井上ひさしさんを悼む

昼休みに私用のノートPCでニュースを見て、井上ひさしさんがなくなられたことを知った。残念だ。
私の世代にとって、彼が脚本を書いた「ひょっこりひょうたん島」は、忘れられない作品だ。やっと白黒テレビを観れるようになったころ(小学校時代)、この番組が毎日楽しみで仕方なかった。とにかく面白かった。話も面白かったし、ドン・ガバチョ、サンデー先生、トラヒゲ、マシンガン・ダンディなど、登場人物が独特のセリフを話し、これがまた面白かった。今から思えば、井上ひさしの言葉のセンスと脚本のうまさが結実した作品だった。
次に井上ひさしに接したのは「吉里吉里人」(1981年)だから、東大で助手になった年のことだ。これまた面白かった。こらえきれずに、声を出して笑いながら読んだ。数年前に、新入生への推薦図書を選ぶときに、「吉里吉里人」を候補に考えて読み返してみた。やっぱり面白くて、吹き出しながら読んだ。しかし、あまりに下品な部分があるので、推薦図書にするのを躊躇してしまった。吉里吉里語(東北弁)の文法を延々と解説し、簡単な吉里吉里語の話し方を紹介したあと、練習問題として、とある有名な文章を吉里吉里語に翻訳している箇所などは、笑いをこらえきれないところだが、下ネタに走り、いささかやりすぎではないかと思う。反感をもたれるかたもいらっしゃるだろうし、世が世なら、お縄をちょうだいするところだ。それを承知で書いているところが、井上ひさしさんらしいのだが。
それから、「国語事件殺人辞典」(1982年)「国語元年」(1985年)を読み、井上さんの言葉に対するなみなみならぬ思いと、話の展開のうまさにあらためて感銘を受けた。
その後「きらめく星座−昭和オデオン堂物語」(1985年)の舞台を観て、井上戯曲のファンになった。それ以来、「雪やこんこん−湯の花劇場物語」「闇に咲く花−愛敬稲荷神社物語」(いわゆる昭和庶民伝三部作)は、舞台もみたし、脚本も買って読んだ。これらは喜劇でもあり、悲劇でもある。笑って観ているうちに、庶民の戦争責任という重いテーマにひきこまれる。早いテンポで展開する動的な舞台が、ラストシーンでぴたりと静止し、深い余韻を残す。さまざまな過去をひきずりながら一生懸命生きている庶民の希望と闇を、これほど見事に描いた作品はほかにないだろう。
そのほかにも有名な作品が多い中で、いまもういちど読み返すとしたら、「月なきみそらの天坊一座」をあげたい。