じ名を持つ神聖ローマ帝国皇帝を意識したことは、想像に難くない。彼は即位前には『反マキャヴェリ論』を著し、権謀術数を批判し、道徳的な君主像を主張した。即位後は、拷問の廃止、農民への種籾貸与、オペラ劇場の建設、先王フリードリヒI世のもとで冷遇されたアカデミーの復興などの改革を実行した。当時のヨーロッパで嫌悪されていたジャガイモ栽培を強力に推進したのもこのような政策の一環である。その結果、ベルリンは「北方のアテネ」と呼ばれる自由な街へと変貌を遂げた。
そのフリードリッヒII世が、自ら設計に加わって建設したのがサンスーシ宮殿である。1745年に建設がはじまり、1747年に完成している。74歳でなくなるまでの人生のほとんどをこの宮殿で暮らした。自らフルートを演奏し、フルートソナタなどを作曲したフリードリッヒII世は、宮殿に第一級の音楽家を集め、バッハとも交友があった。また、宮殿のそばに名画を集めた画廊(Die Bildergalarie)を設けた。この建物は、世界ではじめての博物館だと言われている。
このように、芸術家肌であり、合理主義者でもあったフリードリッヒII世だが、ヨーロッパ列強に伍する強力な軍隊を作り上げた父フリードリッヒI世の後継者として、領土拡張のために戦争という手段を厭わず、戦いに明け暮れる生涯を送った。晩年は人間嫌いになり、愛犬とフルートだけが心の慰めだったと言われる。
そのフリードリッヒ大王の遺体は、歴史にもてあそばれて各地を転々としたが、東西統一を経た1991年に、生前の希望どおりに、11匹の愛犬とともにサンスーシ宮殿に埋葬された。
その墓の場所を、ドイツ人の参加者に聞いてみたが、知らないという。フリードリッヒII世がジャガイモの栽培を奨励したというエピソードを知っている参加者にもついに出会わなかった。「自分の国の歴史を知らなければ真の国際人にはなれない」という飛躍した論理で高校での日本史教育を必修化する動きがあるが、自国の歴史を知らない国際人はたくさんいる。肝心なのは、知識があるかどうかではなく、自分の見方ができるかどうかという点だろう。
大王の墓を探して、宮殿のまわりを歩いてみたが、見つからない。Die Bildergalarieで名画を鑑賞したあと、チケット売り場の老婦人に場所を聞いた。英語がほとんど通じなかったが、コミュニケーションを試みているうちに、墓の写真が入った絵葉書を差し出された。たぶん、「これを探しているのか?」とドイツ語で聞かれたのだと思う。イエスと言ったら、身振り手振りで場所を教えてくれた。「階段をあがって右手よ」と言っているように思えたので、その通りに探してみたら、すぐに見つかった。
Friedrich der Grosseと書かれただけの、簡素なプレートが芝生の中に置かれていた。花束に加えて、ジャガイモの供え物が置かれていた(写真)。大王の名を戴いたプロイセン国王の墓にしてはあまりにも質素であるが、豪奢な墓石よりもジャガイモの供え物で感謝されるほうが、道徳的な君主像を主張したフリードリッヒII世にはふさわしいように思う。
宮殿のあるサンスーシ公園は、200ヘクタール近くあるだろう。東西にまっすぐ伸びた歩道は約2km。その両側には随所に二次林があり、ブナやカシはまだ芽吹いていなかったが、林床にはニリンソウに似たアネモネ(Anemone nemorosa)、紫色のエンゴサク(たぶんCorydalis solida; 花色に多型があり赤花や白花の変異株が見られた)、黄花のキンポウゲなどの早春植物が咲いていた。日本の雑木林の林床によく似た植物が多いが、黄花のアネモネ(Anemone ranunculoides)のように日本に対応する種がないものもあり、花を見ながら歩くと、2kmの道のりもあっという間である。
サンスーシとは、フランス語で「憂いのない」という意味である。この公園を構想したフリードリッヒII世の願いは、心からくつろげる牧歌的な居城を作ることにあった。250年あまりの時を経て、彼の願いはかなった。静かな森に囲まれた、美しいサンスーシ公園には、訪れる人の心に安らぎを与える、ゆったりとした雰囲気がただよっていた。