桜餅とホリエモン

理系白書ブログで、私の好物の桜餅がとりあげられていたので、つい口出ししてしまった。桜餅といえば、向島・長命寺の「山本や」。あぁ、食べたい。今度、東京に出張したときには、浅草まで足を伸ばしてみようかな。
理系白書ブログの話題は、続いて、ホリエモンのマスコミ論へ。5日の毎日新聞に、ライブドア堀江社長のインタビューが、5段組みで掲載されている。このインタビューを紹介したM村さんは、次のように書いている。

私が納得したのは、堀江社長が考えるメディアの役割は「付加価値をつけず、右から左に流す」。つまり情報の生産者でも中卸でもない。だから調査報道は不要だという。
彼の言うことはきわめて乱暴だが、メディアが抱えている矛盾や問題点をある意味、突いている。

この反応は、とても柔軟だと思った。メディアはただ情報を流せばよいという主張は、新聞記者としては聞き捨てならないはずだ。不愉快に違いない。しかし、感情的にならずに、「メディアが抱えている矛盾や問題点をある意味、突いている」と受け止める冷静さは、たのもしい。
取材を受け、新聞記事に書かれてみると、新聞報道がいかに不正確かを、痛感させられる。不正確な報道のために、とても困った立場に立たされたことが2度ある。自分に責任がなくても、困難な事態を解決するためには、関係各方面に、お詫びを続けなければならない。このような経験から、取材を受けるときには、「原稿を見せて、内容に間違いがないか、チェックさせてほしい」と言うことにしている。すると、「それは検閲につながる。原稿はぜったいに見せられない」という反応がかえってくる。今までに同意してくれた記者はいない。
毎日新聞ホリエモン報道を見てみよう。1面には、こう書かれている。

インターネットを活用したメディアの将来像について堀江社長は「(情報の)価値判断はユーザーがすべきだ。コントロールしたくない。(メディアは)純粋な媒介者で、ありのままの事実を伝えるのがよい」と述べた。

25面の「一問一答」から、関連する箇所を抜き書きしてみよう。

−ネットでの正確性の追求はどうするのか。
◆(既存メディアも)追求しようとしていても、できてないじゃないですか。僕の問題に関しても、かなりの確率でうそがある。やっぱり信用できないなって思います。見出しでバイアスかかったり。媒介者がそれをコントロールできるのが問題じゃないか。
−堀江さんがメディアを持つ時は、コントロールしないのか。
◆僕はコントロールしたくない。純粋な媒介者であるべきだと思うんですけど。ありのままの事実を伝えるのが、いいんじゃないですか。ただ、理想はそうだが、ガラッと変える必要もない。徐々に変えていけばいい。ドラスチックに、私たちがニッポン放送の経営に関わったから、いきなり変えようなんてわけがない。徐々にディスカッションをしながら変わっていくに決まってるじゃないですか。

1面の記事と比べてみると、かなりニュアンスが違う。「一問一答」ですら、堀江社長の発言がデフォルメされているはずだが、情報にある程度の分量があれば、どのような文脈の中で、どの発言が行われたかがわかる。読者にとっては、情報の価値を判断しやすくなる。1面報道の内容では、何がなんだか、わからない。
理系白書ブログのM村さんは、「だから調査報道は不要だという」と言い換えをされているが、ホリエモンは、そんな主張はしていない。M村さんですら、短い記事から、飛躍した判断をされていると思う。メディア、おそるべしである。
事実を掘り起こすために、調査報道は必要である。記者の判断もあってよい。ただし、読者への正確な情報提供と、記者の判断・意見を、きちんと分けてほしい。情報提供の正確さを欠いた状態で、記者の判断・意見を書かれても困るのだ。
31面には、堀江社長の写真入りの記事。「見えぬ報道ビジョン」「問題意識あるのか・・・識者から批判も」の見出しが目に飛び込む。ホリエモンは、「ほら、またやっている」と思っているだろう。
さて、その「識者からの批判」だが、「みんながネットを見て、意見を言って、と能動的にニュースに接するのは大変な労力がいることだ。どこかが情報を取捨選択してスタンダードを示して、自由に選んでもらった方が、社会に余裕が出る。。。」
とんでもない。不正確な情報で、どうやって選べというのだ。・・・と怒りたいところだが、この「識者のコメント」も、相当デフォルメされていると思う。私は一度として、自分の意図したとおりのコメントを書いてもらった経験がない。
読者としては、「新聞」とはそんなものだということをよくわきまえて、利用するしかないと思う。
理系白書ブログのように、記者と読者の双方向のコミュニケーションが生まれているのは、明るいニュースだ。やはり、ネットは新聞を変えていくと思う。願わくば、読者への正確な情報提供と、柔軟で冷静な記者の記事とがうまくバランスされた、新しい新聞が生まれてほしい。その願いをこめて、今夜は長めに書いた。さあ、寝よう。