高倉健、千里を走る

今日は、『単騎、千里を走る』の封切り日である。M2のT君の発表練習のあと、キャナル13に直行して、17時15分からの初演を見た。
チャン・イーモウ監督が、高倉健に惚れ込んで、高倉健のために作った作品だという。期待どおり、高倉健の寡黙な演技の魅力が存分に発揮されていた。小説とは違う映画の魅力は、何といっても役者の演技である。役者の個性が物語のなかで引き出され、その個性によって、他の役者では語れない物語が描かれるところに、映画の醍醐味がある。
ヤンヤン少年の表情も、この映画のもうひとつの魅力である。「父親と息子の葛藤」というモチーフを描いた映画だけに、高倉健と共演する子役の存在感がこの映画の出来映えを大きく左右する。さすがはチェン・イーモウ監督が選んだ子役だけあって、父親を拒絶する沈黙も、破顔の笑みも、すばらしい表情だった。
この映画はもちろんフィクションであるが、それぞれのシーンがとても自然である。ハリウッド映画はもちろん、たとえば山田洋二の映画にもない、実世界のような自然さが全編に満ちていた。任侠映画俳優だった高倉健の人間味あふれる演技力を発掘したのは山田洋二監督だが、高倉健を起用した映画のラストで「黄色いハンカチ」がたなびくシーンは、思い返せばやはりわざとらしかった。『単騎、千里を走る』には、そういう「わざとらしさ」があまり感じられない。それは、中国農村部の人たちの暮らしがまだ素朴さを失っておらず、チャン・イーモウ監督がその素朴さを巧みに描いたからだろう。ラストシーンの仮面劇は、刑務所の粗末な舞台の上で演じられる。脇役たちはみな刑服だが、その服装の素朴さがかえって自然な感動を誘う。
この作品のテーマをひとことであらわすなら、「謝」であると思う。映画の中で、この文字はとても印象的に使われている。たった一文字の漢字が、映画の中でとても大きな広がりを持っている。このような高い精神性を持つ国と、わだかまりなく交流できる時代が、早く訪れてほしいものである。
スケールの大きな景観の映像も、美しい。心の中に、透明感のある空気がしみこんでくるようだ。
「Always」や「博士」と違って、観客の年齢はかなり高かった。しかし、年齢をこえて楽しめる映画である。若い世代にもぜひすすめたい。