科学と社会:生物多様性科学をめぐる理解の溝

DIVERSITAS(生物多様性研究ネットワーク)第一回国際会議が開幕した。オレゴン州立大学のJane Lubchencoさんによる基調講演「科学と社会:生物多様性科学の必要性と有効性をめぐる理解の溝」は、初日を飾るにふさわしいすばらしい講演だった。
講演は、「溝」「溝をいかに埋めるか」「海洋生態系についてのケーススタディ」の3部から構成されていた。
彼女はまず、「科学者は自分たちの知識が重要だと考えているが、政策決定者はそうは考えていない」という「溝」について語った。多くの政策決定者が考えていることを列挙したなかで、we hear conflicting guidance from different scientists except “give us money”(「お金がほしい」という以外には、科学者からは違う見解しか聞こえてこない)という指摘には、多くの聴衆が苦笑したことだろう。このような「溝」を生み出している原因を、彼女は次の4つの点にまとめてみせた。

  • 科学の役割に関する見解の相違
  • 多くの科学者は難しい科学をわかりやすく政策決定者に話すことになれていない
  • 信頼できる国際的な科学的アセスメントが行われていない
  • 調査研究に関する透明性が欠けており、科学者でないものには、知識を生み出す過程に貢献する機会がない

この4つが問題なら、「溝」をうめる道筋は、次のように、これらを解決することである。

  • 科学の役割をはっきりさせること
  • もっとわかりやすく話すように科学者を訓練すること
  • 信頼できる科学的アセスメントを実施すること
  • 科学研究の過程を市民に開かれたものにするとともに、市民が科学的な活動に参加する道を開くこと

これら4つの処方箋について、彼女はさらに詳しく述べた。まず科学の役割については、政策決定者は次のように考えていると整理した。
(1)人類の福祉(健康・労働の軽減・通信・教育・知的好奇心)を改善すること
(2)国の防衛・安全を支援すること
(3)国家的威信を高めること
(4)経済成長を促進すること(技術・輸送)
(2)(3)が(4)より上位に来るところは、アメリカらしいというべきか。
このような「常識」に対して、科学にはもうひとつ、あまり評価されていないが、重要な役割があるという。それは、「知らせること」である(指令することではない)。すなわち、科学者の理解や考察を知らせることによって、人々の暮らしを良くすることである。この「知らせる」(to inform)という科学の役割には、(1)生物多様性の変化の実証事例、(2)生物多様性の変化がもたらすもの、(3)生物多様性の減少への対策に関する複数の代替案、を知らせることがあげられる。
さて、「溝」をどのように埋めるか? 第一に、「知らせる」という科学の役割をはっきりさせることが重要である。第二に、もっとわかりやすく説明できるように、科学者を訓練すること、つまり、科学者が市民と双方向の対話を行い、聴衆を知り、己を知ること、ストーリーを語り、比喩を使い、単純なメッセージを伝えることが大切である。
こうすれば、「溝」は埋められるはずだが、そうするには、科学者の努力が不可欠である。このような「総論」のあとで、彼女は「海の資源の枯渇」を例にあげて、科学の役割についての各論を紹介した。
まず、世界地図の上に、「Year of peak fishery」(過去最大の収穫量が記録された年)がどのように歴史的に拡大してきたかを示すアニメーションが紹介された。このアニメーションでは、海洋のあちこちに等値線があらわれ、等値線に囲まれた海域(収穫量がピークをすぎた海域)が次第に拡大し、やがて2000年に、地球上のすべての海が拡大を続ける等値線に被いつくされる。このようなアニメーションに加えて、海洋では大きな魚が90%以上捕られてしまったことなどの具体的な数字を紹介し、さらに、地引網に何も入っていない様子を撮影した写真を示した。なるほど、アニメーションや効果的な写真を使うと、視覚的な説得力が高まる。
生物多様性の変化がもたらすもの」に関しては、海洋の保護区に関するNCEAS working group の調査研究が紹介された。このプロジェクトについてはNSFが3年間の予算をつけた。この予算で、17人の有職研究者、7人のポスドク、6人の大学院生が雇われた。17人のリスト中には、英国のCallum Robertsの名があった。私と一緒に、来年3月に開催される岡崎生物学シンポジウム「絶滅の生物学」のオルガナイザーをつとめている人物である。NSFのグラントでは、このように外国人をチームに加えることができる。また、大学院生やポスドクを育てることが要求される。「このリストの中には、いまや当該分野の研究の中心人物となった者が何人もいる」という成果を誇っていた。とてもうまく設計された研究プログラムだと感じた。
プロジェクトの科学研究の成果がいくつか紹介された。海洋生態学の基礎研究としても、非常に重要な成果があがっているようだ。
このプロジェクトを通じて、パンフレットを作成したり、タウンミーティングをやったり、漁民と一緒にモニタリングをしたりして、科学と社会の「溝」を埋める努力をしたことが紹介された。
講演のあとの討論で、メキシコの若い女性研究者が、「英語は苦手なのでスペイン語で質問します」と言って、難しい質問をした。その質問を、植物生態学の老大家サルカンさんが翻訳したとき、Lubchencoさんの表情が明らかにこわばった。その質問とは、「メキシコでは、論文業績をあげることしか評価されず、社会との溝を埋めるためにいかに努力しても報われない。どうすればよいのか」というものだった。Lubchencoさんは、固い表情で、「事情はアメリカ合衆国でも同じだ。まず論文業績によって報酬(award:研究費を含む)が決まり、教育に対しても報酬があるが、教育研究以外の仕事は、まったく報われない。しかし、リーダーは社会との溝を埋める努力をしなければならない。この点で、チャンピオンでなければならない。報酬システムを変える必要があるが、それは大変難しい仕事だ。あなたの質問は、great questionだ」と答えていた。
この紹介文を半分まで書いたところで、懇親会の時間となった。懇親会では、日本から参加されているTさんと、Lubchenco講演の評価について会話を交わした。私は彼女の講演に共感するところが多く、とても高い評価をしたのだが、Tさんは「優等生的な講演で、地域の現場には必ずしもあてはまらない。たった一つの正解はないはずなので、そこをもっと正直に語ってほしかった」という、辛い評価をされていた。確かに、そのような面もあるが、科学を「象牙の塔」の知識から、市民に向かって開かれた知識へと変えていこうという彼女の姿勢には、やはり共感する。この流れがもっと大きくなれば、優等生的ではない、多様な解が生まれることだろう。
このほか、Michael Loreauの基調講演、Ulf Diekmannが企画したevolutionary conservation biologyのセッション、Peter Daszakが企画したEcohealth and conservation medicineのセッションに出た。どれもとても面白くて、時差を忘れてノートをとったが、日本語の要約を作っている時間がない。もう0時40分だ。この要約をアップロードして、今日は寝よう。