森をつくった校長先生との出会い

今日は、第5回「100年の森づくりフォーラム」のコーディネータをつとめるため、長崎市に出かけた。「100年の森づくりフォーラム」では、毎年、森の達人と言えるような、ユニークな人たちとの素敵な出会いがある。コーディネータをつとめるのは結構大変な仕事で、当日の朝はいつも緊張するのだが、「フォーラム」が終わると、気持ちの良い満足感を得て、帰路につくことができる。
今日の出会いは、また格別だった。基調講演をお願いしたのは、学校に森を作った校長先生として知られる、山之内義一郎先生。もうすぐ喜寿を迎えられるそうだが、とてもお元気である。山之内先生から、学校に森を作ることで、小学校の生徒たちがいかに意欲的に森とつながり、成長できるかについて、熱いお話を伺い、参加者一同、「これだ」という思いを共有して、「フォーラム」を終えることができた。
山之内先生のすばらしい実践は、下記の本で生き生きと描かれている。

その内容は、私がいかに言葉を尽くしても、ご本人の言葉には及ばない。そこで、少し長くなるが、この本の冒頭部分を引用させていただく。

始業式のときめき
1988年4月5日。新潟県長岡市の川崎小学校では始業式の日を迎えた。
子供たちにとって始業式の日は、ドキドキする特別な日である。子供たちの何よりの関心事は、新しいクラスと担任の先生のことだ。仲の良かった友だちと一緒にいられるのか、どんな新しい友だちと出会うのか、どんな先生が担任になるのか、楽しみと心配で、子供たちの胸は波打っている。表面には見えないが、始業式の子供たちにとっては、ドラマチックな出会いの日、学校との深い内面的なつながりを決定づける、とても大切なスタートの日なのである。
しかし、私も心も子供たちに劣らずドキドキしていた。川崎小学校の校長となって三回目の始業式の日、私は大きな期待と不安を抱きながら、子供たちの投稿を待っていたのである。
校門の横に「学校の森」が完成していた。
昨年の秋、ダンプカー80台分の土が運ばれ、小高い「マウンド」が作られた。子供たちはそこに混じった雑草の根を苦心して取り除き、親や教師たちの手を借りながら、堆肥を混ぜて表土を作った。そしてつい半月ほど前、子供たちはそこに一本一本、自分たちの手で幼い木を植えたのだった。
それから春休みとなり、今日は子供たちがその森と出会う初めての日だった。
「森」はまだ幼木がばらばらと並んでいるだけ。しかも多くはまだ葉も出ていない。まるで禿頭に産毛が生えたようなもので、普通の人なら、「これが森か」と言うだろう。しかし子供たちには、自分たちの手で作った「森」だった。どんなに小さくても、子供たちの目には大きな大きな「森」のはずだ。
その「森」全体をのぞめる玄関奥に立って、私は子供たちを待っていた。
子供たちは森にどのように出会い、どのように接するだろうか。それを考えると、私の手には汗さえにじんでいた。嬉しそうにするだろうか。ちらっと見ただけで教室に入っていくだろうか。未経験のことだけに、予想する手だてはなかった。
わざと子供に話しかけて森に関心を持たせたり、感想をきいたりするようなことはしたくなかった。子供たちの自然な心の動きを知りたかった。そのために玄関の奥で、半ば身を隠すようにしながら、校門に入って来る子供たちの様子を見ることにしたのである。
子供たちが登校してきた。いつものように小さな登校班に分かれ、高学年の班長の子供を先頭にぞろぞろと校門から入ってきた。久しぶりの登校に緊張しているのか、大声で話したり、一隊の列からはみ出して歩いている子供はいない。整然とした小さな行列が続いていた。
そして校門を入り、班長さんの「かいさん!」の声とともに、隊列が崩れ、それぞれに教室に向かう。いつもなら、そうなるはずだった。しかし、この日は違った。
「ワァー」とも「ウォー」とも聞こえる歓声がわき起こった。と同時に子供たちは森に向かって走り出したのである。

この続きは、ぜひ本を読んでいただきたい。「森と語る子供たち」の様子が、生き生きと描かれている。植物の少しの変化も見逃さない子供たちの目。観察せずにはいられない子供たちの意欲。「森の誕生会」「森さんからの手紙」など、教師が思いもかけないようなアイデアを次々に出す子供たちの創造力。「教育再生国民会議」で高尚な議論をしなくても、子供たちの学ぶ意欲を引き出すすばらしい実践例は、すでに、ここにあるのだ。
100年の森づくりフォーラム」では、山之内先生の基調講演に続いて、4人のパネリストの方々に、まちの中での森づくりについて、コメントをしていただいた。パネリストのお一人は、長崎市立I小学校の、M先生。新潟での山之内先生の実践と、長崎での若いM先生の実践が、ここで出会った。「100年の森づくりフォーラム」は5回目を数えるが、「学校での森づくり」というテーマをとりあげたのは、今回が初めてである。それは、「フォーラム」のひとつの悲願だったと言っても、過言ではないように思う。「100年の森づくり」がかかげた理念のひとつは、親子3代にわたる森づくりであり、この理念を実践するためには、「学校」、とくに「小学校」とのつながりは、避けて通れない課題だった。
そのつながりが、5回目にして、はっきりと見えた。しかも、新潟と長崎という、遠く離れた土地で、違う歴史の中で生まれた取り組みが、しっかりと出会った。これは、ひとつの事件かもしれない。この事件が、これからの九州での森づくりを大きく変えていくような予感がする。そんな幸せな予感を感じながら、長崎から戻った。