ケプラーの衝撃とメタンミステリー

あとしばらくで、今年も終わり。1年間の反省を書けばきりがない。しかし、反省とは、しばしば自己弁護や自己満足に終わるものだ。だから、あれこれと反省を書くことはやめよう。
今年最後のブログでは、今年私がいちばんびっくりした科学的発見を取り上げよう。
フランク・ケプラーは、マックスプランク研究所の中堅科学者で、まだ39歳だという。彼が今年の1月にNatureに発表した論文「好気的条件下における陸上植物からのメタン放出」には驚いた。メタンと言えば、嫌気的な条件下で、メタン産生バクテリア古細菌の一群)が作るものというのが、これまでの生物学の常識だった。ところが、好気的条件下で、陸上植物がメタンを出しているというのだ。まさに常識破りの発見である。
そしてその衝撃は、きわめて大きい。というのは、メタンは二酸化炭素よりも強力な温暖化ガスとして知られているからだ。メタンの温暖化効果は、二酸化炭素の20倍だと言われている。もし森林が多量のメタンを出しているなら、森を増やすことは、かえって地球温暖化を促進することにならないだろうか。
一方で、応用上の価値もある。メタンは燃料として利用可能である。いずれは枯渇する石炭・石油に代わる資源として、地下に埋蔵されているメタンハイドレートを利用しようというアイデアがかなり真剣に検討されている。しかし、植物が好気的条件下でメタンを作ってくれるなら、地下資源を開発しなくても、より容易な方法でメタンを量産できるかもしれない。
そして何よりも、基礎科学的に見て、この発見は大きな謎である。いったい、好気的過程でどうやってメタンが作られるのか? 植物はメタン産生の代謝系を持っていない。その植物がどうやってメタンを放出するのか?
フランク・ケプラーらの論文をいつかは読んでみたいと思っていたので、年末に実家に戻るときに、修士論文の原稿などと一緒に、コピーをカバンに入れてきた。今日は、紅白歌合戦を見るのを早々と切り上げて、フランク・ケプラーの論文を読んでみた。
修士論文も読んでいます。他の仕事もしています。ケプラー論文は、気分転換。
植物自体がメタンを出しているという点に関しては、きっちりとツメがなされている。たとえば葉にガンマ線をあてて、バクテリアを殺しても、メタン放出量はほとんど変化しない。メタン産生バクテリアが利用する酢酸化合物を13Cでラベルして土壌に加えても、13Cは発生するメタンに取り込まれない。放出されるメタンの炭素の安定同位体比をC3植物とC4植物で比較すると、C3植物とC4植物が二酸化炭素から固定する炭水化物での安定同位対比と一致する。
また、植物がメタンを発生するメカニズムは、酵素的な過程とは考えられないという証拠を提示している。植物からのメタン発生は温度とともに増加するのだが、その増加は30度から70度まで直線的である。酵素が作用するプロセスで発生するなら、この温度範囲で直線的に増加するとは考えられない。
フランク・ケプラーらは、ペクチンやリグニンが発生源ではないかという仮説を提示している。予備的な検証として、精製されたリンゴのペクチンからメタンが発生することを示し、その発生速度、炭素の同位体比、温度への反応が、葉からの発生と似ていることを確認している。「しかしながら、植物においてメタンが生成する機構は未知なので、予期されていなかったメタン放出の説明は、もっともっと詳細な研究が行われるまで待つべきだ」と書いているが、有力な説明への傍証まで提示しているところは、見事である。
ここまでは手堅い。
このあと、実験室での測定値をもとに、地球全体でのメタン放出量を推定しているのだが、その推定は、大げさとは言えないが、控えめとも言いがたいというところか。フランク・ケプラーらの推定によれば、地球上の植物が毎年放出するメタンの量は、平均149(62−236)テラグラム(100万トン)。そのうち、107(46−169)テラグラムが熱帯の森林や草原から放出されるという。
地上からのメタン放出は年間550テラグラムと推定されているので、平均149テラグラムの新たな発生源が見つかったというケプラーらの主張は、本当だとすれば、これまでのメタン収支の研究を根底から覆しかねない。
当然のことながら、今年1年間に、ケプラーらの推定の妥当性に関する批判的な論文がいくつも発表された。たとえば、Trends in Ecology and Evolution誌の下記のコメントは、簡潔にポイントをついている。
Parsons AJ et al. Scaling methane emissions from vegetation. TREE 21(9): 423-424.
ケプラーらは葉を使った実験室の結果を地球規模にスケールアップする際に、茎や根を含む純一次生産速度(NPP)を使っているが、葉と同じレベルで茎や根からメタンが発生するとは考えにくい。そこで、NPPのかわりに葉の現存量をスケーリングに使って推定してみると、年平均放出量は149テラグラムから42テラグラムに減る。熱帯の森林からの放出量は15.6テラグラム。
今のところ、どちらの推定が妥当かは、よくわからない。しかし、年平均放出量42テラグラムでも、総量550テラグラムの8%に達する。茎や根からの放出を少なめに見積もっても、総放出量の1割程度は植物が出していることになる。
Nature誌8月17日号は、The methane mysteryと題するspecial reportを掲載した。このレポートには、(フランク・ケプラーの)「未発表データは、他の植物の4000倍多いメタンを放出する植物種があることを示している」という赤字の見出しがつけられている。
種によって放出量が違うとすれば、それは基礎的にも面白い。生物多様性と地球環境をつなぐ新たな、大きなテーマが、発見されたのかもしれない。
さて、あと20分ほどで、新しい年を迎える。
来年はどんな発見があるのだろう。