ゲド戦記:吾郎監督の大冒険

予見なしでこの映画を見ようという方は、このブログは読まないでください。
Yahooムービーなどの「酷評」を読んで、期待がしぼみ、この映画を見に行くかどうか、迷っている人を念頭において書きます。
この映画は、「ゲド戦記」が原作なので、「ゲド戦記」を読んで楽しめる層を観客として想定しています。したがって、3歳の子供と一緒に見て無邪気に楽しめる映画ではありません。
Yahooムービーで、3歳の子供と一緒に見て、子供が退屈してしまったとか、怖がってしまったというような感想がありました。それは無理もないことでしょう。小さな子供に、理屈ぬきに楽しんでもらおうという方は、「ポケモン」や「カーズ」を観にいくほうが良いでしょう。
とはいえ、子供が見ていけない映画ではありません。昨日私が出かけた天神東宝にも、子供がかなりいました。隣の席は、小学校低学年の女の子でしたが、かなり真剣に見ていました。本を読める子供なら、この映画からきっと何かを感じてくれるでしょう。
小さな子供と一緒に出かけるご両親は、映画を見てから、子供と感想を語り合うつもりでいたほうがいいですね。語り合う話題にはことかかないでしょう。
私は子供と一緒に「ラピュタ」を観にいったことがあります。コミカルなシーンや、スリルあふれるシーンでは、画面に集中していましたが、それがない場面が続くと、ぐずってしまい、とうとう途中でトイレに連れて行くはめになりました。「ラピュタ」のときですら、映画館で退屈している子供は結構いたのですよ。
ハヤオ監督は、コミカルなシーンや、スリルあふれるシーンをうまくつなぐ「技」を使って、子供ができるだけ退屈しないように映画を作ってきました。
しかし、吾郎監督は、この「技」を捨ててしまった。
これは大冒険です。ハヤオ監督が「すなおな作り方で良かった」と評した意味は、自分が多用してきた、観客を楽しませる「技」を捨てた吾郎監督の思い切りの良さに対する、すなおな評価だったのでしょう。
「酷評」の大部分は、吾郎監督のこの「大冒険」に原因があります。何しろ、ジブリ映画の重要な要素となる「技」を捨ててしまったのですから、それを楽しみにしていたファンが失望するのは、無理もないでしょう。
なぜ、吾郎監督は、こんな「大冒険」をしたのか。
それは、何よりも、原作が「ゲド戦記」だからでしょう。原作に、コミカルなシーンは一切登場しません。原作のイメージを壊さないためには、カルシファーのようなコミカルなキャラも、パンをおいしそうに口にほうりこむシーンも、豪快な笑いも満面の笑みも、登場させるわけにはいかないのです。強いていえば、二人のおばちゃんに、ジブリの「技」を生かそうとしていますが、それでもきわめて控えめな表現です。
それは、潔い決断でした。結果として、これまでのジブリアニメに比べれば、「地味」な作品になってしまいましたが、原作のイメージを尊重した作品に仕上がっていると思います。
あらかじめそのつもりで見れば、この作品ならではの工夫が楽しめると思います。
吾郎監督は、ほかにも冒険的なチャレンジをしています。それは、セリフを多用していることです。この点で、この作品の作り方は、アニメよりも、実写に近い。「カメラワーク」も、実写的です。そして、この点も、「不評」の原因になっています。
この「冒険」も、「ゲド戦記」の世界を表現することに、吾郎監督が真剣に取り組んで出した結論でしょう。「言葉」は原作の重要な要素です。この要素は、アニメの映像では描ききれない。前にも書きましたが、「百見は一文にしかず」という面があるのです。
吾郎監督は、この「言葉」という、アニメで扱うには難しい要素に真剣に取り組んで、新しいスタイルを作り出していると思います。この点でも、今までのジブリアニメとは違う作風なので、これまでどおりのジブリアニメを期待して見ると、抵抗感があるでしょう。
「セリフ」は、原作に忠実に選ばれているものもあれば、吾郎監督独自の解釈を加えた部分もありました。ストーリーに関係するので、詳しくは書きませんが、「・・・が怖がっているのは死ぬことじゃないわ、生きることを怖がっているのよ!」という「セリフ」は良かったと思います。原作にはないものですが、原作の世界をよく噛み砕いて、現代に生かしたと思います。
この映画は「ゲド戦記」ですが、原作とはかなり異なるストーリーとなっています。この点では、「原作クラッシャー」と酷評されるジブリの伝統を受け継いでいますが、私はとても良いストーリーだと思います。長編の原作を2時間にまとめるには、思い切ったリアレンジが不可欠です。この作業においては、原作の世界観をいかに深くつかみ、新しいストーリーの中でそれをいかに表現するかが勝負です。この点で、吾郎監督の仕事は、見事だと思います。
