待望のスゲ図鑑出版!

昨夜は、西新橋の環境情報普及センターで、生物多様性普及のために環境省が出す冊子について最後のコメントをしたあと、文一総合出版の地下室(通称「座敷牢」)で、『世界遺産をシカが食う』の再校正をチェック。この作業は拷問だった。というのは、校正刷りと同時に、刷り上ったばかりのスゲ図鑑を渡されたからだ。この図鑑を見ずに、校正をやれと言われるのは、ふぐの刺身を前にして校正をやれと言われるよりつらい。
さて、そのスゲ図鑑とは、次の一冊である。本書を手にしたおかげで、昨夜はすっかり寝不足になってしまった。

勝山輝男著『日本のスゲ』
文一総合出版
ISBN:4829901705
4800円+税
375ページ、カラー刷り
2005年12月31日出版

本書には、日本産スゲ属植物252種のうち、最近になって報告されたカツラガワスゲを除く全種がカラー写真を使って解説されている。カツラガワスゲについてはジュズスゲのところで付記されているので、全種についての記述がある。「おわりに」には、チチジマナキリスゲ・セトウチスゲ・ムニンヒョウタンスゲ・ベンケイヤワラスゲの4種の未記載種が掲載されている」と書かれているが、実際には屋久島産のアキザキバケイスゲの記載もあるので(p282)、掲載されている未記載種は5種にのぼる。
ミヤマカンスゲ類などに関する著者のオリジナルな研究成果を含め、現時点での最新の分類学的研究成果が盛り込まれている。まさに、完璧なスゲ図鑑である。
巻頭にある「スゲ属植物のからだとつくりの名称」には、スゲの識別において重要な果胞などの特徴が写真で解説されている。「頂部付属体に太い柄がある」などと書かれていても、初心者にはどんな状態かわからない。本書では、このような記載に対応する写真が掲載されているので、記載の意味が一目瞭然である。これまでに出版されたスゲ図鑑の中で、もっとも初心者にわかりやすい工夫がこらされていると思う。
もちろん、スゲに関心があるものにとっては、興奮を抑えきれない一冊である。「おおっ、これが幻のマンシュウクロカワスゲか」とか、「ワンドスゲは熊本でも見つかったのか」とか、「ツルナシオオイトスゲはやっぱり独立種だよね」とか、「奄美大島のヤクシマイトスゲゲは、屋久島産とはかなり違うんじゃないか」などと、ページをめくるごとに唸り声やら、うめき声やら、歓声やらをあげながら、252種の写真と記載を堪能できる。
記載はすべてオリジナルである。著作権を無視して、引用もせずに他の著作の記述を使っている本が散見されるが、本書は著者の長年の研究と調査経験にもとづいているので、本物である。写真も、ごく一部の種をのぞいて、著者自身が撮影したものである。
写真のクオリティはきわめて高い。著者のスゲへの愛着とこだわりが感じられる。スゲの写真を撮ってみればすぐわかるが、スゲは被写体としてはなかなか扱いが難しい。
全体に緑色で、葉も穂も細いので、容易に背景にまぎれてしまう。また、穂は少しの風でも揺れるので、ぶれたり、ピンボケになったりしやすい。よほどの執着と辛抱がなければ、スゲの良い写真はとれない。本書の写真は、果胞や小穂のクローズアップを含め、すばらしいものばかりである。さすがにアオスゲやオオアオスゲの写真は、背景にややまぎれているが、これらはそもそも、こういう植物なのだ。
スゲ属には、絶滅危惧種が少なくない。本書には、環境省レッドデータブックのカテゴリーが書き込まれており、環境アセスメントに関わる方々にも、使いやすいものと思う。欲を言えば、都道府県版RDBの指定について情報もほしかった。改訂の際に、加えてもらえないだろうか。
それにしても、なぜ252種ものスゲが日本にあるのだろう。本書に記載された分布情報を見ると、固有種が少なくない。とくに西南日本の森林性の種には、固有種が多い。一見目立たないスゲだが、日本列島で、植物が多様化してきた歴史をたどる上では、目がはなせない植物である。また、多種の共存機構を考えるうえでも、興味がつきない植物である。
スゲは、繁殖生態学的にも興味深い。小穂の中で、どの位置に、どれくらいの割合で、雄花と雌花がつくかは、種によってさまざまである。本書には、小穂のクローズアップ写真が満載されているので、雄小穂と雌小穂の相対サイズや位置関係が克明にわかる。相対サイズについては、写真から測定可能な事例も少なくない。このような、繁殖生態のデータブックとしても貴重である。繁殖生態学に興味のある人なら、いろいろなアイデアが浮かぶだろう。
基礎的にも応用的にも、分類学的にも生態学的にも、本書は大きな収穫だ。日本の野生植物に多少なりとも関心がある人は、買うべし。