若手研究者育成・支援政策の強化に関する要望書

昨夜上海から帰国し、今日は総合地球環境研究所(京都)で研究会に出席した。上海に発つ直前に、事業仕分けにおいて、若手研究者育成・支援に関わる3つの経費が「縮減」と判定されたことを受けて、政府に対する要望書を急遽準備することになった。以下は、最終的に政務官に手渡された文面である。

内閣総理大臣  鳩山 由紀夫 殿
文部科学大臣  川端 達夫 殿

若手研究者育成・支援政策の強化に関する要望書 

事業仕分けにおいて、若手研究者育成・支援に関わる3つの経費(テニュアトラック制支援などに関する科学技術振興調整費、科学研究費補助金費若手研究など、日本学術振興会特別研究員雇用費)の縮減が求められました。私たちは、この判断は不適切であり、この判断が日本の科学技術の発展を大きく損なうことを憂慮し、以下の要望を行うものです。
(1) 科学技術振興に関する政府のビジョンを示し、その中で若手研究者に対する体系的な育成・支援策を示すこと。
(2) 大学院生に対しては、競争的支援制度(現行の日本学術振興会特別研究員DC1, DC2)、授業料免除、奨学金などの政策メニューを体系的に再検討し、欧米なみまたは現状以上の支援を行なうこと。
(3) ポスドク等の任期つき研究者に関しては、わが国の科学技術の基本的な担い手であるという位置づけを行い、競争と安定のバランスをとった政策を推進すること。
(4) 定職を得た若手研究者に対しては、その創意性と自立性が十分に発揮できるよう、科学研究費補助金費若手研究などによる研究支援を強化すること。

