「研究協力者」の質と規模

Josepoohさんから、「教授の立場から見た時の研究協力者の質・規模」について、「分野毎に温度差がある」のではないかというコメントがありました。

非常に大雑把な区分けですが、
(1) 多数は不要(というかむしろ邪魔)な分野
(2) 多数必要であるが、必ずしもポスドクである必要はない分野
(3) 多数必要で、かつ、全てポスドク相当以上でないと困る分野
という分類は出来るかと思います。

#この分類だと、純粋数学屋な私の分野は(1)型で、
#yaharaさんの分野は恐らく(3)型。

この温度差がある為に、少なくとも、私と、yaharaさんの間で、ごく最初の段階から意識のずれが発生しているのではないかと思います。

Josepoohさんは、大学院生やポスドクを「研究協力者」とみなされているようです。この点に、Josepoohさん私と間に大きな意識のずれがあります。
私は10年前に九大に教授として着任して以来、自分の研究テーマ(性の進化など)に関しては、大学院生やポスドク助教授・助手にたよらずに、学外の共同研究者、および科研費などで雇用するRAの協力を得て、成果を出してきました。いま、屋久島で進めている研究プロジェクトにも、大学院生は関与していません。したがって、「研究協力者」という点で言えば、(1)型です。
自分の研究は、自分でやるのが一番責任がもてるし、楽しいし、納得がいきます。
大学院生には、最初から自分のプロジェクトを持ち、自立した研究者としての訓練を積んでもらっています。助教授・助手も、私とは完全に独立した研究プロジェクトを持っており、それぞれ国内で指導的立場にあり、国際的な業績をあげています。大学院生は、私を含むスタッフのいずれかと共同研究を行う形で自立の道を歩みますが、プロジェクトの下僕ではありません。ポスドクも、もちろん同様です。最近、私の科研費プロジェクトに、大学院生やポスドクの協力を仰いでいるケースがありますが、その場合にも、大学院生やポスドクのインディペンデンスを保証しています。
このスタイルは、生態学の分野では例外的ではありません。ただし、分子生物学・細胞生物学などのいわゆるライフサイエンスの研究室のスタイルとはかなり違うと思います。
私が大学院生やポスドクに期待しているのは、早く自立して、分野の研究者層に厚みを加えてくれることです。
昨日のブログで紹介したY君の「学問は一握りの天才・秀才だけで進められるものではない。裾野の広さこそ重要だと思う。」という意見には、よくぞ言ってくれた、と思いました。
私は、ある国における研究の水準は、3つの要素に大きく規定されると考えています。その3つとは、(1)研究者人口、(2)研究の歴史(伝統)、(3)平和、です。ビッグサイエンスに関しては、これに(4)研究投資額を加える必要がありますが、(1)と(4)には相関があり、独立要因とは言えないでしょう。
日本はいま、国家戦略として研究投資額を大きく増やし、国際的地位を確保しようとしています。その国家戦略のために増員が必要とされる研究者人口を、不安定な雇用のポスドクや任期付研究員で確保しようとしているのです。これが、現在のオーバーポスドク問題の背景にある構図だと思います。
ポスドクや任期付研究員であれ、研究者人口が増えた効果により、日本の研究水準は向上していると思います。少なくとも、生命科学分野では、研究者人口が増えた結果、多様なスキルを持つ人材が出て、全体としてのアクティビティは間違いなく高まっています。
個々の事例では、さまざまな問題があるでしょう。しかし、今やポスドクや任期付研究員が、日本の科学(とりわけ国家プロジェクト)を底で支えているのは事実です。彼ら・彼女らに対して、レベルが低いから保護してやる必要はないというような主張をすれば、彼ら・彼女らの劣悪な労働条件を温存したいと考えている人たちを喜ばせるだけではないでしょうか。