米中による全生命体系統解析プロジェクト

昨日は、学振POの会議に出るために上京。会議のあとに、中国訪問の感想を短く述べた。今回の中国訪問は、系統進化学の分野における動向調査であったが、そこで得た情報は、一専門分野の問題にとどまらない意味を持っていると思う。
北京でのシンポジウムのあとに、NNSFC(National Natural Science Foundation of China)のvice presidentであるZhu Zuo-Yanさんを招いて、非公式な懇談会が持たれた。NNSFCは、合衆国のNSF、日本の学振(JSPS)に対応する研究費助成機関である。
懇談会では、NSFとNNSFCが連携して、世界的な視野で、全生命体の系統解析を行うプロジェクトを展開する計画が議題にのぼった。今回のシンポジウムの成功を受けて、研究費助成機関どうしの議論も考えようという動きになりつつある。
「全生命体の系統解析」プロジェクトとしては、NSFの大型プロジェクトA Tree of Life(ATOL)がある。このプロジェクトによって、合衆国は世界を大きくリードした。そのプロジェクトが今年で終了する。当然ながら、合衆国の関係者は、次のプロジェクトの構想を検討中である。その視野の中で、中国との連携が模索されているわけだ。
中国には世界の生物種の約1割が分布すると言われており、パンダのようなカリスマ的な種、系統学的に重要な位置をしめる種も少なくない。世界的な視野で、全生命体の系統解析を行うプロジェクトを構築するなら、中国とのパートナーシップは欠かせない。
また、合衆国では、中国から渡米して学位をとり、合衆国でtenureをとって活躍している中国人研究者が少なくない。今回のシンポジウムは、分子系統学分野で、合衆国で職を持って活躍している中国人研究者(Qiu博士など)が、ATOLの中心メンバーのひとりであるMichael Donoghue博士と、中国側の実力のある研究者やNNSFCとの間で連絡調整をはかり、実現にこぎつけた。
合衆国で職を持って活躍している中国人研究者はどの分野にもいる。また、中国の大学・研究機関の研究費・研究設備は急速に改善され、研究水準が高まっている。したがって、今後はどの分野でも、米中連携の動きが加速するだろう。NSFはおそらく、中国とのパートナーシップを戦略的に重要な課題と位置づけるだろう。
ヒトゲノムプロジェクトにおいて、中国の貢献は1%だった。この数字を、中国の研究者から何度か聞いた。彼らにとっては、この数字は低すぎるのだ。次の機会には、中国の貢献度を格段に高めたいと彼らは考えている。
政府の科学技術への投資はめざましいものがある。「国家重点研究機関」に選ばれたところでは、研究費はかなり潤沢である。大学院生は政府によってサポートされているので、アルバイトはしていない。留学を支援する制度も充実してきており、実力のある大学院生は、博士課程の間に欧米に留学している。博士の学位をとるには、ISIに登録されている国際誌に2つ論文を公表するという条件が課せられている。海外に留学し、2つ論文を書いて学位をとるのが当り前になりつつある。
大学院生の表情は非常に明るい。オーバーポスドク問題である日本とは異なる、みんな希望を持っている。合衆国やヨーロッパに、職を得て活躍している中国人研究者が日本人の場合よりもはるかに多いので、向上心の強い学生にとっては、彼ら・彼女らがロールモデルになっている。また、欧米在住の中国人研究者は、中国から優秀なポスドクを獲得しようと考えている。
いま、中国は、いろいろな歯車がうまくかみあって、良い方向にまわっているという感想を持った。13億の人口をかかえるこの国の科学が、このペースで発展すれば、10年後には間違いなく日本を抜くだろう。
日本が、欧米だけを見ていれば良い時代は、確実に終わる。その時代が来るのは、もう少し先だろうと思っていた。しかし、今回の中国訪問で、その時代は目前まで来ていると感じた。
アジアでトップという日本の地位はいずれ中国に明け渡すことになる。しかしこの変化は、日本にとって決して悪いことではない。日本は、合衆国やヨーロッパとは地理的に離れすぎている。時差も大きいし、文化の違いも大きい。しかし中国へなら、日本から2時間で行けるのだ。しかも、文化的に深い関係を持っている。
数年前に、スペインで開かれた国際会議に参加したとき、EU統合の効果により、ヨーロッパの学生が国境を隔てて日常的に移動しているのに驚いた。たとえばスペインの学生が、フランスに留学し、北欧・東欧から地中海地域まで広く採集旅行をしてDNAサンプルを集め、比較研究を行っていた。それに比べ、東アジア諸国の交流の規模がなんと小さいことか。せめて日本・中国・韓国の間で、自由に行き来できるようになればと強く願ったことだった。
中国の急成長は、この願いを近い将来にかなえてくれるかもしれない。中国の学生にとっても、欧米に行くよりは日本を訪問するほうが、はるかに楽である。しかし、現状では、中国にとって日本は、日本にとっての中国と同様に、近くて遠い国である。
この距離を縮めるために、日本は本腰を入れて対策をとるべきだと思う。
なお、私はMichael Donoghue博士と、DIVERSITAS(生物多様性国際研究プログラム)のコアプロジェクトbioGENESISの共同議長をつとめているので、Donoghue博士から今回のシンポジウムの連絡を受けた。彼との相談の結果、bioGENESISがシンポジウムに協賛するという形をとり、日本から私を含む5名が参加した。しかし、もし私が事情を知らずにいれば、今回の議論は日本抜きで行われたはずである。
私は、日本側でもどのような貢献ができるか、帰国してから関係者とよく相談したい、と発言しておいたが、さてどれほどの貢献ができるだろうか。
私は、「全生命体の系統解析」というプロジェクトの推進者としては必ずしも適任ではないので、この分野の中心メンバーの方と連絡をとって、対応を検討しようと思う。