養老院より大学院

久しぶりに、11時前に明日の授業の準備が終わった。10月1日にパリから帰国して以後、週4回の授業+2つの事後評価+科研費+度重なる出張で、苦しかった。2つの事後評価と科研費申請が終わり、授業が週3回に減り、かなり楽になった。とはいえ、依然として苦行は続く・・・。
週末の福井出張時に、博多駅売店で、次の本が目にとまった。

内館牧子『養老院より大学院』
講談社 (2007/9/14) ISBN:4062757745

一年前に出版された本が講談社文庫におさめられ、店頭に平積みされていた。
大相撲をこよなく愛し、女性としてはじめて横綱審議会委員をつとめた著者が、土俵にあがって大阪府知事杯を手渡したいという太田房江知事の主張に憤慨し、土俵上の女人禁制を正当化する論理を磨き、土俵を守りたいという一心で大学院に入学し、3年間を費やして修士論文を書き、修士の学位を得るまでの奮戦記である。
著者が籍を置いた、東北大学の宗教学の研究室の描写は、大学院教育に携わるものとして、とても嬉しい。たとえば、117ページには以下のようなくだりがある。

そして入学から三ヶ月たった七月八日、第一回目の発表をした。「土俵という聖域」というタイトルもすでにできていて、きちんとレジュメを作って発表した。
ところが、もう突っ込まれるは、突っ込まれるは、吊るし上げ・・・・・じゃない「愛にあふれた所感と質問」の雨嵐である。じゅうたん爆撃である。蜂の巣である。ここまで三ヶ月間、他院生の発表を聞き、どういうめに遭わされるかは十分にわかっていたし、彼らに容赦なく突っ込んだ私もいる。が、自分がやられると、これはすごい。私は心の中で、「テメーら、息子や娘のトシのくせして、よくそこまで言えるじゃねーか」と毒づいていたが、口に出す度胸はなかった。
その間も、息子もどきや娘もどきは平気で言う。
「内館さんは色んなことを断言してますが、ここまで断言するには文献やフィールドワークの裏づけが必要なのに、全然たいしたことやってない。創作の仕事なら空想して書くとか、面白い発想をふくらますとかは大切でしょうが、創作物を書いてるんじゃないことを、どこまで理解しているのか伺いたい」

いいなぁ、この研究室。
そして、内館さんはこんな大学院研究室の雰囲気を、愛情をこめて紹介されている。
最近、大学に対しては、げんなりするような世俗的で夢のない評価ばかりを耳にし、いいかげんうんざりしていた。
しかし、内館さんは、「日々の暮らしに何の役にも立たない遠大な話」に心をときめかせ、大学院の「非日常」こそ、「血湧き肉踊る」日々だったと絶賛されている。
大学のほんとうの価値を理解し、応援してくださる声をひさしぶりに聞いて、すがすがしい気持ちになった。
若者に対するまなざしも、謙虚であり、暖かい。
二言目には「評価」「評価」とおっしゃる方々に、読んで欲しい一冊である。