ドイツと日本のつながり

ベルリンから無事帰国した。ベルリンでは、ドイツと日本のつながりの深さをいろいろな機会に感じることができた。そもそも、明治維新以後の日本の近代化の過程で、日本はドイツに大きな影響を受けている。たとえば日本の大学制度はドイツを模範にしたものだ。私が大学時代まで、理系の学生は大部分がドイツ語を履修していた。一方で、ドイツでは日本研究がさかんであり、今回のシンポジウムでも日本学研究者による里山に関する発表があった。
今回はじめて知ったことのなかで、とくに興味深かったのは、板東俘虜収容所の話だ。会津出身の松江収容所長が、捕虜に対してとくに人道的な対応をとり、自主的な活動を奨励した。その結果、ドイツ菓子の作り方やウイスキーの作り方など、多くのドイツ文化が日本にもたらされた。ベートーベンの第9が最初に全曲上演されたもの、この収容所だった。
今回のシンポジウムでは、生物多様性というテーマを通じて、ささやかながら日独の新しい交流を進めることができた。私は2008年にGEO BONコンファレンス参加のためポツダムにあるサンスーシ宮殿を訪問した。今回のシンポジウムの講演では、そのことも紹介できたので、何とか招待講演者としてのつとめを果たすことができた。2008年訪独時には、サンスーシ宮殿とフリードリッヒ大王の墓と題して旅行記を書く余裕があったが、今回は夜も朝も急ぎの仕事への対応を続け、ブログを更新する余裕がなかった。2年前に比べ、格段に忙しくなっていると感じる。
しかし、4月からは(いまのところ)スケジュールに余裕があるので、落ち着いた生活を取り戻したいと思う。