ドイツへ

時差がとれ、寝不足を解消し、体のリズムが戻ったところで、明日は再びヨーロッパに飛ぶ。今度はポツダムで、GEO BON Conference(COP9に向けて、生物多様性観測ネットワークを国際的に組織するという提案文書を仕上げるための会議)に出る。GEO BON, 2010 target, COP9などについては、私のウェブサイトにTowards establishing Biodiversity Observation Networkと題するリンクサイトを作った。GEO BON Draft Concept Document をここからダウンロードできるようにした。名古屋で開かれるCOP10(18-20 October, 2010)の資料も載せておいた。関心がある方は、活用されたい。
ポツダムでの宿泊先は以下のとおり。

Kongresshotel am Templiner See
Am Luftschiffhafen 1
14471 Potsdam
Phone +49 331 907-0
Fax +49 331 907-70777
http://www.kongresshotel-potsdam.de/content/en/index.php

また、会議の会場は以下のとおり。

Institute for Biochemistry and Biology
University of Potsdam
Maulbeerallee 2
14469 Potsdam

この研究所は、有名なサンスーシ宮殿(無憂宮)の中にあるそうだ。楽しみである。プロイセンの大王フリードリヒ2世が夏の居城として建てた、ロココ式の壮麗な宮殿である。Logisticsの文書の1ページ目に、宮殿の写真があるのは嬉しい。
フリードリヒ大王は戦争に明け暮れた武人だが、「ジャガイモ令」を発令して、ジャガイモ栽培の振興につとめた人物であることを最近知った(伊藤章治「ジャガイモの世界史」中公新書 ISBN:9784121019301)。ジャガイモは聖書には書かれていない作物なので、ヨーロッパにもたらされた後、当初は不吉な作物として民衆の抵抗にあう。ヨーロッパの人たちの間で、聖書の記述がいかに合理的な判断を妨げたかを物語る、興味深いエピソードである。プロイセンでは、1750年以後の大王の強権発動によってジャガイモ栽培が普及した。「ジャガイモ令」が発令された1756年には、すでに栽培がかなり進んでいたようだ。1756年といえば、オーストリア、ロシア、フランスとの7年戦争が幕を開けた年である。ジャガイモ栽培の普及に先行したことが、プロイセンを有利にしたことは確かだろう。
この戦争でプロイセンの捕虜となったパルマンティエが、のちにフランスでジャガイモ普及に貢献する。7年戦争は、ヨーロッパにジャガイモを普及するという「戦果」を残した戦争でもあった。
今や西欧の料理には欠かせないポテトも、その歴史は意外に新しく、そしてその普及の背景には戦争があったのである。さらにその背景には、気候の寒冷化にともなう飢饉の頻発があった。生態学的に見れば、作物や気候は、人口の環境収容力を規定するので、歴史の重要な駆動力である。気候の変動と新たな作物の普及という点で歴史を見ると、古い知識に新しいつながりが生まれて面白い。