惜しいのは、アースシーの広大な世界が表現されていないこと。しかし、2時間のストーリーの中で、それを望むのは無理でしょうね。そこはあきらめて、農村的な世界を中心に据えた決断は、良かったと思います。原作の中で私は農村的な世界の描写が好きだったので、個人的には満足しました。原作の中で、「海」のひろがりが好きだった人は、世界が小さくなってしまったと残念に思うかもしれません。
「酷評」の中で、ストーリーのつながりが悪いと指摘されていますが、私はさほど気になりませんでした。むしろ、これは監督があえてこのように作ったのではないかと思いました。この点でも、吾郎監督は「技」を捨てたのでしょう。おそらくカットをうまくつなぐという点で、吾郎監督の「技」は未熟でしょうから、未熟な「技」の完成度を高めるのに汲々とせず、伝えたいことをしっかりと伝えようと、開き直ったのではないかと思います。
結果として、完成されたハヤオ監督には作れない、骨太のストーリーができあがっていると思います。Yahooムービーの評価を読んで、「カットのつながりが悪い」という先入観をもってしまった人には、細かな「技」の完成度を気にせずに、ストーリー全体を楽しむことをお勧めします。
アレンが急に成長するのは変だとか、テナーが突然・・・、などといちいち気にしないように。これまでのジブリアニメでも、上映時間の制約の中で、かなり無理なストーリー設定をしてきましたが、老練な監督は、そこを「技」でカモフラージュしてきました。
吾郎監督は、そういう「技」に拘泥せずに、ストレートな映画づくりをしたと思います。確かに、すなおな作り方をした、良い映画です。
私は何度も目頭が熱くなりました。この映画は確かに「地味」ですが、一方で、とても「熱い」映画です。
映画の中で、これまでのアニメの名シーンがいくつも登場します。「パクリ」だと酷評している人がいますが、これは、ハヤオへの敬意でしょう。テルーがハイジに見えたり、シータに見えたりしました。アレンが竜の脚につかまっているシーンは、ナウシカ。崩れ落ちる塔は、ラピュタ。往年の名場面と重ねることで、息子として、オヤジへのリスペクトを示したのだと思います。私は、なかなか粋な演出だと思いました。
なお、「本当の名前」を「千と千尋」の「パクリ」だと勘違いしている人がいますが、これは逆で、「千と千尋」が、「ゲド戦記」のアイデアを拝借していたのが真相です。
吾郎監督は、絵のタッチも変えてしまいました。シンプルな絵をめざす、という方針は、監督日誌で公表されていました。それがどんなものか、いまひとつピンとこなかったのですが、冒頭の嵐のシーンを見て、お、これは違うぞ、と思いました。
この点でも、昔の緻密なタッチが好きだった人には、ものたりないかもしれません。しかし、私はとても綺麗だと思いました。
とくに、さまざまな空の描き方には、従来の緻密なタッチでは感じなかった芸術性を感じました。「光と影」というテーマにふさわしい、すばらしい背景美術だと思いました。
昨日の天神東宝では、映画の途中でピントがずれるというトラブルがありました。すぐに修正されるだろうと思って見ていましたが、ちっともその気配がないので、ホールを出て、クレームをつけました。こんなことは、始めてです。そのため、肝心のシーンを一部見逃してしまいました。テルーがあの唄を歌うシーンです。「テルーの唄」は、良いですね。前評判どおりのすばらしさです。
だから、できればもう一度見たいと思っています。
いろいろまだ、書きたいことがありますが、また機会を改めましょう。
最後に、参考にしたいくつかのサイトから引用をしておきます。

よろ川長TOMさん

酸いも甘いもコツも裏技も、そして業界ならではの裏事情も知り尽くした、いわば老獪(ろうかい)とも言える超ベテラン監督たちでは絶対できないであろう作り方。
 それはむしろなまじ演出や作画のテクニックを持たないがゆえに、創りたい映像作品に対するナマの希望を体当たりでぶつけるしかない若き宮崎吾郎監督ならではの描き方なのではないでしょうか。その純粋さ。それこそがこの『ゲド戦記』の感動全てのキイワードのような気がします。

Common senseさん

私はこういうストレートに伝えてくる映画は好きだ。原則として、言葉を多用したり、多くをセリフで伝えることはNGだと言われる。確かにその通りだと思う。それは自分でも映画を作ってみて嫌というほど理解しているからだ。

 ただ、個人的な考えなので批判してもらっていいが、私はストレートに勝るものは無いと思っている。言葉は大事である。最近あまりにも言葉で伝えるということが、軽視されすぎているような気がする。


15夜通信さん

それでもいつだったか,イチロー選手の言っていた言葉を借りれば,「通用するかしないかという議論はナンセンスです.これから挑戦しようとしている人間に,そうでない人が言える言葉は〝がんばれ!〟だけでしょう」