説明
 「科学技術のフロントランナーを目指して」と題する民主党の科学技術政策では、科学技術政策の本質は「人」の育成である、という基本方針を掲げています。このことから、政権交代によってわが国の科学技術政策が、人材育成重視の方向へと大きく改善されることを期待した科学者は少なくありません。しかしながら、上記の事業仕分けの結果により、この期待は大きな失望へと変わりつつあります。とくに大学院生や若手研究者の失望と反発は大きく、連日インターネット上で議論が交わされています。
 科学技術を発展させるには、大学院生や若手研究者に希望を与え、その創意性を最大限に引き出すことが何よりも大切です。このためにいま必要なことは、科学技術振興に関する政府のビジョンを示し、その中で若手研究者に対する体系的な育成・支援策を示すことでしょう。しかし今回の事業仕分けでは、これらの点についてのビジョンが示されないまま、個別のコスト削減論に終始しました。政治主導の行政をめざすなら、仕分け人の判断はあくまでも参考意見とし、政府の責任において、科学技術振興策、とりわけ若手研究者に対する体系的な育成・支援策を示すべきだと考えます。
 事業仕分けの議論においては、大学院生への支援を縮減する根拠として、「ドクター(博士の学位)を持っていながら就職できない若手研究者が非常に多い」という現状認識が示されました。私たちは、この現状認識は正確ではないと考えます。平成7年の科学技術基本法制定以来、平成8-12年度の第一期科学技術基本計画では17兆円、13-17年度の第二期基本計画では24兆円の国費が投入され、国策として研究開発が推進されてきました。しかし、この研究開発の下でも、任期のつかない研究者のポスト(大学教員や独法研究機関などの研究職職員)は削減されました。これに代わって、研究開発の担い手として増員されたのが、ポスドクに代表される任期つきの研究者でした。第一期科学技術基本計画で採用されたポスドク1万人計画は、さまざまな研究プロジェクトの実質的担い手として博士課程大学院生、および博士取得者を供給し、平成15年度には24,476名の博士課程大学院生、10,199名のポストドクターを生み出しました(科学技術・学術審議会第32回人材委員会資料)。これらの博士課程大学院生、ポストドクターたちが研究開発の現場を支え、iPS細胞に象徴される先端的研究成果を生み出したのです。
 民主党の科学技術政策は、21世紀のわが国がめざすべきは、単なる科学技術によって成り立つ国すなわち「科学技術(創造)立国」などではなく、「科学技術で世界をリードする国」でなければならないのである、と述べています。この方針を変更しないのであれば、博士課程大学院生やポストドクターを、わが国の研究開発の基本的な担い手として位置づけ、育成・支援策を強化する必要があります。
 現在の大学院生支援制度が、競争的支援制度(現行の日本学術振興会特別研究員DC1, DC2)、授業料免除、奨学金、RA/TAなど多岐にわたっており、整理が必要だという認識には、私たちも異存ありません。しかし、それは予算削減の理由にはなりません。原則としていずれかの支援しか受けられないため、不当にもらいすぎている大学院生はいないからです。
 博士課程(博士後期課程)の大学院生には、研究指導を受けている学生という側面と、先端研究の担い手という側面があります。この点は、世界各国の大学院と共通する性格です。このような性格を持つ大学院は、教育機関であると同時に研究機関です。したがって、教育というサービスを受けるという点では「授業料徴収」という受益者負担の考え方が生じ、研究の担い手という点では「雇用」(RA/TA、日本学術振興会特別研究員DC1, DC2など)という形態が生じます。このような二重性をどのように整理するかについては、政策的にさらに知恵をしぼる余地があると考えます。しかし、この整理が行われるまでは、少なくとも現状での支援を維持する必要があると考えます。なぜなら、博士課程大学院生への支援水準は、現状では欧米に遠く及ばないからです。高額の授業料を支払えないために日本の大学院への進学をあきらめ、欧米の大学院に進学する学生がいます。このような状況は、改善されるべきです。
 博士課程(博士後期課程)の教育が研究に偏重しているために、博士取得者は企業にとって使いづらい、より幅広い視野をもった民間企業に適した人材を育てるべきだという意見があります。先端性を維持しつつも、より柔軟に社会状況に対応できる学位取得者を育てる教育を工夫することは重要であり、多くの大学院においてこの方向での努力が行われています。ただし、博士取得者の就職先は、アカデミックポジションと民間企業だけではない点に留意する必要があります。科学研究の成果は社会のさまざまな局面に応用され、社会のあり方を大きく変えています。このため、国や地方の行政、NPO、高校などにおいても博士取得者採用が増える傾向にあります。私たちは、このような社会のさまざまな現場において博士取得者が活躍することによって、日本社会に新たな活力が生まれるものと考えます。このような観点にも配慮し、博士課程大学院生に対する育成・支援策を体系的に整備されることを要望します。
 日本学術振興会特別研究員PDに関しては、主計局から「支援人数を増やしてきた」という間違った指摘が行われ、文部科学省担当官から「全体通してみますと平成14年度の1579人をピークにむしろ減少傾向にある」というやはり不正確な訂正が行われました。日本学術振興会特別研究員(PD)の新規採用者数は、下図のように2003年から2008年の6年間で半減したのが事実です。1999年のピーク時に比べれば、約4割に低下しています。すでにポスドク一万人計画開始前の水準に低下しており、これ以上、特別研究員PD採用者を減らせば、基礎研究分野における次世代の研究者確保に大きな支障が生じると考えられます。

 博士号取得者の就業構造に関する日米比較の試み(文科省科学技術政策研究所:平成15年12月)によれば、合衆国の場合、理工農学分野博士取得者総数575,000人のうち245,000人(約40%)が4年制大学に就職しています。これに対して、わが国の理工農学分野大学教員数は、24,392人(平成17年度文科省学校基本調査)に過ぎません。基礎科学の教育・研究開発を支える理工農学分野の大学教員数において、実に10倍の差があるのが実状です。このマンパワーの差を埋めているのが、ポスドクや任期付研究員であり、そのさらなる削減はマンパワーでの劣勢を加速します。「科学技術で世界をリードする国」をめざすには、日本学術振興会特別研究員PDに関して、最低限、現状の採用水準を維持することが、必要不可欠の条件だと考えます。
 科学研究費補助金費若手研究は、若手研究者に対する研究支援策として重要です。民主党の科学技術政策では、「特に若手研究者に対する資金配分が十分に行われてこなかった」と述べられており、党としては若手研究者への資金配分を重視するという判断をされています。このような党として公にした政策文書の方針を堅持し、若手研究に対する予算縮減を行わないよう、要望します。