中国の食事

中国から戻ってまだ2日が過ぎたところだが、何日も経ったような錯覚に陥る。日本の日常の、なんと慌しいことか。
集中力が途切れると、中国を思い出す。前回までに書いたことに加えて、印象深かったのは食事である。
中国の食事が多彩で美味であることについては、多くの人が書き綴っている。
たとえば、米原万里さんは、「魔女の1ダース」に収められたエッセイの中でこう書かれている、

朝、昼、晩と出される料理の毎回美味で多彩なのに圧倒されながら、
「星は輝き、花は咲き、イタリア人は歌い、ロシア人は踊る」
という名文句があったが、これに続けて、
「中国人は料理する」
と書き加えるべきだと思った。中国人がその知識と才能とエネルギーと情熱を最大限に発揮する分野は、・・・間違いなく料理だ。

まったく、同感である。
料理法やメニューも多彩だが、何といっても食材の多様性が高い。食材の生物多様性という点では、中国は世界一かもしれない。
さすがにセンザンコウだのヘビだとのという珍品にはお目にかかれなかったが、カエル(ウシガエルではなく、トノサマ程度の小型種)は堪能できた。しかし、John Wiensは、一口食べただけだった。自分の材料を喰らうのに、やはり抵抗があるのだろうか。
一番印象に残っているのは、アミガサタケと魚のすり身のスープ。絶品だった。
フォアグラ化していない、ヘルシーな鴨のレバーもうまかった。
発酵豆腐は、確かに臭いが、この味にやみつきになるのも理解できる話だ。
ヘチマや、サトイモの葉柄などは、日本でもときどき使う食材だが、たっぷりどダシをしみこませたうえに、上手に炒めてあって、おいしかった。
そのほかいろいろ食べたが、あまりにも次々に多彩なメニューが運ばれてくるうえに、乾杯合戦が続いたので、最後の日のメニュー以外はどの日に何を食べたか、よく思い出せないというていたらく。
おなかはこわさなかったが、毎日食べ過ぎて、呑みすぎて、おなかが出てしまった。
しかし、天目山では山頂をきわめ、帰路は防火帯をかけおりた。おかげで、いまも筋肉痛である。