「最近の若い者」はいつ頃から嘆かれていたか?

昨日のブログで、

「最近の若者は・・」という愚痴は、エジプトの石版に記されているという風聞には根拠がないそうだが、かなり古い文献から見られることは確かである。

と書いたが、記憶が曖昧だったので確かめてみた。
記憶をたどって見つけた出典は以下の2つ。

お二人とも、出典を探すために、グーテンベルグ・プロジェクトのテキスト検索や、図書館のリファレンスサービスなどを使って、相当な努力をされている。その成果をネットで簡単に見ることができるのは、ありがたい。
スゴ本さんは、図書館のリファレンスサービスを利用することで、吹風日記さんが到達できなかったプラトンの文献を探しだされている。
そのスゴ本さんによれば、プラトンは若者批判とも読める文章を書いてはいるが、「語られている趣旨は、若者批判ではない」。詳しくは、スゴ本さんのエントリーを直接参照されたい。私には大変、勉強になった。
というわけで、「かなり古い文献から見られることは確かである」という私の記憶は正確ではなかったので、訂正しておく。
とはいえ、若者の堕落を嘆く声は、私が若者のころにはすでにあった。やはりスゴ本さんのサイトで知ったのだが、財団法人社会経済生産性本部が公表している「新入社員のタイプ」は、昭和48年にさかのぼる。私が大学に入学した年だ。当時の若者のタイプは、パンダ型(おとなしく可愛いが、人になつかず世話が大変)だったそうだ。
当時は、若者を形容する「三無主義」という言葉もあった。確か、無関心・無気力・無責任、だったと思う。
少なくとも30年以上前から、年寄りが若者を見て嘆いていたことは確かである。
年をとった者が、新しい社会状況の中で生きている若者を見て、「最近の若者は・・・」と嘆く傾向を持つことは、ある意味で理にかなっている。年をとると、地位や生活環境が安定するので、自分が経験した範囲での判断をしておけば、大きな間違いをおかす確率は低い。このため、年をとると判断が保守的になり、自分の経験からはみ出した若者は、危なっかしく見えてしまうのだ。
しかし、いつの時代も、未来を作るのは若者だ。
年寄りがどう嘆いてみても、若者が次の時代を作る主役であることは疑いない。