ル・グウィンと交渉にあたった鈴木プロデューサーとハヤオ監督の責任

風呂からあがったところ。
今日は、昼休みにアニメ「ゲド戦記」に対してはじめて批判的なコメントを書いたら、夕方にはル・グウィンさんの「ゲド戦記」評のニュースが届き、ゲド戦記について2回も書く一日となった。
ついでなので、もう一言、書いておく。
風呂あがりに、原作者との交渉の経緯が書かれている、「世界一早い「ゲド戦記」インタビュー(完全版)、を読み返してみた。
鈴木プロデューサーとハヤオ監督の「交渉術」は、「浪花節」である。どこまで原作のストーリーと異なるプロットを作るかについての交渉・契約をした気配がない。原作者がこの問題に敏感であることは、よく知られている。こういう問題は、事前によく交渉して、契約書に書きこむべきなのだが、偉大な作家どうしの口約束で、映画制作を始めてしまったようだ。
ここまで書いてから、アニメ「ゲド戦記」評の前半部分(ハヤオ監督・鈴木Pとの交渉経緯について書かれた部分)をきちんと読んでみると、原作者は鈴木プロデューサーに、原作のストーリーを変えるなという考えをはっきり伝えていた。
さらに、「一巻と二巻の間の10年から15年くらいのストーリーを映画化してはどうか」というすばらしい提案をしていた。確かにこれなら、原作は何も語っていないので、監督が自由にシナリオを描くことができる。このすばらしい提案をどうして採用しなかったのだろう。この提案を蹴ったのは、かえすがえす残念だ。この点で、鈴木プロデューサーは傲慢だと言われても仕方あるまい。
ル・グウィンさんは、ハヤオ監督が製作に責任を負うというからOKしたのに、製作からはずれたので失望したとも書かれている。この点では、ハヤオ監督も無責任だ。
世界一早い「ゲド戦記」インタビュー(完全版)などを読んで、原作者ときちんと信頼関係をつくって映画制作にあたっていると思っていたが、真相は違ったようだ。
作品に罪はないが、交渉にあたった鈴木プロデューサーとハヤオ監督の責任は大きい。