ゲド戦記を2回見て(1)

昨日は、映画の日。半額日なので、ゲド戦記をもう一度見てきた。9時に「ゲド戦記」がはねた後、9時15分からの「時をかける少女」も見てきた。
そんな暇がどこにある、とあちこちから、ブーイングがきそうだが、仕事はちゃんとやっている。一昨日で野外実験を打ち切り、昨日から自然再生ハンドブックの解説原稿準備にとりかかっている。ただし、一つの大仕事が終わり、新しい仕事にシフトするときには、それまでの疲れが出て、夜まで集中力が持続しないことがある。そのようなときには、多少は気分転換するほうが、かえって仕事がはかどると思うのだ。どうかご容赦を。
ゲド戦記を初日に見て、ネットでの酷評と違って、良い作品だということはわかった。しかし、初監督にしては上出来というレベルなのか、それとも名作なのか、評価に迷った。もしかして名作ではないかと思ったが、すなおにそう思えない気持ちもあった。初日を見たときの印象をあえて点数にすれば、70点というところであった。
しかし、気がかりなことがあった。一見これといった工夫がないのに、2時間近くの上映時間があっという間にすぎた。10日あまり、早朝から夜まで野外実験を続けたあとで、疲れがたまっていたのだが、退屈するということは、まったくなかった。
演出については、未熟だというのが大方の評価だが、果たしてそうなのか。
オウムの大群が押し寄せ、巨神兵の復活が迫るという、クライマックスへの緊迫したカウントダウンは、ない。
天空の城をめざすというワクワクする設定も、悪漢からラピュタを奪い返すというドキドキする設定もない。
にもかかわらず、2時間近くの上映時間が、あっという間に過ぎたのはなぜなのだ。
もしかして、ハヤオアニメと比べてばかりいたために、見落としてしまった工夫があったのではないか。
2回目を見て、やはり、これは名作であるというはっきりした手ごたえを得た。おそらく、月日がたつほど、この映画への評価は高くなるだろう。現時点の印象を点数にすれば、95点をつけたい。
好みはわかれて当然だと思うので、点数にはあまり意味がないかもしれないが、私の率直な感想を数字にしてみた。
この映画は、演劇にたとえれば、4幕構成、交響曲にたとえれば4楽章構成である。全体の流れが、非常にクリアに4つのパートに区切られている。これは、アニメ映画としては珍しいように思うが、大きなストーリーを組み立てる場合の古典的な技だろう。
それぞれの幕に、仮にタイトルをつけてみよう。

  • 第一幕 闇への旅立ち
  • 第二幕 人買いの街
  • 第三幕 テルーの唄
  • 第四幕 光の帰還

これ以上書くとネタバレになるので控えるが、4つの幕で大きく場面が変わり、そこで新しいモチーフが提示される。そして、各幕の中で、起承転結があり、静的なシーンと動的なシーンが交互にあらわれ、さらに闇と光が交錯している。意図してこのように構成したのか、それとも結果としてそうなったのかはわからないが、退屈しなかった理由の一つには、このような構成の妙があったのだと気付かされた。
この映画は、ハヤオアニメとはまったく違うものだ。たとえていえば、ポップスのコンサートではなくクラシックのコンサートに、あるいは映画ではなく演劇を見に行くつもりで、映画館に足を運ぶほうが良いだろう。そのくらい頭を切り変えて見ると、これまでのハヤオアニメとは違った感動が味わえる。
時をかける少女」は、ネットでの評価がきわめて高く、「ゲド戦記」と好対照である。ヒロインの真琴のはじけるような元気さがまぶしい。一度しかない時間の大切さを、さわやかに伝えている佳作だと思った。しかし、残念ながら、私の年で気持ちを重ねられる映画ではなかったな。
私にとっては、「ゲド戦記」のほうが、深くて濃厚な感動を味わえる作品だった。評価は人それぞれだ。好きな映画を見よう。
しかし、他の人が不愉快になるような感想を書くのは、避けたほうが良いということを、今回は学んだ。私自身への戒めとしよう。
感想はまだまだあるが、昼休みが済んだので、またいずれ。