作文三昧

今日は、九大での学振提出締め切り日。最後の評価書を書いて、提出した。
トラックバックなどを見ると、「日本語ライティング」を読んで、書く順番を変えるなどの工夫をした人がいたようだ。賢明な選択だ。学振の申請書では、面白い文章を書く必要はない。論理が明快で、内容がわかりやすいことがもっとも重要である。もちろん、研究のねらいとアイデアは面白くなければならないが、この「面白さ」の源泉は「新しさ」や「意外性」にある。ストーリーの面白さとは質が違う。
今日は、P&Pという学内プロジェクトの報告書(冊子体)の締め切り日でもあった。しかし、分担者からの原稿が揃ったのが一昨夜、昨日は東京出張だったので、まだ完成していない。事務に頭を下げて、来週早々まで待ってもらうことにした。
報告書の個々の原稿は、論文形式である。したがって、そこではストーリーは要求されない。しかし、代表者として書く全体のまとめでは、個々の研究者の研究成果が互いにどのように関連していて、プロジェクト全体の目標達成にいかに貢献したかを、上手に説明する必要がある。ここでは、論理性に加えて、多少のストーリー性も要求される。ウソはつけないが、ビジョンを提示し、ストーリーを組むことによって、弱いリンクを強いリンクに変えることはできる。
さらに、もうひとつかかえている原稿(「花香と花色−ハマカンゾウキスゲの種差の遺伝的背景を探る」と題する総説)に関して、「タイムリミットです」という督促メールが届いてしまった。連休中に書き上げて、プレレビューを依頼し、3人の方から丁寧なコメントをいただいている。これらをもとに書き直せば完成なので、事情を述べて、月曜日まで待ってもらうことにした。
この原稿は、講演をベースにした招待原稿なので、多少のストーリー性を加えて読みやすくした。しかし、総説では必要な情報を網羅しているという資料的価値も重要である。このような資料的記述は、なかなか面白く書けない。このような場合の常套手段は、全体の構成を説明しておいて、資料的な部分は読み飛ばして良いとあらかじめ断っておくことだ。
まだこのようなレイアウトができていない。小見出しをつけて、構成をわかりやすくする工夫もできていない。それでも、「魂のこもった原稿」だというありがたい評価をいただいた。
以前に、締め切りに追われて書いた原稿に対して、「必要なことは書いてありますが、魂がありません」というコメントをもらったことがある。総説や解説の場合、誰に何を伝えたいかを明確にしておかないと、誰が読んでも役に立たない文章になりがちである。全人類に役立つ文章など、あり得ない。だから、誰にむかって、何を伝えるかが重要になる。
そうわかっていても、なかなか書けないのだ、文章は。ましてや「魂のこもった原稿」を書くとなると、気力・体力を使う。時間もかかる。結果として、締め切りに遅れがちになる。
私の能力でベストを尽くしているので、関係者のみなさん、いましばらくのご猶予を。
明日は熊本出張。勝負は日曜日だ。