ネアンデルタール人はなぜ滅んだか?

日本進化学会大会には、さまざまな分野の最先端の研究に接することができるという、他の学会にはない魅力がある。
大会期間中は、ホテルに戻るのが毎晩0時過ぎだったので、日記を書く余裕がなかった。印象に残った話を、忘れないうちに、書き留めておきたい。
初日の大会企画シンポジウムでは、外国人招待者の2人の話より、赤澤さんの「ネアンデルタールの正体」と題する講演のほうが、私には面白かった。
ネアンデルタール人の祖先(ホモ・ハイデルベルゲンシス)は、約50万年前にアフリカから北上して、ヨーロッパに分布を広げた。ヨーロッパ入植後約30万年経って、寒冷気候に適応したネアンデルタール人へと進化した。一方、現代人の祖先(ホモ・サピエンス)は、約5万年前にアフリカから北上してヨーロッパに分布を広げた。このヨーロッパ集団は、クロマニョン人の名で知られている。やがてネアンデルタール人は滅び、ホモ・サピエンスがアジアから新大陸へと分布を広げた。
ネアンデルタール人クロマニョン人の交代劇は、人類進化における興味のつきないエピソードである。ネアンデルタール人の人骨からDNAがとられ、配列が決定されたことはご存知の方も多いだろう。その結果から考えて、ネアンデルタール人クロマニョン人の間で交雑が起き、両者が融合したとは考えにくい。両者は、同時期に、同じ地域に生育しながらも、独自の遺伝的性質を保っていた。つまり、生物学的には別種だったと考えられる。したがって、ネアンデルタール人クロマニョン人の交代劇は、ネアンデルタール人という「種」の絶滅をともなったのである。
では、ネアンデルタール人クロマニョン人の間で直接的な闘争があったかというと、その証拠もないそうだ。両者の人骨に関する研究からは、直接的な闘争を示唆する証拠が得られていないのである。
そこで赤澤さんは、両者が使っていた道具に注目した。ネアンデルタール人が使っていた道具は、簡素なナイフである。木工用、および毛皮をはぎ、肉を切る用途に使われていたと考えられている。安定同位体比を使った研究から、ネアンデルタール人は、ほとんどの食糧を生きた動物から得ていたことがわかっている。また、遺跡調査の結果から、動物を狩る道具は、木槍だったと考えられている。その木槍を作るために、そして狩猟で得た動物の肉を切るために、ネアンデルタール人が使ったナイフは、きわめて簡素なものだった。
一方、クロマニョン人の石器は、はるかに洗練されていた。クロマニョン人は、用途・機能にあわせて特化した石器を使っていた。しかも、単体ではなくさまざまな部品を組み合わせた複合石器(たとえば複数の刃を持つ加工具)を使っていたという。このような道具を作る過程がかなりシステム化されており、初歩的な「工業」を発達させていたようだ。
このような、石器に関する技術水準の違いが、とくに冬の食糧調達において大きな差を生み出したのではないか。そして、ネアンデルタール人は、充分な食糧をえることができないために滅んだのではないか、というのが赤澤さんの推論である。
この推論の傍証として、赤澤さんは、カーニバリズムの証拠をあげた。石器によって傷つけられた人骨が見つかるので、ネアンデルタール人は「食人」の習慣を持っていたようだ。このような習慣が、個体数を減らす要因として働いたのではないか、と赤澤さんは考えられたようだ。
いや、ちがうぞ・・・この話を聞いて、私は逆のことを考えた。カーニバリズムは食糧不足の時期をのりきる有効な手段になるので、むしろ絶滅をおこしにくくするはずだ。実際、サンショウウオ類の幼体など、餌資源が大きく変動する環境で生活する動物では、しばしば共食いが進化している。餌資源が大きく減った場合でも、共食いできれば、個体群の絶滅リスクは下がるのである。
以前に、共食いの進化条件について、論文をレビューして、自分でも考えてみたことがある。簡単なモデルから、共食いの進化条件はかなり広いことがわかる。とくに、餌資源が大きく変動する環境では、共食いの利点は大きい。むしろ、なぜ共食いがもっと一般的に見られないのかが、不思議である。
そこで、共食いの進化を妨げる要因について、あれこれと考えてみたことがある。そして到達した結論は、「病気」である。共食いは、感染症の流行を起こしやすくするだろう。このリスクが大きければ、共食いは進化しにくい。
この問題を考えたときの記憶が、『銃・病原体・鉄』で活写された新大陸の文明崩壊のストーリーとともに、鮮やかによみがえった。
ネアンデルタール人の絶滅を促進した大きな要因は、病気ではないか。
アフリカからホモ・サピエンスがヨーロッパに進入・定着する際に、ネアンデルタール人にとっては感染歴のない、新しい病原体が持ち込まれた可能性は高い。その状況下では、カーニバリズムが感染症の流行を促進したかもしれない。また、クロマニョン人による効率の良い狩猟は、ネアンデルタール人が利用できる動物資源の量を減らしただろう。そこで餌不足が生じ、健康状態が悪化すれば、それだけで感染症が流行する条件が整う。
このアイデアを赤澤さんに申し上げたら、面白いと評価していただけた。少なくとも赤澤さんは、聞いたことがないアイデアだという。
本当に新しいアイデアなのだろうか。生態学的には、決して突飛なアイデアではないので、すでに誰かが考えているのではないか。時間があれば、少し調べてみたいものだ。